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 エリサを襲おうなどと考える、とんでもない不届き者は、さすがに存在しなかったのか。いるにはいたが、あまりに熱狂する民に阻まれて、一切手出しできなかったのか。はたまた、報復が恐ろしくて、どうしても実行できなかったのか。

 演説を始めとする記念式典は、取り立てて何事もなく終了した。

 エリサの命で、一足先に戻っていたソーニャが手早く作った遅めの昼食。それを城に戻って、全員で食べる。

 ホッとして、ゆっくりと休憩している暇はない。まだ明るいうちから、続々と訪れる参加者たちを。素早く舞踏会用の服に着替え、出迎えなくてはいけなかった。

「ようやく、少しだけ休めるな」

 どうせまた、好き勝手にいじられるから。

 そう言ってヴァルトは、記念式典が終わったとたんに。クシャクシャと、自分でいつもの髪型に戻してしまった。

「ヴァルトも飲むか?」

 ぐったりと机に突っ伏している彼に声をかけ、花の香りを移した茶葉で淹れた茶を差し出す。

 人手の問題で、重要度の高い者から順々に、手早く着替えを始めている。ユハナと並んでいなければいけないサーラは、ユリアとともに着替えに向かった。

「急がなくていい分、かえっていじられる時間が長い気がするけどなぁ」

「そうかもしれないな」

 シーヴにあっさり同意されて、ますます気落ちする。

 気分を変えるために、程よい温度に冷まされた、甘い香りの茶を飲む。喉から鼻に抜けたのは、かすかに香る桃の匂い。

(あー、これ、花の時期につけて置いといたんだなぁ……)

 だから、いくらか香りが飛んでしまって。飲むまで、何の花か、いまいちわからなかったのだ。

「そろそろ、誰か戻ってくるか?」

 ボソリと呟かれ、ついと食堂の入り口を眺める。

 最初に顔を見せたのは、ソーニャとアハトだった。

 年齢にふさわしい、しっとりと落ち着いた化粧より。普段と違う髪型より。体の線がはっきりわかる、体にピッタリした茶色のドレスに。左足に入った深いスリットから、チラリと覗く足に。

 知らず知らず、目が行ってしまう。

 有事の際、自由自在に蹴りを繰り出せるように、との計らいで。下には、ドレスと同じ素材の、丈の短いズボンを履いているようだ。

「伯母上のはいいな。次は、僕もそういうのを頼みたい」

「残念だが、ヒリヤは最低でも婚約しないと、これを作ってはくれないぞ」

 婚約どころか、好きな相手さえいないはず。

 だからなのか、シーヴはそれを聞いてがっくりと肩を落とす。その様子が、よほど面白かったのか。アハトが笑いながら、理由を教えてくれる。

「ヒリヤちゃんの方針で、そばで守ってくれる人がいないと、足を出したらダメだって決まってるんだよ。ソーニャさんは、結婚してからヒリヤちゃんが針子頭になったから、別に問題なかったんだけどね」

 それ以前はどうだったのか。

 ほんの少し、好奇心が首をもたげたが。やけに難しい顔をしているソーニャにはもちろん、アハトにすら。この場で尋ねることはためらわれた。

「シーヴがお茶を淹れたのか?」

 不意に、ソーニャが問う。食堂いっぱいに、ふわりとただよう花の香りは、ごまかしようがないだろう。

 ヴァルトやソーニャを含め。飲めれば何でもいいと思っている人間は、茶葉にわざわざ香りを移したりしない。

 ユリアに淹れてもらって以来、気に入ったのか。シーヴはよく、じっくりと手間をかけた茶を淹れるようになっていた。

「いい匂いだね。俺たちにも淹れてくれる?」

「わかった」

 給湯室へ向かうシーヴを見送ってから。アハトはさりげなく椅子を引いて、まずはソーニャを座らせてから、彼女の隣に腰かける。

「ヴァルトくん、姫の無茶を聞いたんだって?」

 体よくシーヴを追い払った、アハトの突然の問いかけに。一瞬、何か無理難題を吹っかけられただろうかと、しばし考え込む。

 やがて、思い当たるものを思い出した。

「あー、あれですか? 他に適任はいないし、陛下の無茶ってわけじゃないですよ」

「いや、姫様のわがままだ。アハトとユリアが、そろって目を光らせていれば十分のところを巻き込んだのだからな。次からは、容赦なく断ってかまわないぞ」

 自分がやる必要はなかったと、ソーニャにまで言い切られて。うまく言いくるめられたと察したヴァルトは、ゆがんだ苦笑いをこぼすしかない。

 演説もそうだが、エリサはとにかく口が滑らかだ。

 それが事実であれば、ことさら問題はない。しかし、嘘だとわかっていても、ついつい騙されてしまいそうなほど。真実味のある理由を、つらつらと並べ立てる。

 それでも、ずっとそばにいて、すっかり慣れている。そんなアハトたちは騙されない、ということなのだろう。

「城は女の子が少ないから、確かに各個撃破でどうにかなるけど、外の子たちにまで、しつこく追われることになるかもしれないよ?」

「追いかけ回されたことのある男は、さすがに言うことが違うな」

 くつくつと声に出して笑うソーニャに、がっくりと脱力しつつアハトが告げる。

「まあ、ヒリヤちゃんやレーナちゃん並みの子は、そうそういないだろうけどね。でも、国中から集まれば、やっぱりゼロってわけじゃないだろうし。警戒するに越したことはないよ」

「わかりました」

 元々、どうしてもシーヴを紹介して欲しいと、リンネアに懇願されている。妹の欲求が解消されるまでは、ベッタリ張りつかれている予定だ。

 可愛い可愛い妹の目の前で、そうそうおかしな真似はできない。

 ちょうどここで、ヴァルトのものとは違う香りの茶を淹れて、シーヴが戻ってきた。

「ユリか」

「ソーニャさんにピッタリだね」

「伯母上の刺繍がユリだったのを、ふと思い出したんだ」

 すぐ飲める温度まで、きっちり冷まして持ってきた。そんなシーヴの心遣いに感謝し、二人は口をつける。

 ただよう香りは、花そのもので少々きつい感じがした。

 恐らく、その場で茶葉に香りをつけたのだろう。今の時期なら、ユリの花はその辺の花瓶に入っている。

「おいしいな」

 一気に飲み干し、ドンとグラスを置いたソーニャは、すっくと立ち上がった。そして、じっくり味わって飲んでいたアハトを急かす。

「姫様より先に行くぞ」

 エリサのことになると、他は一切目に入らなくなる。それが常のソーニャに、ニッコリと笑顔を向けて。アハトは空になったグラスを、そっと机に置いた。

「あ、ヴァルトくんは、そろそろ着替えに向かってもいいと思うよ。シーヴちゃんは迎えが来るまでここで待機」

 伝言を頼まれていたらしく、不意に思い出した顔で告げる。

 それから、シーヴに「ごちそうさま」と言い残して。ソーニャにズルズル引きずられるように、アハトは連れて行かれてしまった。

「僕はまだ待機なのか」

「気は進まないけど、行かないとなぁ……」

 空けたグラスを受け取って、片づけに行くシーヴとは、食堂の出口で別れた。その足で、渋々針子部屋に向かう。

 針子部屋の外で、ぼんやりと壁にもたれているユハナとリクを見つけて。何気なく声をかける。

「二人とも相手待ち?」

「当然だ」

「僕が最初に見たいからね」

 今では、互いの温度がほぼ同じくらいのユハナたちと違い。ユリアとリクでは、今でもリクの方が温度が高い。

 子供の頃に比べたら、温度差はずいぶん縮まってきていると思う。それでも、アハトとソーニャを見ている限り、同程度になることはなさそうだ。

 やたらとそわそわしている二人に「着替えてくる」と告げて。ドアを叩いてから針子部屋に入ったヴァルトが、着替え終えてぐったりと出てきた時。

 二人はまだ、そこに立っていた。

「……まだなんだ」

「僕たちと違って、化粧したり髪を結ったり、ドレスを着るのに、ひと手間もふた手間もあるんだって」

 さも見て知っているように言うリクだが、もちろんユリアからの受け売りだろう。実際にどうなのかは、まったく知らないに違いない。

「女の子は大変だからなぁ」

 城に上がる前に一度だけ、必死に着飾る姉とその手伝いをする母親を見たことがある。だから、壁の向こうで繰り広げられていた大騒ぎが、それだったことに気づいて。思わず、大きなため息をついてしまった。

「じゃあ、オレは先に行ってるから」

「シーヴを待たないのか?」

 ユハナに聞かれ、わざわざ待つ理由があったかと考え込む。

(別に、ユハナたちみたいに、オレがシーヴを待つ理由ってないよなぁ?)

 待っていて欲しいと、特に頼まれたわけでもなく。何も言われなくても、待っているのが当たり前の間柄でもなく。

 休みに一緒に出かけるような、特別に仲がいいわけでもない上に。はっきりと約束をしたわけでもない同僚が、自分を待っていたら。

 相手の顔がおぼろげなのも、その一因かもしれないが。想像してみたら、かなり薄気味悪い。

 ギュッと眉根を寄せて、ヴァルトは首を数回、横に振った。

「シーヴはまだ着替えにも来てないし、今日はリンネアが来るから、早く行って出迎えたいんだよね」

 本音の部分は決して言わず、事実だけを簡潔に、サラッと伝える。

 今、重視しているのは、両親から今日しか参加の許可が下りなかった妹のことだ。シーヴに会えるのを楽しみにしすぎて、きっと早い時間に来るだろう。

「リンネアにシーヴを会わせないと、帰ってくれそうにないし」

「母さんに顔が似てるし、ユリアと一緒に街に出るから目立つし、今ひそかに人気なんだよな。ユリアが言うには、今日も何人か、シーヴ目当てに来る子がいるらしいぞ」

 シーヴは大変だなぁ。

 思わずそう呟くと、背中をリクがドンと拳で叩いてきた。

「ヴァルト目当ての子は、最低でも両手くらいは来るって、ユリアからの情報。自力でうまくかわしなさい、だって」

「……そういうのはいらないんだけど」

 アハトが必ず「血縁的には姪だけど俺とは無関係」と断るアームも。当然のように、その中に含まれているのだろう。そして、強引だったり必要以上に近づく娘がいたら。リンネアがネチッと、きつく釘を刺してくれることもわかっていた。

 たやすく騒動が起きる環境は、あまりに整いすぎている。

(怒ると結構、本性が出やすいからなぁ……リンネアに害が及ばない範囲で、ちょこっと利用しようかなぁ)

 今日の最大の役割は、騒動を起こすこと。

 そのために、できるだけ女の子を周りに集める。そうして、城の独り身たちの嫉妬を煽るのだ。

 とち狂っておかしな行動を起こした、愚かな騎士や魔術師。それをユリアやアハトに見てもらうことがひとつ。もうひとつは、表面上は慎ましくとも裏のある娘に、うっかり引っかる者が出ないよう。女性たちをうまく刺激して、その本性を暴くこと。

 エリサとのやり取りを思い返して、ふと気になる。

(誰が、オレの逆をやるんだろ?)

 男性の視線を集める、彼女の気を引くために。騎士や魔術師にふさわしくない行動を取る、愚か者をあぶりだす。ある意味、非常に危険な役目を押しつけられただろう女性。

 ユリアのように、エリサの交友範囲まで把握していない。だから、ヴァルトは首をひねりながら、舞踏会の会場になっている広間へと歩き出した。


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