『僕』と『私』
「本当はでしゃばるつもり無かったんだよ〜。だけどなんか状況が思ったより深刻だし、私が前線に出たほうが面白そうだしで我慢出来なくなっちゃった」
冷気を帯びた霧が舞い上がる。
普段は使わない『私』と言う一人称で話す眼の前の妹は普段俺を煽る時と変わらない笑顔でフェンリルを見つめている。
「キルケーか‥‥‥そういえばアルゴスが言ってたな。ファナエル・ユピテルが盗んだのは禁斧チェレクスって物騒な斧とアンタが書いた日誌だったって。お前もあの女の逃走劇に一枚噛んでたのか」
「違う違う。ファナエルさんと関る事になったのはただの偶然‥‥‥というか想定外だったんだよね。私が目を付けてたのはこっち」
チラリとこっちを振り向きながら斬琉は俺の事を指さした。
『いや〜、ここまで来ると運命すら感じるよね〜』
『秋にぃが好きになった相手が人外ってだけでも衝撃だったのに‥‥‥私とも少なからず関わりがあったとか』
『にして相変わらずだなぁフェンリルちゃんは。見てるだけで面白い』
この状況をどこまでも楽しんでいる、驚く事なく当たり前の様に受け入れている。
それでも俺やフェンリルに向けている感情は俺の知っている彼女の面影を残している。
彼女がら聞こえる心の声はどこまで行っても妹の声で、どこまで行っても知らない何かの声だった。
「その人間が妙な力を手に入れたのはファナエルとか言う堕天使と関わったからだと聞いているが‥‥‥どうしてお前がただの人間だったそいつを気にかける必要性がどこにある」
「頭が硬いなぁ。これだよこれ」
斬琉はスカートのポケットからあるものを取り出す。
それは見慣れた緑色のサイコロ。
何かを決める時に良く使っていたあのサイコロだった。
「君もアルゴスにやられた口なら分かるでしょ?」
右手の平に乗せられたサイコロが淡く光はじめる。
サイコロからは緑色の鎖がジャラジャラと金属音を鳴らしながら顔を出す。
鎖は斬琉の首輪に向かって伸び始め、ガチャリという音を鳴らして繋がった。
その音が鳴ったのとほぼ同じタイミングで斬琉のサイコロがシャリンと神秘的な音を鳴らして潰れ、正方形の形から一つの花の様な形に変形した。
「この首輪が私に罰を与える物だって事ぐらい」
花の形になったサイコロの上にはパソコンのウィンドウ画面の様な物が浮かび上がっていた。
そこに書いてある文字は明らかに日本語じゃないし英語でもない。
そもそもこの世に存在している文字なのかも分からない。
それなのにー
『下等生物である人間に従事する存在となる生活を未来永劫続ける事による尊厳の破壊と身柄の束縛により貴様の罪を清算する』
『特別ルール☆身柄の束縛を無視して私は自由に動けることとする』
『ミッション☆牛草秋良の恋路を成功させる』
どうして俺はあの文字を読めるのだろう。
「ま、アルゴスの文章がお堅くてつまんなかったから出来る範囲で改造しちゃったんだけどさ」
「アイツのグレイプニルで選定された罰を改造しただぁ?面白い事言うじゃね~か。どうやったのか私にも教えて貰いたいもんだ」
「さぁ?どうやったんだろうね」
斬琉は花の形に展開していたそれをサイコロに戻し、手のひらでコロコロと動かしながら遊んでいる。
「そんなことはどうでも良いんだよ。今私がこの場で君を倒してあの結界を壊せる事ぐらいどうでも良い」
「なっ!!それ、本当か?!それならー」
「まぁしないけどね。だってそんな事しても面白くないもん」
『まぁファナエルさんの事を考えたらこっちのプランで動いた方が良いだろうし、秋にぃには自分の現状をちゃんと把握して貰わないと。今自分の背中に羽が生えてる事にも気づいてないっぽいし』
羽……?
一体なんの話をしてるんだ。
そんな事を考えていると、目の前でブワッと青色の炎が舞い上がった。
フェンリルがその炎に対処している数秒の間に斬琉は俺の隣に移動し、立つのがやっとの俺の体を支えた。
「大丈夫そ?一旦ここから離脱するからもうちょっと頑張ってね」
「‥‥‥お前のプランに従うほうが‥‥‥ファナエルの為になるんだよな」
「へ〜、一旦受け入れてくれるんだ〜私の事。てっきり『ファナエルが危ないから〜』って暴れるかと思ったよ」
「一刻もこの状況を解決してファナエルを助けたい気持ちは変わらない‥‥‥でも、現状一番強そうなお前がファナエルの為になるって思って行動するなら、少し不安でも乗っかったほうが良いと思っただけだ」
「なるほどね〜」と相槌を打ちながら斬琉は俺に肩を貸す。
「ねぇ秋にぃ‥‥‥あの時の事覚えてる?」
「なんだいきなり、あの時って?」
「ほら、秋にぃが僕に初めてファナエルさんへの恋心を教えてくれた時の事だよ」
こんなヤバそうな時に呑気な事を聞くもんだ。
今の斬琉にとってこの状況がどれだけ余裕なのかとか、俺と話す時だけ『僕』に戻ってることとか、言いたいことや疑問は尽きない。
それでもこの質問には答えておいたほうが言いような気がして俺は昔の記憶を振り返った。
「お前がファナエルの事ゲロクッキー女とか言ってた時の事だろ。そういえばサイコロ振らされたりもしたっけな」
「そうそう‥‥‥あの時言ったでしょ、『僕の気持ちを割り切って秋にぃとゲロクッキー女が付き合えるようにサポートしてあげる』ってね」
そういった斬琉は左手を黒い瞳の前にそっとかざす。
かざされた左目の上には紫色の液体がドクドクと動いてなにかの形を作っている。
それに合わせるかの様に周囲には氷塊が砕ける音が響き渡った。
周囲の空気を凍らせるほどの冷気を持ったフェンリルが刻一刻とこちらに迫り続けている。
『なんであいつがお母様の発明品を』
『お母様がラグナロクを起こしてまで完成させた物をどうして』
『お母様の存在を感じられなくなった原因にこいつが潜んでいるのか』
『捕まえて、とっちめて、全部吐かせてやらねぇと』
その心によく分からない憎悪を秘めて。
「お前ら、私から逃げられるとでも思ってるのか?」
「悪いんだけど逃げられるんだよね〜。なんせこの超能力は私もファナエルさんもしてやられた強力な力だし」
斬琉がそう言い終わる頃には、彼女の左目の上で蠢いていた液体は鋭利な装飾がなされた片目レンズに変化していた。
「レイジネス・シン・レプリカ」
斬琉がそう言い放った瞬間左目のレンズは深い赤色に染まり、目の前の空間を真紅の光で支配した。
規模こそ大幅に強化されているけど、それは間違いなく『シンガン』のメンバーに居たるるって子が使っていた超能力と同じものだ。
「お前、どうやってアレをー」
「ま、難しい事は後でね。それよりちょっと酔うから気を付けなよ」
斬琉がそう言った瞬間、目の前の景色がグニャリと歪む。
妙な浮遊感と地面に溺れそうな感覚に飲み込まれ、自分が今どこに居たのかすら分からなくなっていく。
「何とか逃げ切れた~。いや~アルゴスを欺くのは骨が折れるね」
気の抜けた斬琉の声が聞えた瞬間、先ほどまで感じていた感覚がパッと無くなり、俺の背中は地面に強く叩きつけられた。
見上げた先にある天井を俺は知っている。
ここは間違いなくファナエルの家だった。




