4(居場所)
*
依然、陽は昇って陽が落ちる。外の世界はあやふやで、どうにも分かり難い。保護ジェルを塗る時、彼女の手が触れる時、その手を通して、世界の断片を知り得る。けれども彼女の思いは定まらず、あちらこちらへ直ぐに飛ぶ。だから、いつもと違っているのを感じたのは余程のことだと理解する。ジェルを塗る彼女が、不穏な不安を抱いているのを理解する。
「今日は天気が悪い」彼女が云う。「風も出てる」
脅えている。それとも警戒?
「大昔に、あたしたちとあんたは分かれた」それは遠い時代のことで。「あたしたちは」彼女はそこで口をつぐみ、少しの間の後、続ける。「クラスターは公共社会を作っている。誰の子供でもなく、誰の親でもなく、皆の子供で、皆の親で、皆のお年寄り」
どこか遠くで、唸るような音を聞く。
「あんたたちが宇宙に飛んで、あたしたちが進化するその頃、もう一つの分岐があった」
──何のこと?
ため息。「あんたって興味はないの?」じれったそうに、「好奇心、落っことした?」
──悪い事なの?
「知らない」
ジェルを塗る手が止まり、「よし」わたしから離れる。「行くよ。今日は昨日より、もっと進みたいからね」
ぐい、と動き出す。
彼女にだって、分からないことがあると知り、わたしは少し気分が良い。
唸るような音は続く。遠くにあったそれは、いつしか鮮明になる。やがてそれが大きな振動になる。
*
「まずい」声を落として彼女が云う。「大雨になる」
彼女の脅えが伝染し、わたしをも不安にさせる。良くないことが起こる予感。酷いことが迫る予感。やがてそれが現実になる。低く静かに迫り来る。
彼女が荷物をひっくり返す。ひどく焦り、ひどく慌てて──震えてる?
然う斯うする間に囲まれる。
膨らむ思念はじっとりとし、乱雑で、意思でなく、荒々しいまでに直情的。わたしの知る何にも似ていない。
リッチブラック? キープレート?
どんな色とも違う。こんな色、知らない。
「来るなァ!」
彼女は嫌悪も顕に、濃厚なシアンとマゼンタを放つ。手にしたものを打ち付け、甲高い音を響かせる。取り囲む思念は一瞬、途切れるものの、包囲は着実に狭まっている。
ガン、ガン、ガン!
鋭い音で抵抗するも、それらはまるで様子を窺うように、離れない。
「近寄るなァ!」
彼女の叫びは大気の中へ吸い込まれる。空がゴロゴロと唸っている。
「構うなァ!」
バンッと世界がはじけた。場を恐慌が支配する。
「……あいつら飛びかかるつもりだ」
──乗って!
彼女に思いを投げる。彼女は躊躇う。「出来るか!」ガンガンと打ち鳴らす。「どっか行けぇ!」虚勢を隠し切れずに。
輪がさらに狭まる。
──上に乗るの!
怯え。逡巡。シアン。マゼンタ。イエロー。
──早く!
「分かったよ!」
彼女が触れる。ごた混ぜの色が奔流となって流れ込む。震えながらわたしの上によじ登る。ジェルに足を取られ、指が滑り、それでもしがみつき、荒い息を吐く。
再び世界がはじけ、空気が爆発する。空が割れ、雨の塊が落ちてくる。
「立ち去れェ!」
声が風に攫われる。彼女の意思は、わたしを通し、全方位に拡散する。彼女の中に、相反する意思を認める。
「自分たちの居場所に帰ってよ!!」
激しい思いは増幅され、空に負けじと破裂する。卑しく猛々しい様相は萎縮し、離れ行く。何もかもがぐちゃぐちゃのまま、嵐は唐突に収束する。濁ったシアンの恐怖と恥辱が滲み出る。
わたしは待つ。彼女がわたしの上から降りるまで。すすり泣きが消えるまで。




