【フェンリルSIDE】 お母様
地上で生きれるのは強い奴だけだ。
なぜなら弱い個体は自分の腹を満足に満たすことは出来ないから。
『さて、私は君のお父さんを殺したけど……フェンリルはどう思う?』
だから私はあの時、神であるお母様が狼のお父様を悪戯に殺した時に何の嫌悪感も感じなかったのだと思う。
『お母様は凄いね!!あんなに強いお父様を倒しちゃうなんて』
『そうでしょ~。凄いでしょ~』
より強い者に憧れて、憧れた者に近づける為に荒野を駆けまわるのが私達狼の本能。
それに導かれる様に私はお母様に強い憧れを抱いていた。
お母様は私を連れて色んな所に連れて行ってくれた。
六枚の羽を背中に生やした神様が沢山いるところに行ってはお母様は怒られていた気がする。
『な~にが最強の軍神トールにふさわしいハンマーだよ。あれは私が小人たちをそそのかしたから出来た物なのに……私が使った方が絶対に似合う。フェンリルちゃんもそう思うよね?』
『もちろん!!だってさいきょーの神はお母様だもん』
昔の私はお母様が最強だと信じてやまなかった。
お母様が背中に生やす羽は天界にいる誰よりも多かったから。
私には二人の兄弟がいた。
アダムとイブとかいう人間をそそのかした蛇とお母様の間に生まれた弟のヨルムンガンド。
『なぁ姉貴、本気でラグナロクなんてもんに加担するつもりか?あれは刹那的快楽主義者が考えた無茶な計画だぞ』
男の身体になったお母様とアングルボザと言う名の巨人の女性との間に生まれたヘル。
『ほ、ほんとだよ。なんでお姉ちゃんはお父さんの計画に乗り気なの?なんでお父さんを肯定するの?』
私を含めた3人の子供達は『すべての神の力を再現する』というお母様の野望を叶える希望の光、ラグナロクを仕掛けたお母様が神々を殺す為に用意した3つの災厄だった。
『なんでって、決まってるだろ?お母様はこの世で一番強いからだよ。だから私はお母様の全てを肯定する、そう決めたんだよ』
◇
「……夢?」
私は一体何を……そうだあの女は今どこに!!
「やっほ~、お目覚めかな?」
声がした方向に視線を向ける。
そこに居たのは虹色の髪の毛を揺らす人間ただ一人。
私の鼻を刺激するのは魔術を極めた人間の臭いだけ、アルゴスから捕獲しろと命令されていた牛草秋良の臭いはどこにもない。
「牛草秋良をどこに逃がした?」
「そんなに睨まなくても。私はただ秋にぃをアルゴスの所へ送っただけだよ?」
「アイツの所へ?一体何のために」
「う~ん、しいて言うならファナエルさんの為ってことになるのかな」
目の前の女はからかう様に首をかしげる。
血の気の多い人生だったこともあって色んな奴と戦った事があるが、私を目の前にしてここまでなめた態度を取った奴は初めてだった。
「そんな事よりさ、君は私の方に用事があるんじゃないの?」
女の左手で紫色の液体が躍動する。
その液体はグルグルと動いて小さなハンマーの形を作る。
間違いない、あれは最強の軍神と謳われていたトールが使用していたミョルニルを再現した物。
女の右手の上で雷がバチバチを火花を散らしているのもあってその立ち姿はかつてのトールを再現している様だった。
どうして……どうしてどこの馬の骨とも知らない人間のお前が神々の再現を行っている。
それをしていいのは、お母様ただ一人だけだ。
「キルケー……不敬にもお母様の夢を踏みにじるその愚行、この私が許しはしない」
「な~んか勘違いしてない?確かに私が使ってるこの体と魔法はキルケーの物だけど、私はキルケーじゃないよ」
「黙れ!!」
私が怒りの咆哮を上げる度、目の前の女は喜んでいる様に見える。
まるでこの瞬間を待ち望んでいたとでもいうみたいに。
「まぁ、細かい事はいっか」
あっけらかんとした声が響く。
それと同時に目の前にいたはずの女の姿が消えた。
「後ろから臭いが漏れ出してんぞ!!」
振り返って右腕の爪を振り落とす。
銀色の鉄槌と爪がぶつかり甲高い音を鳴らした。
私と女の間には高密度の冷気と電気が混じり合っている。
「いや~、秋にぃが攫われたあの時はびっくりしたけど。瞬間移動とるるちゃんの魔眼って超能力を手に入れられたのは幸運だった。結構使いやすいじゃん」
「だったらその超能力だけ持って帰れよ。ミョルニルを再現してるそれは置いて帰れ」
「嫌だよ。そもそも超能力を再現してるのもこれのお陰なんだしそんな事出来ないよ」
よく見ると彼女が手にしているミョルニルには見たこともない青いオーラがまとわりついている。
これが瞬間移動の超能力を再現している証拠っていう訳か。
「だったらお前を殺すまでだ」
右腕にグンと力を入れる。
爪と鍔迫り合いをしているミョルニルごと女の身体を後方へ吹き飛ばした。
それでも女は余裕そうな顔をして私の事を見つめていた。
こんな事なんの障害にもならないと言わばかりに瞬間移動を繰り返して私との間合いを測り始める。
「まさかそれが本気じゃないよね?全力で来ないと私には勝てないよ」
女が笑う。
戦っている相手をバカにする笑いは圧倒的強者にしか認められまいもの、お母様以外の存在が使って良い物じゃない。
「そうだな、お前の言う通り最初から全力を出していれば良かった」
ずっとマグマの中で監禁されていたから感が鈍ったな。
こんな奴にお母様を愚弄され続けるぐらいなら、ここ等一体を壊してまで殺すべきだったんだ。
私はスゥっと息をす吸って、今も瞬間移動を繰り返し続けている女に向かって小さく吠えた。
「死ね」
体の内側から冷気が溢れ出る。
神としての理性は溶け、私の両手だったものは前足に。
体から体毛が生える感覚、背中の羽が力に耐えきれるに破裂する音、顔の形が変わる感覚、世界が悲鳴を上げる音……どれもこれも懐かしい感覚だ。
これはお母様が研究を重ねて見つけ出し、私達兄弟に与えてくれた力。
不安定な体の構造を持つ物だけが到達できる異形の力。
神と狼の混ざり者であり、その中間と取り持った歪な姿をしていた私は姿を変える。
見た目は狼に、力は6枚羽の最高神をも超える。
今の私は世界を飲み込む災厄そのもの。
「GULAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!」
本能のままに咆哮を上げる。
周囲の空間はその声に合わせて絶対零度の冷気に飲まれてゆく。
アルゴスが作った結界も、周囲の建物も生物も何もかもが停止する。
「Grrr」
もちろんあの女も例外ではない。
振り向いた目の先で氷に覆われ固まっている。
この状況であればお得意の魔法も得意げに披露していた超能力も使えないだろう。
アルゴスに首輪を掛けられている以上、私は牛草秋良を捕縛する彼女の命令からは逃れられない。
だけどその前に、お母様の力を勝手に使ったこの人間は殺さなくてはないと。
私は口をガパっと開き、目の前で凍っている女をかみ砕いた。
氷がパリンと割れる音が響き、濃い血の臭いと生暖かい感触が口に伝播する。
ん……?
生温かい、感触?
おかしい、私を覆う空気は絶対零度付近の温度を保っているはずだ。
もしあの人間の身体から血が噴き出したのだとしたら即座にその血は凍るはず。
生暖かい感触なんてものを感じる事自体あり得ない。
「本当はかみ砕かれる痛みも感じてみたかったけど……借り物の身体に傷つける訳にはいかないしねぇ」
その声が聞えた瞬間、自分の耳を疑った。
確実に殺したはず……そもそも人間があの攻撃を耐えられるはずがない。
そもそも、さっきの声自体少しおかしかった。
さっきまで聞いていた女の声とは別の声が混ざっていたような。
「ただでさえ無茶な体の使い方してるからさぁ、これ以上やると死んじゃったキルケーの魂に怒られちゃうよ」
次に私は自分の鼻を疑った。
さっき殺した人間の臭いに何か別の物が混ざってきたからだ。
例えるならそう、土のにおいがする瓶の蓋を取ったとたん中身に入っている物の臭いが混ざってしまったような感じ。
「でもよかった。一度本気のフェンリルちゃんと殺し合いをしてみたいって夢が叶って」
その臭いがあまりにも懐かしくて後ろを向くのが怖かった。
この状況に対する答えはとっくの前に出ているけれど、それを認めたくない。
「こっち向きなよ、もう全部気づいたんでしょ?」
その声が聞えた瞬間、視界の景色がグニャリと歪んでいく。
自分がどっちを向いているか分からなくなるほど方向感覚を狂わされる。
「いやぁ、それにしても牛草斬琉としての生活は冴えない兄の恋愛を見守るだけかと思ってたけど……めぐりめぐって面白い展開になって満足満足!!」
そうして視界の先に虹色の髪の毛を垂らす一人の女性が見えてきた。
きっとその体は本当に大魔女キルケーの物で、この町で生活してきたすべては牛草斬琉の物だったのだろう。
そんな彼女の中身が背中から生える羽として今現れた。
左に小さな羽が6枚、右に大きな羽が1枚、天界では類を見ない異形の7枚羽。
現実を歪め、認識を欺く嘘の権能を持つ悪神。
3つの災厄を作り、ラグナロクを引き起こした張本人。
「ロキ……お母様」
「やっほ~、久しぶりだね」
気が付けば狼だった私の姿は元に戻っていた。
「いや~楽しかったよ。自分が愛した存在を殺す背徳感や罪悪感も、初めてみたフェンリルちゃんの怒った顔も、私には向けてこなかった汚い言葉遣いも、無意味な怒りに突き動かされる君の滑稽さも、災厄としての力も、全部全部最高だった!!」
お母様の左手には例の紫の液体が渦巻いていた。
その液体は形を変え、一つの槍に変化する。
「ありがとうフェンリルちゃん。君はずっと私の期待に応えてくれた。その生き様を見ているだけで楽しかったよ」
その槍の先端を私の首元に向けながらお母様は笑う。
その笑顔は邪悪で悪趣味で……それでいて強者にしか許されない特別な物だ。
「グングニル・レプリカ」
お母様の言葉に合わせて槍が私の首をはねる。
宙を舞う私の頭はグルグルと回ってお母様の手の中へ。
眩しい笑顔のお母様を見て私は思う。
私は最後にお母様の為になる事を成し遂げられたのだろう。
憧れた人の為に命を使えた……ああ、なんて光栄なことだろう。
それでも最後ぐらいは、貴方の娘として普通に話をして終わりたかった。




