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「アウリンクッカは、一度滅んでいるの」
エリサの話は、そんな言葉で始まった。
何も知らないシーヴにとっては、ひどく意外な。他の面々にはすっかり聞き慣れた、単なる昔話だ。
「騎士と魔術師の国で知られるアウリンクッカは、三百年前から続く姿なの。さらに二百年ほど前は、カルラニセルのように、魔術師だけの国だったのよ」
大昔のアウリンクッカには、アハトやユリアのような魔術師ばかり。まれに、ヘンリクやヴァルトのような、攻撃も得意とする者が出てくることはあった。けれど、今の主流になっている、攻撃型の魔術師はほとんどいない。
攻撃と転移のカルラニセル。防御と治癒のアウリンクッカ。対比して呼ばれるほど、生まれ持つ素質が大いに違う。それは恐らく、今も昔も変わらない。
「なるほど。騎士を重視するセーデルランドとハイヴェッタに、魔術師を主にしたアウリンクッカとカルラニセルに、きっぱり分かれていたのか」
一回だけ頷いたエリサは、さらに言葉を続ける。
「その頃から、騎士の国は王が、魔術師の国は女王が治めていたらしいわ」
そこは今でも変わっていない。これからも、よほどのことがない限り、変わることはないだろう。
ベント亡き場合にシーヴが。エルミの代わりにライノが。それぞれの国を治めることは、まずあり得ないのだ。
「平和ボケしたこの国の魔術師は弱く、突然攻め込んできたハイヴェッタを、まともに迎え撃つことさえできなかったらしいわ。家名にしがみつく魔術師程度がせいぜいでは、そもそも勝ち目などあるはずないのよ」
以後、アウリンクッカ国は二百年ほど、ハイヴェッタの広大な一領地となった。アウリンクッカの国民だった者たちは、そろって領民以下の扱いを受けた。
そんな中で、ごくひと握りの魔術師たちが、いつか国を取り戻すために。後世に細々と魔術を伝え、ジッと忍んで、たゆまぬ努力を続けてきたのだ。
エリサを含む歴代の女王が、とにかく強い騎士や魔術師を求め続ける。その理由のひとつが、そこにあった。
再び攻め入られて、またしても国が荒れることのないよう。再建した女王が、騎士と魔術師に強くあるよう、常に願っていたから。
「ハイヴェッタから、アウリンクッカを取り戻した女王の名はティーナ。彼女を見つけ出し、国を取り戻して即位するまでを助けた女騎士の名を、エルサといったの」
「……ああ、エルサ・リルクヴィストのことか」
何となく、聞き覚えのある名に。シーヴがわずかに渋い顔をしてみせた。
そんな顔をする理由が、とうにわかっているのか。エリサはほんの少しだけ、困ったように微笑んだ。
「セーデルランドでの彼女は、やはり裏切り者よね。でも、アウリンクッカでは英雄なの」
最終的にエルサは家を捨て、国へ戻ることを頑なに拒んだ。セーデルランドでは、誰よりも憎むべき者だと、誰もが教えられている。
それは、まぎれもない事実だ。
ミルヴェーデン家と同等に、長く続いてきた家。エルサの選択が、リルクヴィスト家の名を根絶させたのだ。恨まれ、憎まれても、仕方のない部分はあるだろう。
反面、アウリンクッカでは、再建の手助けをした英雄と称えられている。
赤子の頃に両親と死別し、自身の素性をまったく知らずに育った王女ティーナを見出した。彼女が女王として即位するまで、傍らでひたすら守り続けた。そこに、エルサが愛されている主な理由がある。
「自分の本当の家名も知らなかったティーナは、即位する時に、エルサの家名をもらったのよ。エルサも、自分が最後の一人だからと、あっさり許可を出したの。ですから、わたくしの名はエリサ・リルクヴィストなのよ」
その血は、他家に混ざって、まだ残っているかもしれない。しかし、リルクヴィスト家自体は、とっくの昔に絶えている。再興することも、ならなかった。
それまで細々と、どうにか続いてきた。リルクヴィスト家の最後の一人が、エルサだったから。
エルサの母親は、産後に体を壊して帰らぬ人となった。双子の兄は、かろうじて結婚はしたものの病弱で、結局子供を残さぬまま他界している。再婚した父親には、子供ができなかった。
元々エルサは、病気がちな兄に、跡継ぎたらんと厳しい教育をする父親を嫌っていた。その上、突然若い後妻をもらった時から、もはや父親とも思わなくなっていた。跡継ぎを産むよう重圧を受けていた後妻は、鬱憤を晴らすためだけに、エルサに暴力を振るう。父は知っていて、何もかも放置した。
熱を出して、誰よりも、何よりも、苦しい思いをしているはずの兄だけが。いつでもエルサの身を案じてくれて。
そんな兄が死んだ時、エルサにとって、守るべき大切な家も消えたのだ。
同じ頃、アウリンクッカを領地として久しいハイヴェッタが、他二国も属国化しようと企んでいる。そんな情報を手に入れたエルサは、どうにか阻止できないかと。兄の死をきっかけに、家も国も捨てて、アウリンクッカへと出てきた。
セーデルランドに近い、サロヴァー地方の小さな孤児院。そこに、かび臭い文献に残っていた、アウリンクッカの王女の話と合致する娘がいると、知っていたから。
再起を願っていた魔術師たちと、エルサは手を結んだ。結果、ハイヴェッタは侵攻するどころか、アウリンクッカの独立を認めざるを得なくなった。
家をつぶしたエルサへの非難を込めて。以後、セーデルランドでは、双子を凶兆とみなして嫌うようになった。そして、彼女が身を寄せて生涯を閉じたアウリンクッカに。いらない方を捨てようと、こっそり決めたのだ。
ソーニャの育った孤児院が、多くの捨て場所に選ばれたのも。そこでティーナが生まれ育ったからに他ならない。
「そうだったのか……」
「……あなたは、国で何を学んでいたのかしら?」
王族のシーヴにさえ、真実を教えないのか。それとも、エルサの罪だけをただ伝え、彼女の功績はひたむきに隠し通しているのか。
「勉強には興味がなかったんだ。先生が、エルサ・リルクヴィストは裏切り者だ、と強い口調で言っていたことだけは、さすがに覚えているんだが……他はさっぱりだ」
「なんてこと……」
エリサの脳裏に、昔聞いたソーニャの言葉がよみがえったらしい。
ひどい頭痛を、どうにか堪えようと。白い指先から色が失せるほど強く、ギュッと額に押しつける。
「……ソーニャも、必要がなかったから、読み書きは習わなかったと言ったわ。わたくしの従者となった後、徹底的に叩き込まれたそうよ。そんなところまで、真似なくてもいいと思うのだけれど」
呆れ果てて、エリサはもう、それ以上は突っ込めなかったようだ。はぁ、とため息をついて、エリサはまじまじとシーヴを見つめる。
「アウリンクッカの再建や、エルサ・リルクヴィストのことで脱線したけれど、シーヴに頼みたいことがあるのよ。あなたにしかできないことなの」
「僕に、できることなのか?」
怪訝な色を、ちっとも隠そうとせず。詳しい内容を聞いたシーヴは、大きく目を見開いてジリジリ後ずさる。
一刻も早く、この場から逃げ出さなくてはいけない。そんな気がした。
「そ、そういうことはユリアの方が向いているだろう!」
「私は王女魔術師なんだから、私が舞踏会に参加していないなんてあり得ないでしょ?」
「だ、だが、僕には無理だ!」
大丈夫よ、とエリサがググッと詰め寄る。
シーヴの腕は、ユリアががっちりつかんでいる。ブンと勢いよく振り払った後が心配で、迂闊なことができない。
「そのために、アハトとソーニャとリュイス、それからユハナとサーラとリクにも、ちゃんと話を通してあるのよ。総力を挙げて、あなたを立派な令嬢に仕立て上げるためにね」
何が何でも、逃走が絶対に許されないことだけは、かろうじて理解できた。だが、エリサの望むとおりになれるのかは、どうしてもわからなかった。
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「今日来てもらったのは、ヴァルトに頼みたいことがあるからなの」
ニッコリ微笑んだエリサに。頼みたいことの内容を聞き出したヴァルトは、難しい顔をしてしばらく考え込んだ。
「……確かにそれが可能なのは、多分オレしかいませんけど、もしバレた時に、陛下の評判は大丈夫ですか?」
「他人の目がある場所で、我を忘れて怒り狂って騒ぎ立てる愚か者と比べて、わたくしが特別にとがめられる理由が、何かあって?」
「ありませんね」
他国の軍を常に鮮やかに、軽やかに、華麗に撃退する。そんな従者を従えるエリサの人気は、何もなくとも高い。その上、最近では、カルラニセルとの同盟成立を成立させている。
それどころか。人気失墜を狙う愚作を利用して、逆に素晴らしい女王だと国民に知らしめてしまう。
そんなエリサを、考えなしに非難する方が、よほど浅はかだ。
「女性側はオレでいいとして、男はどうするんですか?」
「それは別件と合わせて、すでに手を打ってあるから、何も心配ないわ」
「別件? どういうことですか?」
それがあったからこそ、自分にこんな話が来たのだ。そう察したヴァルトは、少し強い口調で尋ねる。
どうしても、話したくない。
そんな素振りを見せていたエリサだが。ヴァルトがどうにも退かないとわかると、渋々口を開いた。
「元々は、騎士だという男が城下で悪さをしていると、みっともない苦情が何件も寄せられたからなの。実力重視の弊害とでも言うのかしらね。騎士としての心意気を、きっちりと徹底的に叩き込んでちょうだいと、ソーニャに頼んであるの」
そう締めくくったエリサは、それ以上を語ろうとしない。
にこやかな笑顔を崩さないから、後は聞くだけ無駄だろう。
「そういうわけで、他に問題がないかあぶりだそうと考えて、ヴァルトにも頼むことにしたの。当日はお願いするわね」
「はい……」
釈然としないものがある。けれど、強引とはいえ、切り上げられた話を蒸し返すことはしない主義だ。
いくつかの疑問を残しつつも、ヴァルトは素直に引き下がるしかなかった。




