妹だったもの
「ふ~、良かった秋にぃは無事だったんだね」
俺を押さえつけている斬琉は安心したように息を吐いた。
妹の様子はいつもと変わらない。
こんな異常事態であるのに、平然とした表情で俺と話続けている。
じっと心の声を聞いてみても、この現状に対する不安や疑問が一切出てこない。
そこにあったのは傷の少ない俺を興味深そうに観察している好奇心だけだった。
「どうしたのその腕?どっかの店に飾ってあった鎧でも盗んできたの?」
「これは……そんな事より、よく無事だったな」
「あ~、急に皆がおかしくなっちゃったじゃん?だから真似して擬態してたの」
「ずっとあの化け物達の真似をしてただけ?」
「そうそう。僕、人をだます才能が有るのかもしれないね」
斬琉は腕を組んで胸を張る。
心を読んだがさっきの言葉に嘘は無い。
少なくとも始の時みたいに何かが斬琉に取り憑いている訳ではなさそうだ。
「そう言えばさ~。始っちはそこで伸びてるけど、ファナエルさんはどこに居るの?」
斬琉は不思議そうな顔をして辺りを見渡す。
1秒、2秒ほど経った後で返答をしない俺の目を怪訝そうな表情で見つめた後、両手でポコポコと俺の身体を殴り始めた。
「まさか、こんな異常事態なのに可愛い彼女を置いて一人で逃げて来た訳じゃないよね!!」
「いや、ちがー」
「大体、右腕の事も隠してるしこの状況に詳しそうだし……な~んか隠してる感じがするよね。僕に打ち明けてくれないとずっとこのままー」
「今そのことを説明している時間は無いんだ!!」
俺は思わず声を上げて斬琉の言葉を遮ってしまった。
今までに見たことの無い驚いた表情でこっちを見つめる彼女に対して俺は少し息を整えてから言葉を返した。
「ごめん急に大声出して……確かに俺はお前や始に隠してた事が沢山ある。黙ったままだと気になるだろうしこの状況で俺を問い詰める事も間違ってないと思う。だけど今は本当に時間がないんだ。ファナエルを助ける為にも急がないと」
『……なるほどね。どこまで行っても秋にぃの幸福にはファナエルさんが必要なんだ』
斬琉はやけに神妙な顔をして俺の事を見つめている。
そして何か心の整理が付いたのか、「まぁその方が面白いよね」と呟いてクシャっと笑い始めた。
「あの秋にぃがそこまで言うならこれ以上の詮索はしないであげるよ。私も秋にぃに知られたくない秘密とか一杯あるし」
「ありがとう」
「はいはい。それで、これから何するの?」
「この状況を作りだしている結界を壊す。その為にこの道の先に結界の端があるはずだからそこを目指す」
「了解、それじゃぁちょっと待っててね」
斬琉はそう言うとその場で軽く屈伸を始める。
スカートのポケットから武器になりそうな物は無いかと鍵などを物色し始めた。
「何やってるんだ」
「ん?僕も一緒に行くんだよ。秋にぃ一人だとヘマしそうだし」
「いや、危ないからお前はここで始と一緒にー」
「駄目。僕と一緒に行くことが最低限の譲歩だから」
ぶっきらぼうにそう言うと、斬琉は俺の右手を掴んで「時間がないんでしょ?」と言いながら走り出したのだった。
◇
「息切れ凄いけど大丈夫なの秋にぃ」
「心配するな。まだまだ走れる」
「だったらもうちょっと頑張って、それっぽいのが見えてきたよ」
斬琉と一緒に走る事数分。
視界の先には地面と交わっている緑色の結界が姿を現していた。
始が見たら卒倒しそうなぐらい禍々しいな。
鳥頭の化け物のデザインと言い、あのアルゴスって神様は大概趣味が悪いらしいな。
「にしても……道中全然化け物が居なかったね」
斬琉が周りを見渡して呟いた。
確かに、ここに来るまで誰にも襲われる事が無かった。
始の身体を乗っ取った奴と戦う前までは頻繁に襲われていたのに。
異様に静かなこの空間、目的地まであと少しと言うこの状況。
今までピタリとも湧いてこなかった不安がふつふつと湧いて来る。
『へぇ……あいつが。てっきりただの人間だと思っていたが、私と同じ混ざり者だな』
その不安の答えを示し合わせる様に頭に響いた見知らぬ誰かの心の声。
バッと周囲を確認するが人影らしきものはどこにも見えない。
『なんか知らない人間も一緒にいるけど……ま、まとめて氷漬けにすればいいだけだ』
「ーッ、斬琉!!俺の後ろに下がってろ!!」
俺はとっさに妹の前に立った。
さっき聞えて来た心の声にノイズをかけ、右腕全体に力を籠める。
『##############……#、###################』
「うらぁぁぁ!!!」
ノイズ交じりの光を右腕から射出する。
それとほぼ同時に俺の身体を襲ったのは、真夏とは考えられないほどの寒さ。
右腕に巨大な衝撃が走る。
腕の骨が砕けたような痛みが走る、腕が痺れて上手く動かない。
銀色の腕は衝撃に耐えられなかったのかパリンと音を立てて崩壊し、腕に生えた複数の銀髪に戻ってしまった。
「ッツ」
俺の放った光と拮抗している何かは苦悶の声を上げている間に一つの氷塊に変化していく。
もし、俺が堕天使の力でさっきの攻撃を防いでいなかったら……斬琉ともどもあの氷塊の中に閉じ込められていたはずだ。
嫌な情景が頭に過る。
「お母様の最高傑作である私の攻撃を一回でも防ぐとはやるな、お前」
声が頭上から響く。
見上げた先に居たのは氷で出来た四枚の羽を生やした女性。
頭上には光り輝く光輪、どこかのアニメキャラで見たことのある様なケモ耳と尻尾を生やし、首には緑色の金属で出来た首輪、胸と股を銀色の毛で見えない様に覆っている。
明らかに人間じゃない……目の前のこいつは間違いなく神そのものだ。
「あれが堕天使の力って言うんならファナエルは中々強いんだろうな。ま、どの道私の敵じゃねーが」
「お前は……誰だ」
「私か?私は氷神フェンリル、世界を飲み込む災いにしてお母様の最高傑作だ」
フェンリルと名乗った神が地面に足を着く。
それと同時に真冬並みの寒さが俺の全身を覆った。
今足が震えているのはその寒さのせいだろうか?
それとも、目の前の神を見て恐れているのだろうか?
こうやって相対しているだけで分かる、あいつはアルゴスと同じレベルの存在だ。
今の俺が勝てる望みは限りなく少ない。
「斬琉……お前は逃げろ」
「逃げろって、秋にぃはどうするの!?」
後で声を荒げる妹の言葉を無視しながら目の前の敵をゆっくり見据える。
ボロボロになっている右腕を無理やりにでも動かして堕天使の力を集中させる。
「俺はここに残ってこいつを倒す」
「無茶だよ。だって秋にぃもうボロボロじゃん!!」
「ここで背を向けてもこいつからは逃げられない……こんな事をしている間にもファナエルは俺を信じて戦ってる。だから俺は意地でもこいつを倒して結界を壊さないといけないんだ」
諭すような口調になるよう心がけて斬琉に声をかける。
仮に、今フェンリルから逃げる事が出来たとしてその後出来る事は現状何もない。
成果の出ない作戦会議をしている間にファナエルが死んでしまったら……きっと俺は自分を一生許せない。
だからこそ俺はここから逃げる事が出来なかった。
「そこの女が逃げる分には文句ないけど……お前、私を倒せる気でいる訳?」
「そうしないとファナエルを助けられないからな」
右腕に纏わりついている銀髪が躍動する。
ぐじゅぐじゅと音を立て、ノイズ交じりの光を放ちながら銀髪は再び俺の右腕と一体化する。
「俺はヘタレだし、怖がりだし、勉強も運動も得意じゃない……それでもファナエルを思う気持ちだけは誰にも負けない!!」
『君の体にファナエルさんが仕込んだその力を上手く扱うにはね、愛が重要なんだよ』と誰かが言っていた事が頭をよぎった。
ここで負ける訳にはいかない、だってファナエルが悲しむから。
またデートしようって約束したんだ、ファナエルと一緒にしたい事がまだまだ沢山あるんだ。
右腕に纏わる光がどんどん大きくなる。
背中の左側に激痛が走り、メリメリと服が破けるような音が聞こえてくる。
「秋にぃ……背中から……」
グッと足に力を入れる。
必死に飛び出した俺の身体はどこかいつもより軽くて力強かった。
「だから、そこを退いてもらう……俺とファナエルの今後の為に!!」
一瞬でフェンリルと距離を詰めた俺は右の拳を思いっきり突き出した。
視界を覆うほどのノイズと白い光がフェンリルの身体を飲み込み、轟音を出して爆発した。
「や……やったのか」
爆発で舞い上がった土煙が晴れる。
そこに居たのはー
「威力は中々なんじゃねーの。私には敵わないがな」
無傷のフェンリルの姿。
焦っているのもつかの間、次の瞬間にはすでに俺の右腕が氷漬けにされていた。
視界の先はさっきのお返しと言わんばかりの水色の光と凍った空気で満たされた景色。
これは……死ぬ。
「秋にぃったら見知らぬ間にかっこいい事言うようになっちゃって。ちょっとびっくりしちゃった」
思わず目をつぶっていた俺が次に感じたのは氷に閉じ込められる冷たさじゃなかった。
冷たい水蒸気がもわっと体を触れる感覚。
うっすらと目を開けるとそこに居たのはー
「でも駄目だよ、そう言う覚醒シーンは他の女に見せるんじゃなくてファナエルさんの前でやらないと。秋にぃはファナエルさんの王子様なんだから」
俺を庇う様に立っている無傷の斬琉だった。
彼女の手にはフェンリルの氷を解かす青い青い炎が纏わりついている。
「斬琉……?」
「魔法だと?!なんでお前が!!」
フェンリルはありえない物でも見ている様な顔をしている。
きっと俺も同じような顔をしている事だろう。
しかし、目の前の妹は俺達の事など気にも留めない様子でいつもの様な口調を崩さない。
「なんでって……この体が使い方を覚えてるからなんだけど」
「この時代の人間は魔法が使えないはずだろ……千歩譲って使えたとして、魔法なんかで私の力が相殺されるはずがねぇ!!」
激高するフェンリルを斬琉は終始楽しそうな顔をして見つめていた。
フェンリルが飛ばす冷気を、氷塊を、斬琉その手の上にある炎で軽くあしらっていく。
その炎が揺れる度、何かのベールがはがれるみたいに斬琉の体が変化していった。
黒かった髪の毛は虹色に、首にはフェンリルと同じ重々しい緑色の首輪が。
その姿はシンガンに囚われていた俺にファナエルの力について教えてくれた虹髪の少女そのものだった。
「だって私が使ってるのは大魔女キルケーの魔法だよ?そこらの魔法とは格が違うんだよ」




