3(陸を捨てた)
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陽が昇って陽が落ちる。一日は、「おはよう」で始まり、「おやすみ」で終わる。行き先までの距離も場所も分からない。
地上では平面座標で位置を知る。自分を中心とする相対性と、惑星の持つ絶対性。彼女は進む。あらかじめ知ったる先へと。わたしの知らぬ目的へと。
地上に落ちたわたしは、じわりと、しかし確実にカゴの崩壊を感じている。内から、外から、剥がれいくのを止めるなんて、知りようもないことを対策できようもない。
彼女は昼の合間合間に進行を止め、保護ジェルを塗り直し、暫し休んで、再び進む。
真っ直ぐと。迷いなく。
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人類は、思念を感知できようランダーを設計している。空を越え、地上の出来事を知る手だてになる。今、わたしは思いをうまく掴めない。地上に落ちた所為だろうか。痛んでしまったカゴの所為だろうか。
「本当に分からないんだ」彼女は云う。「いいや、分かっていないんだね。あたしたちは何でもかんでも、あんたに教えてないよ」
そんなこと出来る筈がない。
「それが出来るんだな」
彼女を憎らしいと思う。
「どうしてあれもこれもと、手取り足取り面倒見てやらなきゃいけないのさ?」
──でも、相性がいいって。
「それとこれは別だよ、木の実人間」ハッ、と嘲笑する。「お生憎さま! あたしたちは選択することができる。だからあんたは知らないままでいられるのよ!」
──デタラメを云わないで!
思いがけず強く放ったマゼンタに、彼女が身をこわばらせる。
──あなたは、わたしの人形なのよ!
「何、云ってるの?」
今度は彼女が剝き出しの怒りに満ちた濃厚なマゼンタをぶつけてきた。「地上を逃げ出したあんたたちに、どんなお義理があるって? あんた何年目? 何年ぐるぐる廻ってた?」
──十三周期を、二回。
「残念!」高らかに彼女が笑う。「あんたはもうすぐ六十周期!」
バカな!
「もう数えることもできないよね。分からないよね。それが証拠」
シアンとマゼンタが混じった意地の悪い思念が伝わってくる。悪意の思念が流れてくる。
「あんたの殻は耐性年数を過ぎている。あんたは、外宇宙に出られない」
……だったら、わたしはどうなるの?
「さぁね。ご希望ならここでお終いにして、置物になる? 冷えて固まり、石になればいい。落ちてきた時より殻もずっと萎んでるし、そう時間はかからないでしょ」ふん、と鼻息。「ご希望なら殻割りくらいはしてあげる」
わたしに、彼女を壊すことが出来るだろうか。壊せるだろうか。壊せたら自由になれるだろうか。空へ戻れるだろうか。成熟したと認められ、再び宇宙へ帰れるだろうか。
わたしに、出来るだろうか。
「未練がましいのよ、あんたたちは」彼女は静かに続けた。「地上のあたしたちより本が大事? バカにしないで。ヒトを人形にしないで。あたしたちは道具じゃない。置き去りにされた惨めで可哀想な代替人形じゃない。あたしたちは地上で生きて老いて死ぬ。全部、あたしたちの都合。無責任に楽園とやらへ飛んで行くことなんてない」
彼女は都合の良い話だけをしていないだろうか。思念を探ろうにも、色が、彩度が、もやもやと渦巻いて分からない。
「楽園なんて、どこにもない」
──それなら、あなたたちは地上で何をしているの? 何を求めているの?
「楽園ってのは用意されてるものじゃなくて、自分たちで作って守って、最期の時、倖せに死ねる場所でしょ」
──わたしたちと何が違うと云うの?
「それって気にすること? あたしたちとあんたが行きたい先は、向きが違うだけで本質は大差ない」
──一緒にしないで。
「ほら、それだ。あたしたち、あんた。あんた、あたしたち。一緒じゃない。バカの一つ憶えみたいに違う別物、紛い物。同じはダメ。違わないとダメ。ほんっと石頭だ」
ごつごつと、外から叩く。「どっちが良いとか悪いとかじゃない。イイトコ取り上等。適応力がないからウン世代経っても変らない。世界は不可逆だってことを認めるべき」
──あなたこそ、わたしを枠にはめてる。
「檻から出られないじゃ、違わないでしょ」
わたしは黙る。思念を閉ざす。
「つまらない人生だな」ぽつりと小さく。「そもそも人生なの?」
それは問いではない。
「あんたたちも分散情報網を構築してたら、こんな面倒なかったかもね」
そっと手が触れる。「あたしたちは群人。個人でもあり、集団でもある。知識と知恵を分散化し、冗長性を持つ群体。個人は社会のために、社会は個人のために。残された共同体を共生態として発展させた。あたしたちは本を捨てたわけじゃない。不要になっただけ。あんたらが教えてくれたことだ。同じ轍は踏まない。死んでも知識は復元できる」
そして云い添えるように、「でもまぁ、統計的に問題無くても、一度にごそっと消えたら、ちょっとは困るかも」
──完璧じゃないのね。
「不完全で当り前なんだ。それで亡くなるなら大したことじゃない。ずっと云いたかった、後生大事に、本、本、本。バカでしょ」
そして彼女は黙り込み、やがて呟くように、「本当に……バカなんだから」
──本を殺したのはあなたね。
「ずっと保護液の中で可哀想だと思った。読まれない本なんて、本じゃない」彼女の手が離れる。「そんなの、本じゃない」
許せない、と思う。けれども彼女は、
「陸を捨てたあんたたちに、そんなこと云えるの?」
わたしには答えられない。




