中原あゆという女①
「既婚者って本当に知らなかったんですか?」
目の前の若い女の弁護士は、眉を寄せながら私、中原あゆに言いがかりをつけてくる。
「当たり前です……!私、騙されたんですから…!」
会社からあの男、井口圭太を追い出して一週間。
イヤなことばかり続いてる。
突然いなくなったものだから、仲良くしていた私にみんなが、理由を聞きに来るのも私をイライラさせる。
「中原さんと付き合ってると思ってた」
「人当たりの良い人だったのに上司は何が気に入らなかったのかな…?
ウチの会社ってそんなブラックだっけ?」
「あ、それにさ。中原さんよく弁当一緒に食べてなかった??あれって手作り弁当?」
中にはニタニタと聞いてくる下世話な人もいて。
私と圭太が付き合ってたのを匂わせるような人もいた。
「え~?そうだっけ?」
私に聞いてこないでよっ!
一番迷惑かけられたのは、この私なんだからっ。
「ね~ね~俺にも今度作ってよぉ」
「料理得意じゃないので」
「え~嘘だぁ~」
私が聞かれたくないこととわかって、突っ込んでくるこの男は弱みでも握ったつもり?
(気持ち悪い……!これもあれも全部圭太のせい!)
圭太、年上で身長もある。
優しいほんわかしたところが素敵な人だと思ってた。
最初に見た時からいいなぁと思ってたけど、手作り弁当を持ってくるから。
すぐに、ああ、この人は、誰かの物なんだないとわかった。
だから私がお昼を食べそこねそうになった時に、お弁当をくれたのにはびっくりした。
「えっお昼食べれないの?よかったらコレ食べて!」
差し出されたお弁当はどうみても女が作ったものだ。
(普通においしそう。おなかもすいたけど、これを私が食べたら、絶対火種になるやつだし)
でも私に笑いかけた満面の笑顔の圭太を見て、ふと、それでもいいかと思った。
食べた後のお弁当箱を綺麗に洗って手紙を入れたのは、いたずらのようなものだった。
油断をしたら、ダメですよという、ほんの出来心。
「ごちそうさまでした。美味しかったです~。これって奥様が作ってるんですか?」
「ん?あー…実は恥ずかしいんだけど、姉が作ってくれてるんだ」
弁当箱を受け取りながらはにかむ圭太は、私を誘うために、嘘をついてるのがすぐわかった。
「内緒にしてほしんだけど引っ越すときになぜか奥さん出てっちゃってさ。
今は姉ちゃんとルームシェア中」
本当か嘘なんてどうでもよかったし、怪しい言葉はすんなり信じた。
だって正直嬉しかったから。
(なんだ……この人私のこと好きなんじゃん。それなら、いいよね?)
親密な関係になるまでは早かったと思う。
圭太は清潔感もあって、流行にも敏感だった。
「奥さんには連絡しても無視されてて。離婚したいんだけど進まないんだよね」
(かわいそう……)
お姉さんが、平日の家事をしてくれるから土日は代わりに、家事をしているらしい。
「いつも仕事終わりばっかでごめんね」
「私は全然へいきだよ」
デートはもっぱら仕事終わりにご飯を食べに行くこと。
(仕事仲間とご飯を食べに行くくらいなら、浮気にはならないでしょ)
彼との距離は縮まっていたが、既婚者というハードルが私を消極的にさせていた。
ある夜。歩いて帰ってると彼の住むマンションについた。
「うっわぁ。おしゃれなとこ住んでるね」
「姉ちゃんとだけどね」
「奥さんと買ったの?」
「んーん、俺」
「えっすごい……!」
「やりくりとか得意で」
(家事も仕事も頑張ってて節約上手。優しい啓介を放っておく奥さん。信じられないな)
そう思ったとたん、彼がとても寂しそうに見えた。
(……でもお姉さんも住んでるって言ってたし)
「私、そろそろ帰るね」
「待って。奥さんにさ…家を買ってすぐに出ていかれんだ。浮気も…してたみたいで。1人で一生暮らしてくのかって思うと、どんぞこだったんだ。
……ずっと心に穴が開いたみたいで…」
どこまでほんとかわからないし、既婚者なのは変わらない。
「でも…奥さんいるのは変わりないから…だから」
「別居中だよ…!前に言ったように、離婚するつもりだし」
「姉ちゃんも前に浮気されたことあるみたいで。今は骨を拾ってくれるみたいな感じで住んでんの。ローンも半分払ってもらってさ。でも、いろいろ頑張ってようやく自分で払えるようになりそうなんだ。……だから、中原ちゃんに
迷惑はかけない」
それから圭太の家で、ご飯を作って一緒に食べて、一緒に寝るようになった。
お姉さんが帰ってくるまでの、ほんの少しの時間だけ。
「中原ちゃん…ごめん、そろそろ姉ちゃん帰ってくるから」
「あ、うん」
時間にして2,3時間。いっそお姉さんに紹介してくれたらいいのに…と
私は不満に思い始めていた
洗面所にあるお姉さんの化粧品はいいものばかり。
服の趣味もかっこいい。
お姉さんの分のご飯も作っておいてるんだから、別に悪い印象はないはずだ。
圭太は、いつも姉ちゃんも美味しかったって言ってたよ!って言うだけで終わるだけ。
(絶対仲良くなれると思うんだけどなぁ…)
だからおうちでまったり映画デートする日。
お姉さんに会えたのはラッキーだとおもった。
(……奥…さん…?お姉さんじゃなくて…⁉)
私が彼から聞いていたことは、全部嘘だったらしい。
(そんなの聞いてない。こんなの修羅場じゃん…!)
しかも奥さんは、私の服を着ていない動画があると脅してきた。
(だってだって……っ!大丈夫っていつも言ってたし、住んでるのは姉だって…!!!ご飯だって美味しいって!そりゃっまだ離婚してないって
知ってたけど知ってたけど……!)
こんな嘘つく圭太が、ありえないんじゃん!
純愛だったのに。
一夜にして、今まで奥さんの留守に上がり込んでごはんを作ってた、
ただの匂わせ浮気女になってしまった。
私がそんな目に合ってるのに、彼は助けようとも追いかけても来ない。
(私の気持ちを踏みにじって………)
許せないし許したくない。
形容しがたい怒りだった。
離婚間近だと思ってたのに。
こんなのは詐欺だ、詐欺に決まってるのに!
私には奥さんからの慰謝料を請求する内容証明が送られてくるし、弁護士は私は騙されてたということを主張するように言っても難しいと頭を抱えるだけ。
「減額の相談ならできますけど。詐欺はもっと証拠がいります。離婚はしてないと、知っていたんですよね…?それなら男女のもめごとというか。
彼の方を訴えるのはやめたほうが無難だと思いますが」
弁護士の説明的な言葉には、私への侮蔑が込められてる気がした。
「経緯は違えど、私が騙されてたのは事実じゃないですか……!離婚間近じゃなかったら絶対に不倫してないです!」
何度言ってもどこへ行っても、どこも似たような反応ばかり。
『証拠という証拠がある仕方ない。戦うだけお金の無駄になりますよ?』で終わる。
(じゃお金払うしかないってこと?)
圭太は、お金を肩代わりする気も何もないと言っていた。
そんなときだ。
SNSでつぶやいた私の愚痴にリプライがたくさんついた。
『ひどすぎてかわいそ』
『奥さんには普通に払え』
『これだから浮気脳は』
『既婚者って知ってんじゃん。自業自得でしょ』
『なんでわざわざ不倫すんの?その時点でアウトなのに』
(どいつもこいつもっ……!)
スマホをぶん投げそうになる直前、その中の1つだけ有意義な返信を見つけた。
『奥さんは無理でしょうけど相手の男性だけを訴えるなら可能かもしれないですね』
(そっか……。そっか……!圭太くんが、くれないなら、お金。むしり取ればいいんだ)
(圭太君を訴えて、奥さんに払う分の慰謝料、奪い取ればいいんだ!)
あれだけいいマンションに住んでるんだから、お金は持っているはず!
(でも弁護士雇うのに、お金払いたくないなぁ)
そもそもコレって騙されたんだし私悪くないよね…?
今まで貯金はしてきたけど、正直慰謝料を払えば全部なくなってしまう
そんなの嫌。
「あっもしもしママ?あのね、相談したいことがあるんだけど」
次の週末、私はパパとママに会いに実家へ帰った。
すると、結婚して家を出ていた2つ上の姉も帰ってきていた。
「あれっ?どうしたの?」
「最近仕事辞めて。ちょっとしばらく休養期間ってことで帰ってきたの」
そう話す姉の目元にはクマがあった。
昔から固い姉だけど、よっぽど疲れてるらしい。
「あゆは?実家に帰ってくるの珍しいね」
「ん~なんでもないよ?駅ビル行くの?後で私も行くからごはんでも食べよ」
でかける姉を見送り両親に相談すると、当然圭太を怒ってくれた。
「そんなひどいことするなんて…かわいそうに」
「相手の男を一発殴らないと気がすまないぞ!」
「パパ、暴力はダメだよ」
パパをなだめる私の頭を、ママは涙ぐみがら撫でた。
「でもそれなら奥さんの慰謝料なんて、払う必要ないんじゃないの?」
「それは…そうかもなんだけど、いろいろ脅されてて」
「あゆ…一度ちゃんと相手の弁護士と話した方がいいぞ?あっちはあっちで有利になる証拠しか出さないだろうから。脅されてるって言えば、きっと対応も変わってくる」
「い、いいの!関わらないほうがいい部類の人で……。細かいことは大人だしちゃんと自分でする。パパとママをこんな形で巻き込んで申し訳ないし、私も真剣だったからその分辛くて……」
だから、お金だけ出してくれればいい。
「親にできることがなんでこんなに少ないんだろうな」
悔しそうに話すパパとママに、ちょっとだけ心が痛んけど、嘘は言ってない。
快くお金を出してくれるというパパとママのおかげで、実家の近くで評判のよさそうな弁護士を探しているときだった。
「あゆ…ママたちから聞いたけど結婚詐欺にあったの…?」
「あ、うん」
スマホ片手に調べていたし、お金を借りれたことで私はだいぶ気が緩んでいた。
「相手の男がマジでありえなくてさぁ。離婚寸前だっていうから
信じてたのに、私を連れ込んだ部屋で奥さんと一緒に住んでんだよ?慰謝料代わりに払ってくれないから、訴えて払わせようと思って」
姉妹で話す、軽いジョークみたいなつもりだったのに。
『マジで?最悪だね』
そう一緒に同意して、応援すると言ってくれると思ってたのに。
姉は一気に般若の表情へと変わった。
「それ……不倫したってこと?」
「え………何で怒ってんの…?」
「ちゃんと答えて。既婚者って知ってたなら、結婚詐欺でも何でもないでしょ」
「いやっ……離婚したら結婚しようねって言われてたんだよ??」
詰め寄ってくる姉に、しどろもどろ返事をする。
「すぐに離婚するつもりって言ってたし、奥さんとも別居してるって言ってたし!結婚詐欺と変わらないよ!」
話の流れと空気が、なんだかおかしい。
「相手の人から慰謝料請求されてる理由がわかった……」
「ちょ…なんでそれ」
「ママたちが言ってたか……遅かれ早かれ、バレてたんじゃない?
パパは相手の弁護士とアンタ抜きで話すって言ってたから」
「な、なにそれ。そんなの困るよ!」
「困るってなに⁉自分の嘘がバレちゃうこと?よくパパとママに自分がしたこと嘘ついてお金せびれたよね…!っていうかお金出すなら、確認するのが当たり前でしょ」
「なんでお姉ちゃんがそんなに怒んの⁉」
「たまたま帰ってきて人の問題に口出さないでよ!」
「………じゃあ聞くけど、アンタに一切非はないのね?」
両親を騙した時とは違い、チクリと心臓に針が刺さった。
(イヤな言い方するから……っ!)
「……別にない。先に嘘ついたのは、あっちだし」
「あ、そう」
私の言葉を聞くと姉はすたすた両親のもとへ。
「余計なこと言わないで!」
「どうせすぐバレるよ」
すぐに追いかけて姉を止めると、逆に両親がなにごとかと部屋から出てきた。
「どうした」
「別にっ」
この時すぐにでも姉の口をふさぐべきだった。
「パパ、ママ。あゆ、結婚詐欺でもなんでもないよ。自分で不倫したんだって」
「⁉」
「お姉ちゃん⁉」
「お金出すだけ無駄!減額するにしても自分で弁護士代払わせて!」
じろりと私を睨む姉の言葉と圧が重くのしかかる。
パパとママは絶句していた。
部屋に戻ろうとする姉を、子どものころのケンカみたいに思いっきり引っ張った。
「勝手に口出さないでよ!!」
だが、私がひっぱたくよりも強く、姉は私の方を叩き返してきた。
「アンタさぁっ……!浮気された側の気持ち、考えたことないの?」




