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「お兄さま!」
「リンネア、お待たせ」
広間に入ったとたん、左側から誰かにドンと抱きつかれた。すぐに相手がわかったヴァルトは、ふわっと破顔して名を呼ぶ。
「何だか、ずいぶんと雰囲気が違うわ。お兄さまじゃないみたい」
花が咲いたような、ニコニコ笑顔のリンネアは、精一杯着飾っている。ゆるやかに巻いた、やわらかく長い髪を綺麗にまとめ上げて。濃い青色の布で作られた、花の髪止めを右側だけにつけている。膝丈のふわふわしたドレスは、ヴァルトの目を連想させる淡い緑色だ。
「これも、仕事のうちだからね。そういえば、姉さんが連れてきてくれたんだっけ?」
保護者の姿が見えず、辺りをキョロキョロと見回すヴァルトに。リンネアは嬉しそうに微笑んで答える。
「ええ! お姉さまはもう、ヨウシアさんのところへ行っちゃったわ」
久々に耳に入った、姉の恋人の名を聞いた瞬間。知った翌日、ユリアに聞き出した情報が、頭をサッと過ぎった。
『イルミさんの恋人? 騎士のヨウシアよ。あいつは顔しか見ていない最低男だから、イルミさんより美人を見つけたら、絶対にあっさり目移りするわ』
やたらと自信たっぷりに、刺々しく言い放つユリアに理由を問えば。
『数年前まで、私にしつこく言い寄っていたんだもの』
『なんかオレ、結末が見えた』
国中の女性が、続々と集まってくるだろう舞踏会で。姉の恋人は、コロッと誰かに目移りしてしまう。そして、いつかはわからないが、姉から怒りの制裁を受ける。そんな姿しか、どうしても想像できなかった。
その後に訪れるのは、破局のみ。
(姉さんに、まともに張り合えるやつなんていないだろうし、そいつ、この辺の街じゃ、二度と恋人ができなくなるだろうなぁ……)
街の誰もが、姉は、女性にしては強いことを知っている。だが、城に上がっている騎士が、勝てないはずはない。そういう認識を持つはずだ。
姉の恋人に関しては、日々の鍛錬不足と受け取られても。まったくもって、同情の余地がない。
訓練場で顔を見た覚えがあるから、比較的訓練に身を入れているはず。そんな姉の恋人が、騎士失格の烙印を押されかねない。そこだけは、さすがにかわいそうだと思う。
しかし、ユリアに玉砕しても懲りずに。また見た目につられて、姉を口説いたのだから、少なからず落ち度はある。
今回は、たとえどんな結果になっても。何もかもに関与せず、放っておくことに決めていた。
「ねえ、お兄さま。シーヴさまは、どちらにいらっしゃるの?」
クイクイと袖を引っ張って催促する、リンネアの可愛らしさについつい相好を崩す。
ただ、今シーヴがいるのは、王族の居住区だ。宿舎暮らしの騎士や魔術師でさえ、滅多なことでは近寄らない。そこに、エリサの許可なく、リンネアを連れて行くわけにはいかなかった。
「着替えの順番待ちをしてるから、ここに来るのはまだまだ先だよ」
「えー。早くシーヴさまにお会いしたいわ!」
待ちきれないのか。そわそわと辺りを見回すリンネアに、シーヴが来たら必ず引き合わせることを約束する。
それから、すでに会場入りしているアハトに、自分が立っている予定の場所を伝えておくことにした。
今回は、事前に決められていない。リンネアのいるいないで変わる場所を、きっちり覚えて当日確認するより。その日に決めた方が、手っ取り早くて面倒がないというのが、主な理由だった。
そもそも、複数の場所を覚えておくと、後で混乱してしまいそうだ。
「見てのとおり妹もいるので、危なくないように、庭への出入り口が近いあの辺りにいます」
指でスッと、場所を示す。
エリサの居場所は、入り口から見て最奥と決まっている。椅子や飲み物を置くサイドテーブルまで、ちゃっかりしつらえてあった。
彼女の近くにいるアハトに見やすく、かつ、騒ぎを起こしたリンネアを守りやすい。そう考えて、選んだ場所だ。
本当に危険だと判断すれば、防御魔術をかけて、庭へ逃げてもらうつもりでいる。
「俺からは見やすいからいいけど、ユリアは大丈夫かな?」
うーん、と唸って考え込むアハトの背中を、ソーニャが軽く叩いた。まるで、怒った時のセナリマがそうするように。
とはいえ、そう見えただけだ。実際には、アハトは大きく数歩、ヨロッとよろめいて前に出た。転ばなかっただけ御の字、というほど、体勢を大きく崩している。
これ幸いと、グイッと耳を引っ張って。ソーニャはアハトの耳元で、何やらコソッと囁いたようだ。
「あ、そうか。忘れてたよ」
どうやら、自分に隠そうとしているらしい。そう察したヴァルトは、彼らから聞き出すことをすんなり諦めた。この様子では、他も知っていたとして、当然口を割らないだろう。
隠しごとをされるのは苦手だ。しかし、同じように巻き込まれた女性を教わってしまうと、そちらばかり気になるだろう。それはそれで、別の問題に発展しかねないことくらいは、いくら何でも理解できる。
今日ばかりは、何も知らない方が、支障がないのだ。
今決めた場所へ行こうかと、ふとリンネアを見下ろせば。キラキラ輝く目を、アハトとソーニャにジッと向けて、うっとりとしていた。
(……ソーニャさんとアハトさんもなのか)
他者に、ほとんど関心を向けないソーニャはともかく。アハトはすぐにリンネアの視線に気づいて、いきなりふわりと抱き上げる。
「ねえ、ソーニャさん。ユリアもこんな可愛い頃があったよね」
「見た目はな」
情報を得ること。他人の観察と、その結果の記憶。それらを得意としていたユリアは、愛らしい外見とは裏腹に、ひどく冷めた子供だった。
日々まとわりついてくるリクを、その日の気分次第で。気まぐれに相手をしたり、面白くないから軽くあしらって流したり。そのため、ニッコリ浮かべる笑顔には、絶対に何か裏がある。そうとしか思えなかったほどだ。
リンネアのように素直で可愛いとは、お世辞にも言えなかった。
「中身はもう、どうしようもないでしょ。俺とソーニャさんの、悪い方を足しちゃった感じだからね」
にこやかな笑顔を浮かべて。全身と、左腕一本で懸命に抱き上げたリンネアを支えながら。アハトは、強引に空けた右手で、リンネアの頭をそっとなでる。
それから、リンネアのほんのり上気した、やわらかな頬に。やんわりと唇で触れてから、ヴァルトの隣に彼女をゆっくりと下ろした。
腕どころか、全身がプルプルと震えていたことは。きっと指摘しない方が、これからを平穏無事に過ごせるはずだ。
アハトは、少しずつ人が増えてきた広間を、グルリと見回す。
「今のところは、特に問題はないかな? まだ時間はあるし、逃げる時の参考程度に、リンネアちゃんに庭を案内してあげたら? この時間だったら、姫の自慢の花も十分見えるよ」
「お兄さま、ぜひ行きましょう!」
アハトの言う姫が誰を指すのか、リンネアにはよくわかっている。
そもそも、彼がそう呼ぶのはエリサただ一人と。目と鼻の先に城がある街で、知らない者の方がよほど珍しい。
腕をガッとつかんで、ズルズル引きずるように。ヴァルトはリンネアに連れられていった。
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思わず感嘆の息をこぼすほど。鮮やかな手並みで、あっという間にヴァルトを追い払ったアハトに。ソーニャはボソリと、「見事だな」とだけ呟いた。
「ソーニャさんに似た、綺麗で可愛い女の子だったら、もう一人いてもいいよね」
「まったく……そろそろ、年を考えてから物を言え」
悠然と腕を組み、キリキリと目尻を吊り上げて。アハトをキッと睨みつけたソーニャは、ようやく顔を見せたユハナたちにフッと顔を向ける。
「それこそユハナに、そっくりな孫娘を作ってもらえばいいだろうが」
自分でも無茶を言ったと思っているのか。きつく睨まれて、アハトはひょいと肩をすくめた。直後、ひどく真剣な顔で、深く考え込む。
「……でもさ、俺には貸してくれなさそうじゃない?」
本当に、ソーニャに似た孫娘だった場合。
性別や関係を問わず、きっちり厳しく接するソーニャはともかく。ただひたすら甘やかすばかりになりそうなアハトは、抱き上げることすら断られそうだ。
「だいたい、貸し借りするものじゃないだろう? もしくは……そうだな、シーヴに頼んで来い」
「まあ、確かに貸してくれそうだけど……シーヴちゃんはまだまだ先でしょ」
「それはどうだろうな」
口の片端だけでニヤッと笑うソーニャに、アハトは不思議そうに首を傾げる。
アハトの知る、城内の独り身の中で。きつい目元のために、冷たい印象の強い顔立ちのシーヴを「年頃の異性」と認識している者はいない。
訓練時に顔を合わせているだけでは、じっくり見ることもできない。だからなおさら、シーヴの本質に気づけないのだ。
ソーニャが十七、八歳の頃は、ソーニャ自身が名も知らない騎士たちから、求婚が相次いでいた。自分たち側に取り込んで、民衆の人気を得ることを主目的にしている者ばかりで。
彼らにとって、ソーニャの容姿も性格も、さげすむ対象にしていたその出身さえも。人気を得られるなら、どうでもいいことだった。
「ソーニャさんの時もそうだけど、ちゃんと見ないのはもったいないよね。こんなに綺麗で可愛い人なんだから」
ますます表情のなくなるソーニャに、ニッコリと微笑みかけるアハトを無視して。
不意に思い出した顔で、ソーニャはヴァルトが消えた庭の方をジッと見る。
「そういえば、姫様が、ヴァルトとアハトが似ていると言っていたな」
「それって、休暇は取らないわ、無理に休ませても城から出ないわとか、そういうところでしょ」
「なんだ、自覚していたのか」
ユリアほどではないが、ソーニャは休日には街へ顔を出す。セナリマやマリッタ、リリヤに会いに行くのが主だ。そのついでに、フラリと買い物をしたりもする。
だが、生家とおおっぴらに縁を切っていたこともあって。城に上がった後のアハトは、そのほとんどの時間を城の敷地内で過ごしている。しかも、用事がない限り、部屋でひたすら静かに本を読んでいる子供だった。
王女魔術師になってからは、ソーニャについて庭を出歩くようになった。それでも、休日にやっていることは、普段と何も変わらない。当然、街へ出て行こうとは、絶対にしなかった。
「ヴァルトくんも、いつも城の中にいるなって思っててね。俺はここが家だけど、街に家のあるヴァルトくんの帰る回数が、どんどん減ってるのはちょっと気になるかな」
「いつだったか、ヴァルトは自覚のないアハトみたいだと、姫様が笑っていたぞ」
それだけで理解できたのか。アハトは顔を左手で覆って、ため息とともに天を仰いだ。
そう言われれば、思い当たることがいくつか、なくもない。
「姫ってば、人のことは散々妨害したくせに、自覚がない方は応援するんだね」
「アハトでもない、自覚もしていないのでは、妨害しても楽しくないそうだ。だが、あの口振りでは、自覚しようが邪魔立てはしなさそうだな」
「さすがは姫だね……」
よかろうが、悪かろうが。自分のもの、もしくは、敵と認識した相手には、何があっても容赦してくれない。それが、変わらずそばにいたいと思える、エリサの良さだ。
急に黄色い声が上がったので、そちらを見れば。ちょうど、ユリアが支度を整えて顔を出したところだった。
いつもの数倍、キラキラと輝いて見える。その穏やかでやわらかな微笑みが、まさに天使のようだ。
「ユリアであそこまで化けるなんて、ヒリヤちゃんが総担当したら、誰だかわからなくなりそうだね」
「アハトは、わからなくなるのか?」
「たとえ、ソーニャさんにそっくりな人が出てきても、俺は間違えたりしないよ」
ソーニャに真っ直ぐ見つめられて。アハトは迷うことなく、あっさり否定した。
どんなささいな表情の変化も見逃さないよう、ひたすら追い続けてきた。少し毛先を切りそろえた程度の、ささやかな変化にさえ気づけるようになった。
多少出で立ちが変わったくらいで。どれほど似通った人間が現れたところで。見失うことも、見間違えることも、あり得ない。
「ということは、ユリアの予想どおり、なかなか面白いことになりそうだな」
「……つまり、今回の後始末は全部俺ってことだね」
ここ最近、何となくヴァルトに押しつけていた。厄介で面倒なものが、久々に自分のところへ回ってくると察して。
アハトは小さく、重いため息をついた。




