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「まず右足を下げる。次に左足を左に出して、右足をそろえる」

「……右足を……左足……右……?」

 まるで呪文を唱えるように、ブツブツと呟いて。アハトにゆっくりと見せてもらったとおりの動きをしている。やっているシーヴだけは、恐らくそのつもりだろう。

 どこからどう見ても、出来の悪い操り人形だ。

 逆に、何となくぎこちないものの、ヴァルトは動きをひと通り覚えたらしい。ひと足早く、ソーニャと組んで、相手をリードすることをじっくり覚えさせられている。

「とりあえず、何とか、形になってきたかな? いっぺん、組んでみる?」

 一抹の不安を感じながらも。試しに、と提案したアハトだったが。

 今度は、手の位置から何からを、ひとつひとつじっくりと。シーヴに細かく、きっちり指導しなくてはいけなくなった。

「……本当に、すまない……」

「……さて、気を取り直していこうか。さっきの動きだけね」

 がっくりとうなだれるシーヴに、アハトはまったく気にしていないふうで囁く。

 暗記した順番を、何度も呟きながら。教わったとおりの行動を、真面目にきちんとしていたつもりだった。

 左足を、フッと横に動かしたとたん。明らかに床ではない何かを踏んだ。

 グニャッとした感触が、軍靴越しでも伝わってきて。

「す、すまない!」

 謝りながら、あたふたと足をどかして。恐る恐るアハトを見上げると、なぜか相好を崩していた。

 足を踏んでおいて難だが、正直、ニタニタと薄気味悪い。

「ソーニャさんと初めて踊った時に、君とまったく同じことをされたのを思い出したよ」

 アハトとソーニャも、まずは一人で動きを覚えてから、二人での練習に移った。指導してくれたのは、アクセリたちだ。

 安全と親心の中間を取ったのだと、しっかり理解はしていた。嬉しい反面、おせっかいがすぎると、後で説教しないといけない。アハトは、そんなことを考えていて。

 だから、思い切り足を踏み出したソーニャを、ほんの少しも避けることができず。シーヴより力強く、思い切り踏みつけられたのだ。

『す、すまない!』

 痛みに悲鳴を上げるより先に。心底申し訳ない顔で、怖ず怖ずと見上げてくるソーニャが目に入って。苦痛も悲鳴も、あっという間にどこかへ飛んでいってしまった。

 顔立ちもさることながら、行動から謝り方から。何もかもが、当時のソーニャを思い出させてくれる。

 そんなシーヴに、アハトはついつい、だらしない顔を見せてしまう。

「このシーヴちゃんの可愛さを見たら、相手にされないってわかってても、コロコロ落ちる男が出そうだね。ねぇ、ソーニャさん?」

 痛覚が、一切ないのか。そう問いたいほどニコニコしているアハトは、フッとソーニャに話題を振る。

「……なぜ私に聞く?」

「だって、俺が独り占めしたかったソーニャさんのひとつだからね。あの時は、アクセリさんたちも一緒だったのが本当に残念で、今でも悔やんで……」

 その瞬間、アクセリたちに散々からかわれたことを思い出したのか。ソーニャの全身から、冷ややかな冷気が発せられた。

「無駄口を叩く暇があるなら真剣にやれ!」

 ちょいと肩をすくめたアハトは、仕方なさそうにシーヴと向き合う。位置の確認をする振りで、こっそり耳元で囁く。

「今は上手なソーニャさんも、最初はシーヴちゃんと変わらなかったからね。負けず嫌いな君は、練習したらすぐ上達するよ」

 負けず嫌いの自覚はある。その上、自信にたっぷりあふれたアハトの笑みを添えられると。

 なぜか、本当にできる気がしてくるから不思議だ。

 アハトはアハトで、ソーニャが可愛かったなぁ、などと思い出して、デレデレと浸りつつ。シーヴへのこと細かな指導も忘れない。

「まったく、お前はどれだけ器用なんだ」

 呆れ顔のソーニャに、うんざりした声で問われ。シーヴをきちんとリードしつつ、アハトは考え込む。

「そうだね……誰かと話しながら、昔のことを楽しく思い出しつつ、ソーニャさんって昔から可愛かったけど今も変わらないよね、とか考えてる間に、治癒やら防御やらの魔術を使うくらいは、多分わけないかな」

 頭が痛い。

 ボソリと呟いたソーニャは、アハトを徹底的に無視することに決めたらしい。ヴァルトに向き直り、気になったことをつぶさに指導し始めた。

「昔は無視なんてできない、不器用で素直な人だったんだけどなぁ……しょうがないから、少しは真面目にやろうか」

 ため息をこぼして目線を下げたアハトは、あからさまに渋い顔のシーヴに首を傾げる。

「毎日この調子だったら、僕でもさすがに、無視することを覚えると思うぞ」

「覚えるといっても、ソーニャさんは、あれで二十年くらいかかってるってことは忘れないでね」

 機嫌の悪い時以外は、完璧な無視を決め込まれるようになった。それも、この十年くらいの話だ。それ以前は、毎回懲りずに食ってかかっている。

「俺としては、どっちのソーニャさんも可愛いから、全然問題ないんだけどね」

「…………」

 シーヴにまで無言を返されて。アハトはようやく、指導に本腰を入れる気になったようだ。


          ‡ 


 ダンスの指導は、とりあえず何とか終わった。昼食をはさんで、息抜き代わりに、ヴァルトとの訓練で汗を流す。

 午後に待ち受けている別の特訓を、訓練中だけでも忘れていたかったのだ。

『ストレスがたまると肌に悪いから、嫌になったらヴァルトを相手に、思う存分暴れていらっしゃい。すっきりしたら、また続きをやりましょうね』

 ニッコリと、天使の微笑みを浮かべたユリアに言われては。逆らうことなど、とてもできない。ただただ、素直にコクコクと頷くしかできなかった。

 約束の場所は針子部屋だ。恐る恐るドアを叩いたシーヴは、チラッと顔を覗かせたヒリヤに、問答無用で引きずり込まれる。

「待っていたのよ。まずはこれとそれとあれを着てみてちょうだい!」

 さらしを取られ、金茶の髪をまとめ上げたかつらをかぶせられて。すべて真っ白な布で作られた試作品を、片っ端から着ては脱がされた。

 ひと通り着終わって、シーヴはぐったりしながらさらしを巻き直す。

 ヒリヤに頼み込んで、胸をつぶした状態で服を作ってもらっている。こうしなければ、騎士の服が着れないのだ。

 試着を終え、大まかな形を決めたのか。ヒリヤは裁断と縫製に入るからと、そそくさと別室に引き上げていった。

「どうも、ヒリヤは苦手だ……」

「ふふ、お父さんと同じことを言ってるわ」

 手近にあった椅子に、どっかりと座り。だらしなく机に突っ伏して呟く。そんなシーヴに、琥珀色の冷たい液体が入ったグラスを、ユリアがスッと差し出す。

「お茶でも飲んで、ちょっとひと息つきなさいね」

「僕がユリアみたいにならないといけないのか……気が重いな」

 ゆるゆると顔を持ち上げ、目の前にあったグラスの中身を、グッと一気に飲み干した。

「それで、僕は何から始めるんだ?」

「まずは僕じゃなくて、私って言えるようにならないと困るわね。それから、その男らしい口調も改めないと」

「う……」

 今度は、ガンと音を立てて、勢いよく机に突っ伏す。

 小声で「わ、わた、し……わ、たし……」と、ブツブツ呟き始める。そんなシーヴを、ユリアは向かいの椅子に座って。クスクス笑いを堪えながら、のんびり、じっくり眺めていた。

「あ、言い忘れていたけど、ヴァルトがいない時は「私」で、女の子らしい言葉で話してね」

「いる時は、どうしたらいいんだ?」

 何の気なしに尋ねたシーヴは、ますます頭を抱え込んだ。

「ヴァルトがいる時は、いつものシーヴでいいわよ。というか、ヴァルトには絶対に、この件がバレないようにしなさいって、陛下がおっしゃっていたから気をつけてね」

「難しいな……」

 思わず唸ってから。ハッと顔を上げたシーヴの髪に、ユリアの手がそっと触れる。

 まるで壊れ物を扱うような、慎重な手つきだ。

「できないと、手っ取り早く、見た目から女の子みたいにしていくわよ。まずは、そうね……髪を縛ってみようかしら」

「ひっ……」

 嬉しそうに、ベタベタと髪に触るユリアに。物心ついてから初めて、本気で泣きたいと思ってしまう。

 可愛いリボンと、レースのついた髪飾り。集められた右横の髪に、それらがちょこんとくっついている。

 小さな手鏡の中に映し出された、自分の頭を暗い気持ちで眺めつつ。シーヴは、迂闊に口を開かないよう、キュッと気を引き締める。

「可愛いわよ、シーヴ。これだったら、シーヴに怯えるあの情けない騎士たちも、少しは気が変わるかもしれないわね」

「そんなこと、あるはずない……わ」

 腕を組んだユリアは、ギリギリ合格、と小さく呟いた。

 実質、ひと月ほどでシーヴの改造をしなくてはいけない。そのため、まずは違う話し方に慣れてもらう。その後、時間の許す限り、できるだけ自然に話せるように特訓をする。そんな予定でいるらしい。

 元々の素材は抜群のシーヴを、さらに綺麗に飾りつけて。人目を惹きつけて離さないよう、仕上げることに余念のないヒリヤがついている。

 舞踏会の間の、ほんの何時間かだけ。フラフラと寄って来る男たちを、コロッと騙せればいい。

 手放しに褒められて、決して微笑まなくても。格好と、言葉遣いや仕草が違う。ただそれだけで、雰囲気も手伝って、まったく別人に見えるものだ。

「多少つっかえても、緊張しているって言えば問題ないわ。この辺で見たことがないって不審がられたら、ソーニャお姉さんに誘われたって答えておきなさい。お母さんを恐れない男は、色付きとリクとヴァルトくらいよ」

「つまり、あの孤児院の人間だと思わせればいい……のよね?」

 何か話すたびに、こっそり顔色をうかがってくる。そんなシーヴが、ユリアにしてみれば、とても年上とは思えないほど可愛いのだ。

 その可愛さどころか、あまりに整いすぎた外見にさえ目を向けず。ソーニャの姪というだけで怖がって、絶対に近づかない。

 どこまでも見る目の残念な騎士や魔術師たちが、今回の種明かしをされた時。驚き慌てふためく顔を見るのが、今から何よりも楽しみだった。


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