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戻った翌日。シーヴと午前中の訓練を終えて、のんびり歩いていると。
「シーヴ様、聞いてください!」
突然、フッと目の前に出てきた騎士の拳に。シーヴの顔は、思い切り殴られた格好になる。
相当痛かったのか。シーヴは思わずといった体でしゃがみこんで、唸りながら顔を押さえた。
「うわっ、すみません!」
謝罪はしたものの、よほど聞いて欲しいことがあるのか。彼は同じように、すとんとしゃがみこむ。
(何、こいつ?)
顔には、何となく見覚えがある。だが、名前は出てこない。
それよりも、なぜわざわざシーヴのそばに座り込むのか。そこがまず、理解できない。そして、何よりも、自分より距離が近いことにイライラさせられる。
「今度の休みに、一緒に出かけてくださいって、ヨハンナにダメ元で言ってみたら、シーヴ様と出かける約束が先だからダメだって、言われたんです……」
聞いているのか、いないのか。しゃがみ込んでいるシーヴからは、判断できない。
よほど打ち所が悪かったらしい。声も出せないシーヴが、急に気の毒になって。呆れたため息をついてから、サッと治癒魔術をかけた。
「大丈夫?」
「……ああ。もう痛くはないが、目に何かが入ったような気がしたんだ」
殴られた拍子に、ゴミでも入ったのか。
ちょっとした好奇心のような、不思議な感情が、フッと湧き上がる。
「確認しよっか?」
心配したふうを装って、ひょいと腰を落として。何気なく、ついでに頭をなでて。シーヴに顔を上げさせると、素直にあっさり手をどけた。
たったそれだけのことが、無性に心臓に悪い。
治癒魔術の効果で、ケガなどは見受けられない。しかし、痛みで流した涙の跡は、しっかりと残っている。
ヴァルトはさりげなく、手のひらで濡れた頬をグッと拭う。
「触るよ?」
下まぶたを、指でちょいと下げて見てみる。だが、異物が入っている様子はない。
「……ゴミは、入ってないなぁ。泣いて流れたかな?」
ヴァルトがパッと指を離すと、シーヴは手の甲で頬を少し乱暴にグイッと拭った。
騎士はぽかんと、間抜けに口を開けて呆然としていたが。遠慮なく突っ込んでくるだけあって、我に返るのも早い。
「シーヴ様、いつの間に、ヨハンナと出かける約束なんてしたんですか?」
「舞踏会の後だ。そういえば、僕とヨハンナの休日が合わない上に、魔術師風邪や父上のことがあって、まだ出かけられないままだな」
女性相手の約束だから、シーヴははっきり覚えている。そして、果たさなければいけないと考えているのだろう。
これが異性との約束ならば。すっかり忘れ去っているだけの時間が、とっくに過ぎている。
そのことを知らない騎士は、シーヴ相手に必死の形相だ。
「じゃあ、今すぐヨハンナと出かけてきてください!」
「無理だ。わけあって、しばらくは、まともな休日はもらえそうにないからな」
シーヴにチラリと見上げられて、ついついあらぬ方を眺める。
彼女よりマシとはいえ。こちらも、今しばらくは、休日を望めない立場だ。
「そんなぁ……」
がっくりと肩を落として、急にふた回りほど小さくなったような。妙な錯覚をさせた騎士は、あまりに憐れだ。
とはいえ、あちこちに迷惑をかけた身としては、何もしてやれない。
「なるべく早く、休日をもらえるように、努力はしてみるが……」
シーヴの歯切れが悪くなるのも、無理はなかった。
騎士は、しょんぼりしていることを隠そうとはせず。けれど、とりあえず納得した顔で小さく頷く。
「一日も早く、お願いしますね」
頭をちょこんと下げ、呪文のようにヨハンナの名を呼びながら。フラフラと宿舎へ帰っていく騎士の背中を見送って。
シーヴとそろって、大きなため息をついた。
「ところでさ、今のって誰?」
「昨日、ヨハンナに好きな人がいるのかを聞かれたんだ。名前は……覚えていないが」
知らなかった事実を、教えられたばかりの名前に。知らず知らず表情が硬くなる。
けれど、シーヴは気づかなかったようだ。
(必要なら、ユリアかアハトさんから報告はあがってるだろうから、放っておくのが一番かなぁ?)
今のところ、ヨハンナの優先順位ではシーヴの方が上のようだ。それがはっきりしたことも、当面の放置を決めた理由のひとつだった。
‡
三日後、ヒリヤに呼ばれて、シーヴは針子部屋を訪れた。
ドアを開けた瞬間に、ドンと目に飛び込んできた、いくつもの試作品と。なぜかそこにいる、ユリアとヨハンナに。頭がクラクラして、思わず額を押さえる。
「伯母上から、ヒリヤが僕を呼んでいると、聞かされたんだが……」
今日は、ズラリと並ぶ試作品を、片っ端から着なくてはいけないのか。
頭痛を堪えながら、後ろ手にそっとドアを閉める。とたんに、ヨハンナに突進されて、ドアにしっかり押しつけられる形になった。
ほんの何センチか高い位置から、ヨハンナに見下ろされつつ。美少女が台無しの、鬼の形相に圧倒されてしまう。
ただただ、シーヴは瞬きを繰り返すだけだ。
「シーヴ様、私と以前、デートの約束をしたことを覚えてらっしゃいますか? お願いですから、あの約束はしばらく果たさないでください!」
「もちろん覚えているし、それはかまわないが……念のために、理由を聞いてもいいか?」
今すぐ約束を果たせ、と言われるならばともかく。逆に果たすなと言われる理由は、ひとつしか心当たりがない。
名前を覚えていないから、名指しで「こいつが原因だろう?」と、問うことができないのだ。
「シーヴは知ってると思うけど、私とお父さんが、陛下に報告するかどうかの瀬戸際にいる、最低で迷惑な男一歩手前の騎士のせいよ」
「ああ、やはりそうか」
毎日毎日、午前中の訓練後を狙ってやってきている。同じように、ヨハンナのところへ日参していると考える以外にない。
「諦めていただくまで、シーヴ様には丸一日の休暇を与えないように。与える場合は、私への時間を取ることのできないように。母からソーニャ様へ、確かに伝えていただいたのですが、心配で心配で心配で……」
その瞬間、ひどく嫌な予感に襲われた。
これまでの経験からくる、野生の勘にも似た何か。それが、あの騎士が、ヨハンナをすっぱり諦めるまで、この身に災厄が降りかかると告げている。
「そんなわけで、イェレミアスが諦めるまで、シーヴの単独休暇はないの」
だからこその、ヒリヤの試作品なのだと察して。シーヴはまったく隠すことなく、深いため息をつく。
「もちろん、私やサーラとばかりじゃ不公平だから、お母さんやヴァルトにも頼んでおいたわ。というわけで」
言いながら、ユリアは嬉しそうに、試作品のひとつを手に取った。早速着てみるように、やや命令の気があるお願いをしてくる。
逆らえない。逆らえる、はずがない。
シーヴはせがまれるままに、ひたすら着替えと披露を繰り返す。
ヒリヤは楽しそうに、新たな試作品の考案に取りかかっていた。




