彼女を思えばこそ
「あ、起きた~?」
天井を映していた視界の先にひょいっと妹の顔が現れる。
いや……虹色の髪を垂らしてこっちを見つめる彼女を果たして今まで道理に妹として見て良いんだろうか?
「そんな顔しないでよ。僕は正真正銘、秋にぃの妹。牛草斬琉だよ」
「……あんな魔法いつ使える様になったんだよ俺の妹は」
「それを言うならお互い様じゃない?秋にぃこそいつの間に堕天使になったのさ」
ニヤニヤとこっちを見据えて言い返すその様子はどう見ても俺が知っている妹の姿だ。
このままだと何も解決しないと思って俺は体を起こす。
「安心してよ。元々存在してた牛草家の妹を乗っ取ったとかそんな物騒な事はしてないから。私がしたのは『牛草家は第二子を出産した』って偽の記憶を植え付けただけだから」
「植え付けただけって……それじゃぁ今まで俺がお前と過ごしてきた時間は全部嘘だったのか?」
「違う違う。私が植え付けたのはあくまで第二子出産に関する諸々の記憶だけだよ。その後はこの体の肉体年齢を生まれたばかりの赤ちゃんの状態まで戻して牛草家の長女として生活してたんだよ。だから秋にぃと一緒に兄妹として過ごしていた時間は嘘じゃないし、僕が秋にぃの妹であることも嘘じゃない」
「体を赤ちゃんに戻してって……」
「今更そんなことで驚く普通?若返りの逸話なんて至る所にあるし……何ならほら、あのシンガンとか言ってったあの人達なら肉体が若返った人間ぐらい見た事あるんじゃないの」
斬琉はあっけらかんとした様子で自分の素性を話す。
俺は少し戸惑いながらも「そっか」と言いながら頷いた。
今の話を納得したわけじゃ無いけど、今はそれより重要な事がある。
「それで……ファナエルの為に俺は何をすればいい」
一瞬、部屋の中が酷く静かになった様に感じる。
斬琉は戸惑いと、喜びと、寂しさをぐちゃぐちゃにかき混ぜた顔をして小さく小さく何かを呟く。
『へぇ……本当に変わったんだね。ファナエルさんと出会ってから』
おそらく呟いたであろうその言葉を堕天使の力のせいで読み取ってしまう。
その言葉に組み込まれていたのは、昔の知り合いが自分を置いて成長してしまった時に感じるような戸惑いと、斬琉の中に渦巻いている本能のような物が歓喜している喜びと、ずっと近くに居た兄が自分ではない何かの物になってしまった事をしった寂しさだった。
「決まってるでしょ。ファナエルさんの傍に駆け寄って、彼女を助けてあげるんだよ」
ガラガラっと何かを引きずる音がする。
斬琉が引きずっていたのは大きな姿鏡。
俺は思わずそこに映った自分の姿を二度見した。
だって背中から真っ白な羽が一つ生えていたのだから。
「君が覚醒させた堕天使の力を使ってね」
「これっ、いつの間に?!」
「本当に気づいて無かったんだ。フェンリルちゃんと戦ってた時にメキメキ~って音をならしながら生やしてたよ」
斬琉は呆れたようにそう言うと、チョイチョイと手招きしながらファナエルの家をカツカツと歩いていく。
着いていった先には見たことも無い地下への階段だった。
「とは言っても、今の秋にぃじゃアルゴスには敵わない。今から入念に作戦を作ってもいいけど……ファナエルさんの体力的にも、今足止めしているフェンリルちゃんやアルゴスの権能の事を考えてもそんな時間は無いんだよね~」
カツン、カツンと音が鳴る。
この辺には出来るだけ近づかないで欲しいとファナエルから言われていたけれど、こんな階段があるとは思わなかった。
「だけどここに唯一、ファナエルさんの願いを最大限に叶えながら現状をひっくり返せる切り札があるんだ」
斬琉がそう言い切る頃、俺達は地下への階段を降り切っていた。
そこにあったのはキッチンに小さな実験室を組み合わせたような空間だった。
そこにたどり着いた瞬間、斬琉は一瞬の迷いもなくほこり被った古臭い革表紙の本を手に取って開く。
次の瞬間、強く真っ赤な光と紙を切り裂いていくような音が俺の五感を刺激する。
「禁斧チェレクス」
本の中からぬるりと姿を現したその斧を見て小さく呟いた。
『だから私は考えたの。この斧で切った私の髪の毛をアキラに食べてもらえれば何よりも強固な愛の誓いになるんじゃないかって』
ファナエルがあの斧を使って自分の髪の毛を切り落としたあの日を思い出す。
そして、あの時ファナエルの髪の毛が入ったオムライスを食べた事が俺が堕天使になる切っ掛けだったことも。
『ねぇお願い、私の助けになりたいって言うのなら……私の為になる事をしてあげたいって言うなら受け入れてよ!!』
ファナエルから聞いた昔の話を思いだす。
彼女が自分の両親に『この斧を使って羽を切り落として』と懇願していた事、その願いが叶わなかった事、今でもそれを思い返す度に酷く動揺してしまうほどにこの出来事がトラウマになっている事が頭に過る。
「そう。これで秋にぃの左羽を切り落とせば、アルゴスに対抗できる力が手に入るかもしれないって訳」
斬琉は「さぁ早く」と言いながら俺にその斧を渡した。
彼女のプランはここでチェレクスを使った俺の強化を行うことだったらしい。
それで強くなった俺が助けに行く事がファナエルにとって最善であると考えているみたいだ。
「どうしたの秋にぃ?時間がないから早く羽を切ってー」
「いや、羽を切るのはここじゃない」
でも……きっとそれは違う。
俺がこの斧を使うのはファナエルにとって一番大切な瞬間なんだと、俺の中にある堕天使の力が叫んでる。
「それじゃぁどうするつもり?」
「俺はこの斧を持ってファナエルの所へ行く。俺の羽を切り落とすのはファナエルの目の前でやる。そうしなきゃいけない気がするんだ」
「……そう。ファナエルさんと付き合いの長い秋にぃがそう言うなら僕は反対しないよ」
斬琉は小さく息を吐いてそう言うと、その目線を俺と斧の方へじっと向けた。
『まぁ……私としても、こっちの方が面白い物が見れそうだし賛成かな。堕天使を彼女にして引っさげてきたり、自らの意思で##になろうとしているし、君に目を付けておいて良かったよ』
彼女の中に眠る本能、彼女が牛草斬琉になる前の『何か』としての感情を隠せないほどに俺の事を見つめていた。
「ま、フェンリルちゃんの事は僕が何とかするから気にしないで」
「そっか、何から何までありがとうな」
「良いんだよ。前も言ったと思うけど、秋にぃが幸せになってくれないとこの首輪がキュッと閉まって大変なんだ」
斬琉は笑いながらそう言うと、パチンと指を鳴らした。
また視界がグニャリと歪み始める。
「それに、もしかしたら私はもう僕では……牛草斬琉としては過ごせなくなっちゃうかもだし」
「それって……」
「ああ、死ぬとかそう言う話じゃないから気にしないで」
斬琉はグニャリと歪む空間の中で俺の耳元に近づいて囁く。
「いい?僕から恋愛経験が貧弱な秋にぃに送る最後のアドバイスだよ」
「その言い方は相変わらずだな……それで、どんなアドバイスをくれるんだ?」
「本当にファナエルさんを恋人として救いたいなら彼女以外の全てを犠牲にする覚悟を持つこと。彼女の心を埋める為にはそのレベルの覚悟が必要だよ」
ああ、何だ。
最後に何を言われるのかと思えばそんな事か。
「一緒に地獄に落ちる覚悟なら当の昔に出来てるさ。ファナエルの過去を聞いた時にな」
「そう、それならここを真っ直ぐ走って。ちょっと酔いそうになるかもしれないけど、走り抜けた先にはファナエルさんとアルゴスが居るはずだよ」
「そっか……分かった。行ってくる」
俺はそんな言葉だけを残して走った。
この場所に妹を残してでもやらなきゃいけないと心が叫ぶ事をなすために。
ファナエルの彼氏として、彼女を助けに行くために。




