32
「さてと。城に戻る前に、シーヴの分をやっとかないと」
「私もまだまだ、痛めつけ足りないのよねぇ」
これから、何をどれだけされるのか。ガタガタと、恐怖で顔を引きつらせる男を、ひっそりと見下ろす。そんなヴァルトと姉の後ろから、リンネアがぴょんと飛び出してきた。
「シーヴさまの分なの!? わたしにも一回させて!」
妹に甘い二人は、突き抜けたにこやかな笑顔で。まずはリンネアに、思う存分技をかけるよう告げる。
「お姉さま直伝! 奥義! アウリス殺し!」
ヴァルトの治癒魔術を合図に、隙を与えずリンネアは技を繰り出す。
男の悲鳴に、満足げに微笑んで。リンネアは見えないゴミを払うように、手をパンパンと鳴らした。
「お兄さまがいると、思いっきりできて最高だわ!」
「あー、そっか。母さんだと、これを治すだけで大変だったっけ」
防御型の魔術師だった母親には、さすがに荷が重いだろう。
それがわかるヴァルトは、男がいつまでもこの調子ならば。もう少し頻繁に帰って来ようかと考える。
「それじゃあ、私もさせてもらおうかしらね。とりあえず五回くらい」
「し、死ぬ……」
「オレがいる限り、お前は死なせないから安心してろ」
精一杯の抗議に、サラリと現実を返す。準備万端の姉のために、ヴァルトはサクッと治癒魔術をかけた。
何度も聞こえる悲鳴と、物騒な音に。ひょこっと顔を覗かせた母親は、呆れた顔でちょいと肩をすくめる。しかも、ヴァルトがいるからと、そのまま家に戻ってしまった。
肉体的には問題なく癒されていても。毎回の精神的な苦痛は、ひたすら蓄積されている。
姉の容赦ない五回目が、どうにか終わる頃には。治癒魔術をかけられてもぐったりして、動く気力さえなくなったようだ。
「一番被害を受けたのはシーヴだって聞いてるんだけどさ……お前、何をやったんだ?」
ゴロリと仰向けになった男は、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる。
腹が立つ。無性に苛立って、衝動的に両手のひらを男に向けた。
「プキ!」
正確に、男の左頬をかすめる形で。淡い光を放つ小さな投げナイフは、地面にザクッと突き刺さる。
かすめた頬から、すうっと血がにじむ。
「口を割るか、命を失うか。今すぐどっちか選べ」
「……投げ飛ばされてから見たら、よだれが出るくらい綺麗な足だったから、ちょっと触ってみた」
言う直前に男が顔を背けたのは、誰から何が来るのかを、その目で見たくなかったからか。
ヴァルトが動くより早く、無言で姉が奥義を繰り出した。
「そういえばオレ、さっき完治させてなかったっけ」
男のそばに寄って、かろうじて息があるのを確認して。死なせないように、治癒魔術を一回だけかける。
しばらく動けない方が、本人以外には好都合だ。
「ゴミ扱いしたらゴミに失礼だって、よーくわかったわ」
何に例えても、例えた側に申し訳ない気持ちにさせられる。
「こんな変態と同じ家だなんて……もうわたし、街を歩けない……」
「私もよ」
ため息をついて男を見下す姉妹より。さらに深刻な顔で、ヴァルトは城のある方角を、ぼんやりと眺めた。
(昨日から全然顔を見てないのは、ユハナの時と同じってことかな)
「痴漢の弟としては、ちょっと合わせる顔がないなぁ……」
身内の最低な所業で、よりによって引きこもらせてしまった。
げんなりと、息を吐き出したところで。反省の気配すらなく、ヘラヘラしている兄が視界の端に入る。
「プキ! シヴェ!」
もう一度、顔すれすれの場所を目がけて、二発。攻撃魔術を立て続けに放った。
「……ネラパ!」
「げ……」
突き出された腕に、何をされるのか。一瞬で理解したらしい兄は、初めてあたふたと逃げ出そうとした。
もちろん、それを許すヴァルトではない。
「プキ! キエリ! リートゥ! シヴェ! ネコウ! ルム!」
切れ目なく放たれるそれらを、残らず完璧に避け切ることができる。そんな芸当を持つのは、ソーニャとユハナくらいだろう。
動きの鈍った兄では。ギリギリかすめる位置に飛んでくる攻撃魔術を、ひとつとしてかわすことなど不可能だ。
息の続く限り、遠慮も容赦も手加減もなく。片っ端から撃ち出された攻撃魔術を、全弾、体で受け止めて。情けないうめき声をこぼして横たわる兄を、もう見下すことさえしなかった。
わざわざ見てやる価値など、一切ない。
「次は、舞踏会の少し前に帰ってくるよ。こいつが当日に出歩けないよう、きっちり叩きのめしておかないといけないだろうし」
「そうね。こんな害虫を人の集まるところに放ったら、迷惑どころの騒ぎじゃないもの」
「二度と外を出歩かないで欲しいくらいだわ」
自分の友人のみならず、友人の姉妹たちにまで声をかけて回られて。散々迷惑を被ってきた。
これ以上の被害を出さないこと。それが自分たちの責務だと、三人は真剣に考えている。
「じゃあ、オレは戻るかな」
両親にも城に戻ることを伝えて。母親には、兄に治癒魔術を絶対に使わないことを約束させてから。
ヴァルトは、昼食の時間に遅れないよう駆け出した。
シーヴ以外がそろう食堂に顔を見せると、真っ先にユリアが結果を尋ねてきた。
「サーラの分とユハナの分で二回、オレが宣言してやっておいた。それから、ユリアの分を姉さんが三回。シーヴの分は、リンネアが一回と姉さんが五回。追加で姉さんが一回と、オレの全力の連射攻撃を全弾かすめて当ててきた」
「聞きしに勝る一家ね」
感嘆のため息をつかれると、いつもならば苦笑を返す。そのヴァルトが無言で、かなり固い表情のままだった。
すぐに察したユリアは、スッと態度を改める。
「……聞き出したの?」
頷いて私室の方を眺め、ヴァルトは口をキュッときつく結んだ。
「シーヴには、ちゃんと謝りたいんだけど……大丈夫かな?」
「わからないわ。ダンスの練習も出なかったらしいし、実は私も、あれから顔を見ていないの」
「じゃあ、オレがついでに昼食を持っていくよ」
訓練の好きなシーヴが、一日近く、ずっと部屋にこもったまま。その事実が、みんなを落ち着かなくさせる。
住人のいない部屋を除いて、食堂に一番近いシーヴの部屋。
ドアの前まで歩いて、そっと叩いて声をかける。ユハナの時より、ずっとしっかりした声で返事があった。
「ヴァルトか。勝手に入ってくれ」
言われたとおり、片手でトレーを支え、ドアを開けてスルリと部屋に入る。
(……意外と、女の子の部屋だなぁ)
ユハナのように。必要最低限のものしかない、生活感のかけらもない部屋を、何となく想像していた。
ユリアたちと、街に出かけた時に買ったのか。白いチェストの上には、小さな動物の人形が何体か、ちょこんと置かれている。鏡台には、普段使っているらしい化粧品が並ぶ。これでもかと身だしなみに気を遣う、ユリアの影響が大いに見られた。
「これ、昼食だって」
トレーに乗せたパンは、ユリアの力作だ。シーヴの好みに、バッチリ合わせてある。
人によっては、激しくむせ返りそうなほど。ベッタリした、甘ったるい香りをただよわせている。
「わざわざありがとう」
匂いだけで、空腹感が襲ってくるパン。それをおいしそうに、パクパク頬張るシーヴを見ながら。思っていたより元気そうで、安堵感から自然と小さな笑みが浮かぶ。
だが、それに甘えて、身内の恥をさらさないことも。過去をなかったものにも、到底できない。
「あのさ、昨日のことなんだけど……」
食事を食べ終わるのを待って、怖ず怖ず切り出す。とたんにシーヴはギュッと眉を寄せて、怪訝そうに見上げてきた。
そのくせ、ユリアが事の顛末を話すはずがない、と信じている表情は一向に揺らがない。
「ゴメン」
いきなりの謝罪に、シーヴの顔はますます険しくなった。
「ヴァルトが僕に何をした?」
「あいつ、一応、オレの兄なんだ」
「……は?」
信じられない言葉を聞いた。露骨にそんな顔をしたシーヴに、重ねて兄だと告げる。
身内の不始末の謝罪だと、すぐに理解したからか。ジッとヴァルトの顔を見ていたシーヴは、不意にくつくつと低く笑った。
「……いろいろと、似ていないんだな」
「それ、被害者に謝りに行くと、ほぼ確実に言われたっけ。あいつだけ、残念なことに、何もかも父さんに似てるんだ」
容姿も、性格も、厄介な性癖も。
なぜあんな父親と結婚したのか。幼い頃にそう、母親に聞いたことがある。しかし、素晴らしくいい笑顔で、あっさりとはぐらかされた。
それ以来、聞いてはいけないことなんだろうと考え、決して触れないようにしている。
「こういう騒動も、実は一度や二度じゃなくて、街じゃ悪い意味で有名なんだけど……シーヴやサーラは、さすがに知らないよなぁ」
今までは、たまたま運よく、あれに遭遇しなかったのだろう。
実家は別の街にあり、セナリマの家に暮らし始めてから短いサーラも。ここに来てからずっと城住まいで、ユリアに誘われなければ街に行かないシーヴも。
ユリアが前もって忠告でもしない限り。周知の事実であるアレのことを、どこからか聞く可能性はきわめて低い。
何しろ、最もよく知っているヴァルトが、進んで語りたがらないのだから。
「確かに、初めて見る顔だったな」
思い出したのか。あからさまに、顔に不快さをあらわにして。シーヴは右ふくらはぎの辺りを、何度か手でゴシゴシ拭う。
(そこか……あれ?)
不意に浮かんだ疑問に、思わず首を傾げる。
「もしかして……足、出してた?」
ハッとした顔で、ビクッと全身を硬直させた後。シーヴは足に触っていた手を、ススッと膝の上に戻した。
「ヒリヤさんの新作だって聞いたけど、ユリアのとは違ったんだ?」
シーヴの中で、何がどうなっているのか。微妙に頬が赤くなったり、顔全体がサッと青ざめたりと、なかなかに忙しい。
(まぁ、あいつが『綺麗な足だった』とか言ってたくらいだから、出してたんだろうけどさ。多分シーヴには、言いづらいだろうなぁ)
夜着ですら、足を出さないよう徹底している。そんなシーヴだから、素足をさらして街を歩いたこと自体が、ひどく恥ずかしかっただろうことも。しつこく絡まれて煩わしかった男を、全力で投げ飛ばしたら、なぜか足を触られたことも。
何もかも、今すぐ忘れてしまいたいことに違いないだろう。
「あいつは、死んでも反省はしないし、謝るなんてことは頭にないから。さっき家に行って、思いっきりシメてきた」
「し、めて……?」
状況をまったく想像できないのか。シーヴは首をほんの少し、左にそっと傾ける。
「シーヴの分として、姉さんがお仕置き専用の技を五回。リンネアはシーヴの信奉者らしくて、真っ先に一回やったよ」
ギュッと、シーヴの眉が寄った。
「……僕の、信奉者?」
「ここの街は王城に近いし、特に熱心な人が多いかな。リンネアが言うには、ソーニャさんやアハトさん、それからユハナとユリアが人気が高いって。でも、ユリアと街に出るシーヴも、最近注目されてるんだってさ」
ヴァルトは頷いてから、サラッと簡単に説明する。しかし、シーヴの表情は、内容についていけていない顔そのものだ。
女王付きや王女付きは、その服装もあって、嫌でも目立つ。それゆえか、誰を好ましく思うかという話題から発展した、信奉者の集まりがある。
同じ人に熱をあげている、明確な共通項があるからか。時々集まって、情報交換をしたり、話に花を咲かせたりしているらしい。
リンネアがやたらと、シーヴのことを聞いてきたのも。誰よりも早く得た情報を、胸を張って教えたいから。そして、熱心なシーヴの信奉者であることを、おおっぴらに主張したかっただけだ。
「そうだ、そのリンネアというのは誰だ?」
「リンネアは妹だよ。オレ、言ったことなかったっけ?」
「聞いた覚えはない」
不思議そうに、ゆったり腕を組んで考え込む。
(ああ、そっか……)
すっかり話した気になっていた理由に、ふと思い至った。
ここで生活を始めた当初。家族構成などを言う前に、ユリアはすでに、どこからか情報を手に入れていた。言う必要に、これっぽっちも迫られなかったから。うっかり、シーヴにも言わなかったのだ。
「ユリアがもう知ってて、ユハナやリクにも教えたから、てっきりシーヴも聞いてると思ってたんだけど」
「いや、ユリアはあれで親切ではないから、教えて欲しいと頼まれない限り、わざわざ言ってはくれないぞ」
教える気のある時は、ユリアがさりげなく誘導して、その質問を口に出させる。誘導された側は、その事実に一切気づくことなく、欲しい情報を手に入れるのだ。
いつの間にか、そんなところまでわかるようになるほど。シーヴはずいぶん長く、一緒にいるのだと気づく。
「ははっ」
ついつい、声に出して笑ってしまった。
「なぜ笑う?」
「いや、シーヴはユリアと仲がいいんだなって思ってさ」
「ヴァルトも仲はいいだろう?」
「まぁね。女の子の中だったら、一番いろいろと話しやすいかな」
どんなに褒めても、確実に、額面どおりにしか受け取らない。
嘘は簡単に、あっさりと見抜く。けれど、絶対にそれを指摘しない。そ知らぬ顔で「嘘をつく人間」という評価を受けて、どんどん信頼を失う。
観察力が鋭くて、時に、自分でも気づいていないことを教えてくれたりする。それがいいか悪いかは、まさしく状況次第だ。
そんなユリアと話していると、時々、男友達のような錯覚を覚えてしまう。
「ああ、そういえば、ユリアにはつい、いろいろ話してしまうな」
軽く目を見開いてから、わずかにスッと細めて。口の端を心持ち、上に持ち上げる。
ある意味凛々しい、そんな笑い方をするシーヴを見ても。不思議なことに、ユリアと同じ錯覚に陥ったことはない。




