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エリサの執務室にすとんと落ちてきたのは、やけに晴れ晴れした表情のリュイスだった。
「……何があった?」
これほど喜びを前面に出しているリュイスを見るのは、およそ十七年ぶりのソーニャはもちろん。アハトやエリサも、露骨に怪訝な顔を向けている。
「何だか嬉しそうだね」
どんな緊迫した状況であれ、場の緊張感を台無しにする、大いにのんきな問いかけをするのはヘンリクだけだ。
今は、エリサたちを脱力させる効果しかない。
「兄上が、即位されるそうです」
察したエリサとアハト、ソーニャはそれぞれに「ああ」と納得したため息をつく。
一度もリュイスの兄に会ったことのないヘンリクは、不思議そうにこてんと首を傾げている。
「とうとうハゲダヌキが引退するのね。清々するわ」
「でも、ハイヴェッタは攻め込まなくなりますね。何か手を打たないと、ソーニャさんのストレスがたまりますよ?」
「その辺りは考えてあるから大丈夫よ」
浮かべられた笑みの黒さで理解したアハトは、ハァッとため息をつきつつ口を開く。
「で、戴冠式には誰を連れて行くんです?」
「紫衣は全員。それから、エルミと青衣よ」
「じゃあ、急ぎだって、ヒリヤちゃんに伝えてきますね」
以前、再建三百年の式典で、専用の衣裳を新調しているアハトたちはともかく。エリサとエルミには、新しい正装を用意しなくてはいけない。それはヒリヤたち、針子の仕事だ。
エルミは次の女王として、他国の人間に顔を覚えてもらうのが、主な目的になる。
ヒリヤに伝えるため、さっさと部屋を出たアハトを見送った後。エリサはボソリと呟く。
「ところで、あのハゲダヌキが、よく退位を承諾したわね」
「ああそれは、ここ数日危篤状態だったんだけど、今朝方亡くなったって兄上が」
そう聞いて、表情ひとつ動かさないエリサと違い。ソーニャはあからさまに眉をひそめる。
「……葬儀には出ないのか?」
「エリサ姫の魔術師って形なら出るつもりだけど、息子としては参列しないよ」
リュイスの複雑な家族関係を知っている。だから、エリサとソーニャは、自然と微妙な顔つきになった。だが、リュイスに気にする様子はない。
ハイヴェッタの城で生きてきた時間に匹敵する長さを、すでにアウリンクッカで過ごしている。そんなリュイスは、母親を死に追いやり、自分を利用するだけ利用したハイヴェッタ王を、父親だと思ったことはない。そもそも、思いたくもないだろう。
「そんなわけで、僕は兄上の戴冠式だけ出席するから」
葬儀に参列しなかったことを、後でチクチク言われるのは覚悟の上だ。
純粋な気持ちで、身内だと認めてくれた唯一の存在。その兄の即位を祝うためならば、たとえ誰に陰口を叩かれても、リュイスは胸を張っていられる気がした。
「……親不孝者だって、言いたい?」
ざっくり突き刺さる、ソーニャの視線を受けて。リュイスはおどけた顔で、ひょいと肩をすくめてみせる。
「そりゃ、ソーニャから見たらそうかもしれないね。母様の葬儀も出さずに、あんなボロ小屋にそのまま捨て置いた人間を、僕は父親だなんて思いたくないね」
死を看取った時と変わらぬ格好の白骨が、今にもボロッと崩れ落ちそうな小屋に置き去りにされている。その光景を、空間移動の魔法でふと訪れたリュイスは、まざまざと目撃したのだ。
悲しいのか、哀れと感じたのか、はたまた憤りか。ポロポロと、涙がこぼれて止まらなかった。
泣きながら近くに穴を掘り、何度も往復して運び、母を埋めた日のことは。いくつになっても、リュイスの中で鮮やかによみがえるのだ。
「あいつも僕を手駒としか思ってなかったんだし、その辺りはお互い様ってやつだよ」
ひどく皮肉な笑みを、片方の口端にゆるゆると浮かべたリュイスに。おもむろに腕を組んだソーニャは、静かに首を横に振って、ゆっくりと口を開いた。
「私には、親を憎むリュイスやアハトの感情を、正確には理解できない。だから、死を看取ることもなく、葬儀にも出ないというリュイスを、親不孝者だとなじることも、薄情だと斬り捨てることもしない」
ふぅ、と息を吐き出し、息を吸う。
「ただ、ハイヴェッタ王がいなければ、今ここにいるリュイスは存在していなかったのだと、私たちやリリヤと出会うこともなかったのだということを、よくよく思い出して欲しい。この世に生み出してくれたことを、感謝するくらいはしてもいいと、私は思っている」
ソーニャの言葉に、リュイスはハッと目を見開く。
「私は、アハトの両親が倒れた日には、せめて死に顔くらい拝んでこいと追い出すぞ。一人で行きづらいならば、一緒に行ってもいい」
一度たりとも、まともに顔を合わせたことはない。けれど、彼らがいなければアハトの存在もなかった。そのことを、ソーニャは知っている。
自分が騎士として、この場にいられること。それには、イクセルとともに自分を産んでくれた、実の両親だけでなく。母親代わりとなって、自己強化の呪文を教えてくれたティルダも必要だ。そして何より、剣だけでなく、騎士としての心構えをこの身に叩き込んでくれた、父親同然のイストがいたおかげ。
そう、理解しているからだ。
「こっそりでいい。死に顔を見て、生まれるきっかけをくれた礼くらいは、きちんと言ってこい」
呼吸も忘れて、しげしげとソーニャを凝視していたリュイスは、小さく笑ってため息をつく。
「これだから、ソーニャには敵わないんだよね。本当に、昔っから、小細工も泣き落としも通じないんだから」
「そんなものが通じるのなら、リュイスと会う前に、アハトがさっさと落としていてよ」
「ああ、それはそうだね」
どちらからともなく、顔を見合わせて笑うエリサとリュイスを交互に眺めて。ソーニャは、何だか妙に笑いたい気持ちに、さりげなく身を任せることにした。




