表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
153/153

カルラニセルの魔女ではないけれど

魔力を持たないカルラニセルの少女のお話です。

 夏が近づいたその日、カルラニセルから一人の少女がやってきた。彼女は真っ直ぐ城を目指し、女王に謁見を申し出たのだ。

 通常であれば、予定が空いている一番早い時間に会うことができる。だが、女王に思うところがあったのか。はたまた、筆頭女王魔術師であるユリアの助言があったのか。少女はすぐに謁見が叶うこととなった。

 年齢は十四歳前後だろうか。薄茶色の髪に、髪よりはわずかに濃い薄茶の瞳。少女のその色が、早々の謁見が叶った理由なのかもしれない。

 女王エルミは豪奢な椅子に腰かけ、両脇にユリアとイェレミアスを立たせている。

「私は、カルラニセルのアルセリア・イラディエルです。アウリンクッカ国へ移住することを、どうかお許しください」

 カルラニセルの礼を取る少女は、さらに言葉を続ける。

「私はもう、カルラニセルへ帰ることはできません。なぜなら、国へ戻れば、証拠も根拠もなく、婚約者と名乗る男性たちに結婚を迫られるからです」

 緊張しているのか、アルセリアの声はかすかに震えていた。

 話を聞きながら、ユリアは首を傾げる。彼女とともに同席しているイェレミアスも、やはり不思議そうに眉をグッと寄せていた。

「カルラニセルは今、未婚の女性に対して、未婚の男性が圧倒的に多いと聞くわ。女性は生まれてすぐ、その時に有望な男性と婚約をする。それから、年齢が釣り合う中で、もっと優秀な者がいれば婚約者を変えていく。それを決めるのは、両親。そうではなかったの?」

 尋ねるユリアの詳しさに、アルセリアは驚いたように彼女を見つめる。

 意を決したように、力強く頷いたアルセリアは口を開く。

「私の両親は、私が幼い頃に亡くなりました。それでも、まだ祖母が存命でしたので、両親の決めた婚約者はわかっていたのだと思います。けれど祖母は、私に婚約者の名を告げることなく、その証拠の在処を言うことなく、突然召されてしまいました。婚約者がわからない私のところには、連日連夜、証拠を持たない男性たちが押しかける結果となりました」

 もしかすると、両親が亡くなった後、婚約者とされていた男性は別の女性と婚約したのかもしれない。そういうことも時々あると、聞いたことがあった。

 何しろ、どうせ結婚するなら、魔女の方がいいに決まっている。魔眼(まがん)を有さない娘など、男余りの時だから引く手あまたなだけなのだ。

 魔女になれないカルラニセルの娘は、本当なら、何の価値もない。

「そう……わかりました。あなたはもう、この国の人間です。あなたの好きなようにお過ごしなさい」

「では、当面は、居住棟の一階でよいでしょうか?」

 エルミの決断に、イェレミアスは早速手続きに入る。

「あら、一階はダメよ。四階か五階の空き部屋がいいわ」

「は? ……ああ、そうか。では、とりあえず四階の空き部屋で」

 ユリアに指摘され、イェレミアスは素早く書類を訂正した。

「後で、ラハヤかラーケルにきちんと話を通しておくわ。とりあえず……そうね。そろそろレーヴィが来る頃だから、ついでに頼んじゃいましょうか」

 聞き慣れない名前がいきなりいくつも出てきて、アルセリアは困惑を隠せない。

 カルラニセルは他国との交流を行っているとはいえ、人と積極的に絡まなければ情報は入ってこない。婚約者になろうとする男性たちに迫られるため、人と関わりを絶っていたアルセリアは、他国について何も知らないのだ。

 わかっているのは、アウリンクッカが女王国であること。金色の髪に青い瞳は、女王と王女の証であること。この国では、他国からの移住者も積極的に受け入れ、仕事を与えてくれること。その程度だ。

 女王の横にいる、薄紫色のサーコートをまとう美女が誰なのか。紫色の上着を着ている彼は、いったい何者なのか。

 不意に目を合わせてきた美女は、ニッコリ微笑んだ。

「ああ、ゴメンなさい。紹介が遅れたわね。私は筆頭女王魔術師のユリアで、こっちは女王騎士のイェレミアスよ。何か困ったことがあったら、私たちと同じ服を着ている者か、青か薄青の服を着ている女の子たちに頼ってね」

「え……えっと、はい……」

 アルセリアが怖ず怖ずと頷いたところで、ドアが軽く叩かれた。ユリアが部屋に入るよう、指示を出す。

 ゆっくりとドアを開けて、一人の少年が入って来た。服は、イェレミアスと同じ形で黒色だ。

 癖のある金茶色の髪に、少し目尻の上がった、緑がかった灰色の瞳。整った顔立ちは、少年らしく溌剌とした印象を受けた。年齢は、同じか、一つ二つ上だろう。

「書類を持ってきましたよ。あれ? 入ってよかったの?」

 少年の視線が、ユリアからアルセリアへ移る。とたんに、彼の目は大きく見開かれた。

「ついでに、レーヴィに頼もうと思って待っていたの。ラハヤたちに引き合わせて、四階の空き部屋を使えるようにしてあげて」

「……空き部屋? 三つあるけど、エリサ様の好みになってるとこがいいかな? あそこなら、多分ちょっと掃除したらすぐ使えると思うけど……」

 頭痛がしたのか、ユリアは指先を額にギュッと押しつける。ついでのように、深いため息もこぼす。

「他の部屋は、多分ヤバいよ? ラハヤと姉さんの私服がクローゼットを占拠してるから」

「ああ、もう、わかったわ。とりあえず、アルセリアがその部屋でいいって言ったら、あそこで。ダメなら、ラハヤたちに服をどうにかするように言って」

「了解しました」

 ニッコリ微笑んで、事務的な返事をする。それから、レーヴィはアルセリアをジッと見つめた。

「えっと、アルセリア……だっけ? 一緒においでよ」

 ユリアとイェレミアス、エルミの表情が、一瞬で硬直した。彼らの眼差しは、あり得ないものを見たように、レーヴィをまじまじと凝視する。

「あ、はい……」

 ひょいと差し出された手に、自分の手を重ねる。とたんに、ギュッと握り締められた。

「……っ」

 強すぎず、弱いこともない。離れないようにつなぐなら、ちょうどいい加減だろう。けれど、いきなりの行動に、思わず息を呑んでしまった。ついでに、体をすくめてしまったところも、失礼だったかもしれない。

 そんなことを思い、アルセリアは恐る恐るレーヴィを見上げる。

「ゴメンね、びっくりした? もしも嫌だったら遠慮なく言ってね?」

「え? えっと……はい、わかりました」

 困ったように微笑んでいるレーヴィが、懸命に気遣っている。それに気づき、アルセリアもできるだけ笑顔になることにした。

 そもそも、手をつながれたことも、いきなりだったので驚いただけだ。決して、不愉快だったわけではない。

 同い年くらいなのに、ずいぶんと手が硬い。指のつけ根や手のひらに、ゴツゴツした豆がいくつもある。

(……男の子って、みんなこんな手をしてるのかな?)

 少しだけ前を歩くレーヴィを見る。背が高いのか、いくらか距離があってもわずかに見上げる形になった。

 よく来ているのか、彼は迷うことなく真っ直ぐに、城から出る道を歩いているようだ。気がつけば、外の明るさが見えてきている。

 外に出てからも、彼の足は止まることがない。城から少し離れた場所にある、独立した建物の前で、彼はふと立ち止まった。

「ここが、居住棟。寝室も執務室もここだから、陛下たちはいつも、だいたいこっちにいるよ。謁見希望者が来た時だけ、城に行くんだ」

「そうなの?」

 カルラニセルの女王は、いつ行っても城にいる。当然、女王の寝室なども城の中に存在していた。だから、城から離れるのは、視察や交流試合といった、限られた場合だけだ。城の敷地内に、こういった別の建物もない。城郭に囲まれた中に、城がぽつんとあるだけなのだ。

「あ、レーヴィだ」

「ん? ああ、何だ、姉さんか」

 ユリアと色違いの恰好をした、藍色の長い髪の少女が歩いてくる。整いすぎたきらいのある顔に、優しげな微笑が浮かんでいた。

 近くまでくると、彼女がずいぶんと小さいことがわかる。アルセリアより、頭半分弱小さいだろうか。レーヴィと並ぶと、頭ひとつ分近く差がある。

「明日は雨かなぁ? それとも、お母さんが泣くくらい激しい雷? あ、すっごい雪になるかも!」

「雪はないな。今の季節を言ってみろ」

「だーから、雪かも、って言ってるの。だって、考えてごらんなさいよ。レーヴィが女の子と手をつないでるんだもん。雪が降ったっておかしくないわ」

「……ああ、そっか。置いてくとマズいと思って、つかんでたんだった」

 パッと手が離れる。とたんに、なぜか不安に襲われた。

「この子はアルセリア。今日から四階の空き部屋に入ってもらうんだってさ」

「ふーん、アルセリアちゃんね。私はラーケル。レーヴィの姉で、王女魔術師なの」

 にこやかな笑みで自己紹介をしてくれたラーケルに、アルセリアはぴょこんと頭を下げる。

「……って、ちょっと待って! レーヴィ、あなた、この子の名前、何百回言わされたの!?」

「え……?」

 レーヴィの胸ぐらをつかんで、ガクガク揺さぶるラーケルの言葉で、アルセリアはこてんと首を傾げた。

 引き合わされた時を、懸命に思い返してみる。ユリアがサラリと言っただけで、レーヴィはきちんと覚えていたはずだ。

「あー、そういや、初めて一回で覚えたなぁ」

「……やだ。やっぱり明日は雪よ」

 ラーケルとのやり取りから、普段のレーヴィは人の名前が覚えられないのだと推測できた。

 そんな彼が、たった一度で名前を覚えてくれた。その事実が、何となく嬉しくなる。

「でも、空き部屋っていうけど、あそこしか空いてないじゃない」

「そこを見てもらって、気に入らなかったら他を空けろってさ。ユリアさんが」

「……むー、あんなにあったら、簡単に移動できないのに……。こういう時に困るから、ヒリヤさんにちょっと抑えるように言っておかなきゃ」

 また聞き覚えのない名が出てきた。

 アウリンクッカの名前になじみがないせいか、聞いても男女すらわからない。

「ヒリヤさんは、針子頭だよ。姉さんたちの服を作りまくってるんだけど……アルセリアが増えたから、もっと増えるんじゃない?」

「ああ、そうね。ヒリヤさんが好きそうだもの」

「え? えっと……」

 話がまったく見えてこない。

 戸惑うアルセリアに、二人はうんうんと頷くばかりだ。

「とりあえず、着る服の心配はないってこと。アルセリアちゃんも細身だもん、大丈夫よ」

「……いや、しばらくは問題ありだろ。姉さんたちのじゃ丈が合わないじゃん」

「……え? あら、ホント」

 トコトコと近寄ってきたラーケルが、背丈を比べ始めた。そしてすぐに、驚いたらしく目を丸くする。

「あ、でも、私たちが着て足首とかなら、大丈夫じゃない? 靴だって、ヒリヤさんに言えば余ってるのを貸してくれるよ」

「んー……まあ、どっちにしても、一度着てもらうしかないだろ」

 話がまとまったのか、レーヴィが再びアルセリアの手をキュッと握った。

 そのまま引っ張られるように、建物の中心よりいくらか右にある階段を上る。当然のように、ラーケルも一緒だ。

「ねえねえ、アルセリアちゃんは、どこから来たの?」

「カルラニセルです」

「へぇ……じゃあ、魔女なの?」

 アルセリアはゆっくりと、顔を伏せていく。見えていた壁が、少しも見えなくなる。

 やはり、カルラニセルという国の名は、魔女を連想させるらしい。

 魔眼を有する者が多く、それが女性に偏っている。男性で魔眼を持つ者は、百人に一人いればいい方だ。それゆえに、魔術が使えるのも女性が大半になる。

 結果として、カルラニセルといえば女性の魔術師。魔女の国と呼ばれるようになった所以だ。

「あ、魔術師じゃないのかな? あの国は騎士もないし、普通の女の子ってことだね」

「……え?」

 思いも寄らない言葉に、アルセリアはラーケルをジッと見つめる。

 移動する魔術すら使えない。今の生まれでなければ、魔女になれない無価値な娘。物心ついた頃からずっと、そんな評価をされてきたのだ。

 普通の女の子。

 そんな呼び方をしてくれる人は、今までいなかった。

「じゃあ、姉さんたちが守ってやってよ。どっちにしろ、二度と近づきたくなくなるだろ?」

「やだ。レーヴィがやれば?」

 階段を上りながら、再び姉弟ゲンカらしきものが始まる。

「俺がやったら、アルセリアに好きなやつができた時、面倒なことになるだろ?」

「えー? そりゃあ、レーヴィを好きな子にネチネチ絡まれるんだったら、私とラハヤが守る方が確かに面倒はないけど……いいの?」

 最後はクルリと振り返り、アルセリアに問う。そのラーケルの瞳には、キラキラと好奇心が湧き上がっていた。

「あの……話が、よく見えないのですが……」

 彼女たちが何を心配しているのか。いったい何が面倒なのか。そこが、さっぱり理解できない。

「んー? アルセリアちゃんは可愛いから、城にいる男たちから狙われるよね、って話。で、誰が守ってあげたらいいのかな、って」

「え……?」

 可愛い。

 これも、他人から初めて言われた言葉だ。たとえ、言ってくれた人が女性でも、嬉しさで頬が熱くなる。

「私はともかく、ラハヤとレーヴィだと、どっちでも似たような感じになっちゃうからね。誰でもいいと、私は思うよ?」

 ここでちょうど、目的の階に着いたようだ。ラーケルは最後の段にぴょんと飛び上がり、右手側の廊下へと足を向けている。その後に、レーヴィに引っ張られているアルセリアが続いていく。

「じゃあ、鍵取ってくるから、レーヴィと待ってて」

 右奥へ進んでいくラーケルを見送って、レーヴィはすぐそこにあるドアの前で立ち止まった。

 白い壁の中に、焦げ茶色のドアがいくつか見えた。そのドアには、一箇所だけ、何かをはめ込めそうなくぼみがある。

 目の前のドアと、その隣二つは、くぼみに何もはまっていない。だが、三つ向こうのドアからは、何かがはめ込まれているようだ。

「……あ、あの、レーヴィ」

「どうしたの?」

 ラーケルと会話している時の、乱雑な印象を受ける話し方ではない。向けられる表情も、呆れたものではなく、ひどく穏やかな微笑みだ。

 変わりように戸惑いつつ、アルセリアはくぼみをスッと指差す。

「えっと、このくぼみには、何か入れるの?」

「ああ、うん。部屋の使用者がわかるように、目印を描いた板を入れるんだよ。ラハヤは二つの青い月、姉さんは二つの青い星。これは固定だってさ。ちなみに、俺の部屋は青い月を一つなんだけど、面倒だったから単なる板だけ」

 思わず唖然としてしまう。

 たった今、部屋の使用者がわかるようにする目印だと言ったのに。何も描かれていない板では、その役目を果たせないだろう。

 アルセリアの視線から、そんな感想を受け取ったのか。レーヴィはちょいと肩をすくめて、小さな苦笑いをこぼす。

「カーレルの部屋はちゃんと青い星一つだし、リューリのとこは青い星の中に花が咲いてるし、他は空き部屋だし、俺の部屋はなくたって問題ないよ」

「そういうもの、なの?」

「うん。別に、誰も困ってないしね」

 ニコニコしているレーヴィは、心からそう思っているようだ。言葉にも、表情にも、声にも、まったく揺れはない。

「あ、そうだ。アルセリアの部屋は、花なんていいかな? ここに綺麗な子がいるって、ちゃんとひと目でわかるようにしたら、さすがに近づかないよね」

 口調は穏やかだが、話す内容と声はどこか物騒だ。

 レーヴィの言葉を肯定することも、否定することもできない。

 救いを求めて、アルセリアはラーケルが向かった方向を見る。ちょうど、奥にある部屋から、ラーケルが出てくるところだった。

 問題は、そのラーケルの後から、服装違いの彼女が出てきたことだ。髪の長さも、身長も、見た目の体格も、違いが見つけられない。

「……ラーケルさんが、二人?」

「ああ、騎士服の方がラハヤだよ。姉さんと誕生日もそんなに変わらないし、見た目もあの通りだし、たまに双子だって思われてるみたいだけど。俺たちの母さんと、ラハヤの父さんが、よく似た見た目のいとこなんだよ」

 騎士服、という言葉で、ラハヤと教えられた少女を見る。彼女の着ている服は、イェレミアスやレーヴィと色が違う。だが、形は同じだ。

(えっと、多分、あの服を着ている人は騎士なのね。それで、ラーケルさんと同じ服の人は、魔術師なんだわ)

 思い返せば、ラーケルと同じ恰好のユリアも、魔術師と言っていた。イェレミアスは騎士だったはず。

「で、俺はたまに、魔術師だと間違われるんだけど、騎士だから。ついでに言っちゃうと、姉さんもたまに騎士と間違われてるから」

 服装で区別がされているのに、なぜ間違えるのか。

 疑問があっという間にふくらんで、アルセリアは首を傾げる。

「後で会えばわかるけど、俺は父さんに見た目だけそっくりで、その父さんは魔術師なんだよ。で、ラーケルは、ソーニャさんに目の色以外は瓜二つでさぁ」

「ソーニャ、さん……?」

「うん。前の筆頭女王騎士で、負け知らずの強い人だよ。母さんやユハナさんも強いけど、あの人は別格だね」

 強い騎士だった、と聞いて、ぼんやりと思い出したことがある。

 まだ両親が生きていた頃、祖母が話してくれたのだ。昔、とても強い女性の騎士が、カルラニセルへやってきたことを。

 確か、その騎士の名が、ソーニャだったはず。

「ゴメンね、お待たせー」

「……初めまして、アルセリア。私はラハヤ。王女騎士だ」

 瞳の色以外、外見はラーケルそっくりだ。けれど、表情と声は違う。ラーケルはふんわりした笑顔に似合いの可愛い声で、ラハヤは凛々しい。そして、ラハヤはニコリともしなかった。

 もし、ラハヤの髪が短かったら、声が低くなる前の少年と間違えてしまうかもしれない。

「初めまして、ラハヤさん。カルラニセルから来ました、アルセリアです」

「ああ、堅苦しいのはやめてくれ。敬語もやめて、呼び捨てでいい。私も呼び捨てるから」

「え、でも……」

 レーヴィは同じくらいだから、彼の姉と同い年だろうラハヤは、恐らく年上だ。呼び捨てはさすがに失礼になるだろう。

「ラハヤは呼び捨てでいいよ。見知った人間にさんづけとか様づけされると虫酸が走るって、いっつも言ってるくらいだし」

「私はねー、お姉さん、でいいよ!」

「姉さんも呼び捨てでいいから」

「ちょっと、レーヴィ! それはひどいんじゃない?」

 ギャアギャア言い合いをしながら、ラーケルが部屋の鍵を開ける。複数の鍵を持っているのは、別の部屋も開ける可能性を考えたからだろうか。

 カチャリ、と音がして、鍵が開いたようだ。とたんに、ラハヤとラーケルはドアから思い切り距離を取る。

 抜かれなかった鍵は、プラプラぶら下がったままだ。

「えっと……」

「ああ、気にしないで。二人とも、この部屋が苦手なだけだから」

 いったい、どんなすさまじい部屋が広がっているのか。

 ビクビクしながら、レーヴィが開けてくれたドアから中を覗く。そのとたん、アルセリアは感嘆のため息をこぼした。

「……可愛い……」

 壁は白で、ベッドやチェストなどの家具は淡いピンク。部屋の中央に置かれたローテーブルは白で、深紅の絨毯によく映える。テーブルの周りにいくつか白いクッションが置かれているのは、椅子代わりなのか。

 ベッドは天蓋もついているし、チェストの上には宝石箱や化粧品が並べられている。

 まるで、お姫様が暮らす部屋のようだ。

「あ、あの、本当に、私がこの部屋を使っても、いいんですか?」

 瞳を潤ませて、両手を組んで、アルセリアが三人に確認を取る。笑顔で頷くレーヴィと、引きつった顔で頷くラハヤとラーケルがいた。

 それを確認すると、アルセリアはパッと破顔する。

「嬉しいです! ありがとうございます!」

 興奮してきたのか、アルセリアの頬はほんのり上気していた。

「それじゃあ、服も見てみる? 着替えは絶対、必要だもんね」

 そういうと、ラーケルはすぐ隣の部屋の鍵を開ける。そのドアは躊躇せず開けたところを見ると、内装はまったく違うのだろう。

 招かれるまま、アルセリアはその部屋へ足を踏み入れる。

 白い壁は同じだった。けれど、家具も白か、黒。もしくは茶だ。落ち着いた雰囲気と言えば聞こえはいいが、寒々しささえ感じてしまった。

「えっと、私たちだと丈が長い服は……」

 ドアの右手側に設えられたクローゼットを勢いよく開き、ラーケルが中身を物色し始める。ラハヤはラハヤで、チェストの引き出しを開けて探し物をしているようだ。

 少し待つ間に、服や小物、装飾品が、どんどん床に積まれていった。

 どれもこれも、見るからに高そうで、ピカピカの新品同然だ。ほとんど身につけていないに違いない。

「このくらいかな?」

「そうだな、とりあえずはこんなものだろう」

 どう考えても、ひと月の間、毎日違う服が着られる。小物の組み合わせを変えれば、数ヶ月から半年は、まったく同じ組み合わせにならないだろう。

 それだけの量の服と小物を前に、アルセリアは首を横にブンブン振った。

「こ、こんなにいりません!」

「何を言ってるの? アルセリアは騎士でも魔術師でもないから、普段から私服なのよ? これでも足りないと、私は思うの」

「そうそう。私たちはこの服と夜着がほとんどで、これを着るのはたまの休日だけだ。せっかくの服が、かえって可哀想にならないか?」

「そうよね、服が可哀想だわ! アルセリアが着てくれたら、少なくともこの服たちは救われるわ。丈の短い服なんて、次の休日……えっと、いつだったかしら? そこまでジーッと待機なんだもの」

 同じ顔に次から次へと畳みかけられて、アルセリアは声も出ないようだ。二人同時に「ね?」と確認を取られた瞬間、こくりと頷いてしまう。

 ハッと気がついた時には、ラハヤが服と小物を抱え上げ、レーヴィに押しつけるところだった。

「姉さんたちの口と迫力に勝てるわけないよ。親はどっちかっていうと無口なのに、何で姉さんたちは弁が立つんだか」

 荷物を受け取りつつ、レーヴィが呟く。とたんに、ラーケルがニッコリ微笑む。

「そりゃあ、誰も口が達者じゃないから、頑張ったんだもん。カーレルなんてのんびりすぎてダメだし、レーヴィなんて面倒くさがりだから、もっとひどいじゃない」

 うっ、と低くうめいて、レーヴィはチラリとあらぬ方向を見る。口で勝てない、というのは、彼にも当てはまる話だったようだ。

「……ユリアさんに、頭のいいやつは探してもらってるぞ?」

「じゃあ、口がうまい人も探してもらって?」

「あー、多分探してると思う、イェレミアスさんが」

 言いながら、レーヴィが部屋を出る。服の山を抱えたまま、どこへ向かうのかと、アルセリアは彼を追う。向かったのは、アルセリアが暮らしていいと言われた部屋だった。

 部屋の中でキョロキョロした後、レーヴィはクルリと振り向く。そこにアルセリアがいることを確かめて、掃除道具をもらってくるように告げる。

 踵を返してラーケルを探し、掃除道具を受け取った。それを持って部屋に戻ると、床を掃除するように言われた。

(……そういえば、使ってない部屋だって言ってたもの。埃が積もってるに決まってるわ)

 やわらかな箒で床をひと通りなでる。それだけである程度綺麗になると言われ、半信半疑だった。しかし、実際にやってみると、確かに絨毯の色が少し鮮やかになったのだ。

 何とも不思議な経験だった。

「とりあえず、全部床に置いとくから、自分で好きなようにしまって」

 服を下ろして部屋から出たレーヴィは、残っていたらしい小物を抱えて帰ってきた。

 ラーケルとラハヤは、絶対にこの部屋に近づこうとしない。けれど、レーヴィは平気なようだ。

「さすがに、下着類は俺が運ぶのはマズいだろうから、後で姉さんたちに袋に入れてもらって、アルセリアに直接渡すように言っとくよ」

「えっと……ありがとう」

「どういたしまして。何かわかんないこととかあったら、誰でもいいから聞いて?」

 そう言うと、レーヴィは部屋を出ていく。

 ふう、とため息をひとつこぼして、アルセリアは大量の服と小物を順番にしまっていくことにした。


          ‡ 


 居住棟と呼ばれる場所で生活を始めて驚いたことは、一度や二度ではない。

 まず、階段を上り下りすることなく、風呂に入ることができた。しかも、常に温かい湯が入っているそうだ。いつでも好きな時に、好きなだけ湯を浴びることができる。

 目がくらむほどの贅沢だ。

 さらに、食事も外に出る必要がない。やはり、同じ階に、厨房と食堂が完備されていた。そして、食事当番というものがあるらしく、レーヴィたちが順番に料理をしているのだ。

 それぞれの好みがあるようで、ラハヤは肉料理が多い。ラーケルは野菜をふんだんに使って、それでも腹持ちのいい料理を作る。レーヴィは魚が好きなのか、さまざまな魚を使った料理が並ぶ。

 生活を始めてすぐに、カーレルという少年と、リューリという幼い少女と会った。カーレルは、アルセリアと同じ年くらいだ。リューリはずいぶん幼く、聞けばまだ六歳なのだという。そして何より、リューリはカーレルの妹なのだ。

 さらに、リューリとカーレルは、ユリアの子供だった。言われてみれば、二人ともユリアに似た面立ちをしている。

「そうそう。会うことは滅多にないだろうが、私には兄がいるぞ」

「えっ?」

 いつかの朝食の時、ラハヤがそう言ったことがある。

 彼女の兄はコスティといい、魔術師らしい。だが、それほど強くなく、宿舎で団体生活を普通に送っているそうだ。

「まったく似ていないから、兄を見かけてもわからないだろうな」

 くつくつと低く笑うラハヤは、無性に楽しそうだった。

 まだ不慣れだからと、アルセリアは食事当番から外されていた。それでも、誰かが準備を始めると、それを手伝うことにしている。

 材料を切ったり、皿を並べたりするくらいは、さすがにしておきたいのだ。

 空き時間には、外に出るようにもなった。まだ、居住棟の周りから離れないようにと、レーヴィだけでなく、ラハヤとラーケルにも言われている。だからアルセリアは、それを律儀に守って生活していた。

 ラハヤたちからもらった服は、毎日いろいろ着ている。下着や姿見など、必要と思われるものは、来たその日のうちに差し入れてもらった。

 不自由といえるのは、自由に好きなところへ行けないことくらいか。

 アウリンクッカに来て十日目のその日も、アルセリアは中庭と呼ばれる場所でのんびり座っていた。

 この中庭は、居住棟にある執務室から見下ろせるらしい。だから、ここか部屋にいてくれると助かると、レーヴィに言われたからだ。

 全体に緑が敷き詰められたこの場所には、居住棟寄りに、大きめの石がある。よじ登らなければいけないわけではなく、かといって、座ったら服の裾が地面に触れてしまうわけでもない。まるで、座って休憩しなさい、と言わんばかりの、手頃な大きさの石だ。

 この石に座ってぼんやりとしている時間を、アルセリアは気に入っていた。

「あの……」

 いきなり、知らない声がして、アルセリアはビクッと体を震わせる。恐る恐る声のした方を見ると、やはり見知らぬ少年が立っていた。

(……服からすると、騎士みたいだけど……)

 レーヴィと同じ服だ。

 この国の騎士と魔術師は、服で分けられている。その服も、色によって明確な違いがある。

 ユリアたちの着ている紫色のものは、紫衣(しい)と呼ばれ、女王が選んだ騎士と魔術師数人のみに与えられるものだ。ラハヤとラーケルの青色は、王女につけられたたった二人の騎士のものだという。当然、他にも王女がいれば、青色をまとう騎士と魔術師は増える。ただ、第一王女の騎士と魔術師は特別で、王女が女王に即位した時、筆頭と呼ばれることになるらしい。

 こうした特別な者以外は、黒色を着ているのだ。

「……どうして、ここにいるんですか?」

 彼は不審な様子を隠さずに問いかけてきた。アルセリアはゆっくりと首を傾げる。

「ここか部屋にいるように、レーヴィに言われたからですけど……」

「……レーヴィに?」

 年齢が近しいからか、彼はレーヴィを知っているようだ。だが、その口振りは、親しみを込めたものではない。どちらかというと、嫌悪や憎悪に似たものが込められている。

 直感が、彼は危険だと告げていた。けれど、体は固まってしまったように、まったく動いてくれない。

 芝を容赦なく踏んで、彼は一歩近づいた。ゆったりとした足取りで、また一歩。動けずにいる間に、彼はどんどん近づいてくる。

 その時、彼との間に、小さな何かが現れた。

 ふわりと、癖のある金茶色の髪が揺れる。

「そこまでよ! この子には近づけさせないんだから!」

「……リューリ様……」

「だいたい、ただの騎士がここに近づくなんて、母様は何て言うかしら? おばあ様だったら、今すぐ全員訓練だって言うところよ!」

 彼はリューリを知っているようで、大きな動揺を見せた。続けられたリューリの言葉に、その動揺はさらに深くなる。

「今すぐ消えて、二度と顔を見せないなら、今回は見逃してあげてもいいわ。ラハヤとラーケルは、そう言ってるもの」

 苦虫を噛みつぶしたような顔をして、彼はアルセリアたちに背を向けた。そのまま、別の建物の奥へと立ち去っていく。

「……えっと、リューリ、ありがとう。助かったわ」

「いいえ、どういたしまして。私、こういう時に一番早くあなたのところへ来られるから」

 リューリは、カルラニセルの魔女の血を引いている。

 その事実を初めて聞いた時、涙が出そうになった。どうしてそんなに泣きたくなったのか。複雑に絡んだ感情をほどくことは、どうしてもできなかった。

 自分の中にある醜い感情と、真正面から向き合うこと。それをする勇気が、その時のアルセリアにはなかったのだ。

「でも、私じゃ、アルセリアを連れて逃げることはできないし、防御壁を作って立てこもることもできないから、本当はレーヴィやラーケルがすぐに来られるといいのに」

 せっかく転移魔術が使えるのに、リューリは手の届かない部分を悔しがっている。

 魔女の国に生まれた娘のくせに、何もできない。そのことをひどく恥じていた自分と、少し似ている気がした。

 それからは、リューリがこうして転移魔術で移動しているところを見ても、それほど気にならなくなっている。

 この十日、見て知ったことがたくさんあった。

 たとえば、ラハヤ。彼女の剣の腕は、かなり優れているのだろう。一度に十人程度の騎士と剣を合わせ、全員に勝利を収めることができる。けれど、それは自身の体を犠牲にもしていた。終えるといつも、ラーケルに叱られているようだ。

 それはレーヴィも変わらない。ラハヤほど、一度にたくさんの相手はできないようだが、それでも五人なら同時に戦ってしまう。そしてケガを負い、やはりラーケルに叱られるのだ。

 ラハヤとレーヴィが目指しているのは、ソーニャだと聞いた。彼女は素手で騎士を相手にし、片っ端から投げ飛ばし、いつも無傷で訓練を終えたとの逸話があるらしい。

 ラハヤもレーヴィも、自分の腕はまだまだ未熟だと、悔しそうに剣を振る姿を見たこともある。

 逆にラーケルは、ある意味完璧だ。魔術で攻撃も防御も治癒もできる。欠点などなさそうだが、異性の名前がなかなか覚えられないそうだ。城にいる騎士や魔術師の名前すら、さっぱりらしい。

 レーヴィもまた、異性の名前が覚えられないのだ。妙なところで姉弟らしさを発揮していると、アルセリアは呆れた覚えがある。

 カーレルは、ラーケルより優れた防御と治癒の魔術が使える。しかし、彼には攻撃する手段がない。一度見せてもらった攻撃魔術は、驚くほど悲惨な結果だった。特にアルセリアは、防御の魔術を見てからだったので、その落差には思わずため息がこぼれたほどだ。

「リューリはそう言うけど、私は、リューリが来てくれて嬉しかったわ。とっても心強くなったもの」

「ホント? ありがとう!」

 嬉しそうに笑うリューリは、ユリアによく似ている。きっと、ユリアの小さい頃にそっくりなのだろうと、簡単に想像ができてしまう。

「……でも、実のところ、レーヴィだったらもっとよかった、なーんてない?」

「…………?」

 アルセリアはゆっくりと首を傾げた。

 時々、こういう時にレーヴィがいたら、などと聞かれることがある。言われると、少し想像してみたくなるものだ。

 もし、助けてくれたのが、レーヴィだったら。

(……何となく、物語の王子様みたいよね)

 ほんの少し、頬が熱くなった。

 ただでさえ、顔立ちは整っているのだ。レーヴィには、危機に颯爽と現れ、あっさり救い出してくれそうな印象がある。

 カーレルも、どことなくレーヴィに似た顔立ちだ。けれど彼は、非常におっとりしている。その性格が表情にも出ていて、レーヴィとは似ても似つかないふうに感じられるのだ。

「あ、それと、レーヴィが女の子の名前を全然覚えないって知ってるでしょ? ラハヤとか私はずっと一緒だから、さすがに覚えてるけど……普段は、一度じゃ絶対覚えないの。でね、レーヴィのお父さんも……」

「アルセリアは、無事だった?」

 リューリが何か話しかけたところで、レーヴィがやってきた。話が途切れてしまったことが、アルセリアには残念に思われた。

 レーヴィの父親が、いったい何なのか。ひどく気になってしまう。

「そんなに心配なら、もっと早く来ればいいじゃない」

「割と頑張った方だろ? リューリみたいに飛べないんだからさ」

「ううん、まだまだだね。レーヴィなら、もっと早く来れるはずだもん」

「……ラハヤだったら、俺より早いかもな」

 ちょいと肩をすくめて、レーヴィはアルセリアの顔を覗き込む。

 予想より近いところに濃い緑色の瞳が現れて、アルセリアは思わずビクッと身を引いた。

「……あ、ゴメン。また驚かせちゃった?」

「ホント、レーヴィったらヴァルトさんそっくりね」

 クスクス笑って、リューリはふわりと姿を消した。直前に聞き慣れた呪文が聞こえたことから、転移魔術を使ったのだろう。

「ヴァルトさん……?」

 硬質な響きのあるその名は、何度か聞いたことがある。けれど今まで、改めて問うことができなかった。問いかけるだけの隙間が、流れる会話の間になかったのだ。

「ああ、俺の父さん。そういや、まだ会ってなかったっけ?」

「うん。レーヴィのご両親や、ラハヤのご両親にも、まだ会ったことがないわ。あ、あと、リューリのお父様にも」

「……あー、サーラさん……っと、ラハヤの母親は、城にいないからなぁ……街に行ったら会えるよ。今度、一緒に行こうか。カーレルたちの父親は、たまーに城にいるけど、俺でも滅多に会わないから難しいかも。で、俺の両親とラハヤの父親だったら、訓練場によく出没してるから、会えそうな時間に行ってみる?」

 夫婦なのに、同じところで暮らさないのか。たまにしか城にいない人は、いったい何をしているのか。

 その二つが気になって、後半があまり頭に入らない。だからアルセリアは、また顔を覗き込まれて仰け反ることになった。

「父さんたちを見に、訓練場に行ってみたい?」

 仰け反った姿勢のまま、アルセリアは瞬きを繰り返す。

 目の前には、いたずらっ子のような、意地の悪い笑みを浮かべたレーヴィがいる。

「俺は、アルセリアと一緒に行きたいんだけど……ダメ?」

 楽しそうな表情に、わずかな陰りがあった。

 何が彼に影を落とすのか。それが、無性に気になってしまった。

「ううん。ねえ、レーヴィ。一緒に行ってくれる?」

「もちろん、喜んで」

 パッと破顔して、レーヴィはアルセリアから程よい距離を取る。その位置から、石に座る彼女へ、スッと手を差し出した。その手にアルセリアが自分の手を乗せると、グイッと引っ張られて落ちそうになる。

 慣れない靴がやわらかな地面に引っかかり、転びそうになった。そこをすかさず、レーヴィが支える。

「大丈夫?」

「……う、うん……大、丈夫」

 最初の手の感触からして、同い年とは思えなかった。こうして体が触れ合うと、ますますそういう感覚が強くなってしまう。

 男の子なのだと、はっきり意識してしまうのだ。

 連れていかれた訓練場で会ったレーヴィの母親シーヴは、ラハヤにそっくりだった。髪の長さと年齢以外、違いがないように感じられたほどだ。そういう意味では、ラーケルにそっくりだと言える。

 逆に、レーヴィの父親ヴァルトが、レーヴィの未来を見ているように似ていた。違いは、瞳の色くらいだろう。

 瞳の色と就いた職だけが、異性の親と同じと教えられた。

「ふーん、この子が噂のアルセリアか。うん、かなりの美少女だな」

「さすがシーヴ。女の子の情報は早いよね」

「ユリアが、レーヴィが一回で名前を覚えた女の子だと教えてくれたからな。いったいどんな奇跡が起きたのかと思っていたが、納得したぞ」

 シーヴの話し方は、ラハヤのようだった。心なしか、声も似ている気がする。

「そういえば、そんな話を聞いた気がするけど」

 対するヴァルトは、穏やかな時のレーヴィと似た口調だ。にこやかにしていると、年を重ねたレーヴィがいるような錯覚さえ起こす。

「アルセリアはカルラニセル出身だが、魔女ではない、普通の女の子らしい。いいか、レーヴィ。きちんと守ってあげるんだぞ? 僕は、レーヴィをそんな情けない男に育てた覚えはないからな」

「わかってるよ。俺だって、アルセリアを守りたいからさ」

 ぬけぬけとレーヴィが言い放ち、シーヴは頭を抱えた。聞いていたアルセリアは、恥ずかしそうにうつむいてしまう。

「……レーヴィの言うことが、年々ヴァルトになっていくんだが……」

「俺よりひどいでしょ。俺はシーヴと二人の時しか、そういうことは言わないって決めてるし」

「いつでもどこでも言っているだろうが!」

 涼しげに笑って否定するヴァルトは、間違いなくレーヴィの父親だった。


          ‡ 


 こうして知り合いを増やしながら、アルセリアは勉強をすることにした。アウリンクッカのことだけではない。そもそも、カルラニセルのことですら、大して知らないで生きていた。その上、カルラニセルと陸続きの国について、何も知らないことが嫌になったのだ。

 昼間は、女王の執務室で、ユリアたちに歴史や文字などを教わることになった。その分、一階下にいるレーヴィたちとは、自然と接点が少なくなる。

 夏の初めに来て、今は辺り一面が雪景色だ。

「もうすぐ、雪祭りの時期ね」

 誰かに聞かれているとは思わず、アルセリアは小さく呟いた。

 カルラニセルでは、冬の半ば辺りで、雪祭りと呼ばれる祝祭があった。その日に好きな人と焼き菓子を食べると幸せになれる、と言われている。

 両親がいた頃は無邪気に、両親と一緒に食べていた。祖母も亡くしてからは、祝祭のこと自体を忘れていたのだ。

 思い出したのは、今がずいぶん幸せだからなのかもしれない。

「あら、カルラニセルの祝祭ね。せっかくだから、やってみる?」

 後半をイェレミアスに投げかけて、ユリアが話に乗ってきた。書類の整理をしていたイェレミアスは、怪訝そうに首を傾げるばかりだ。

「好きな人と焼き菓子を食べると幸せになれる、という言い伝えのある祝祭よ」

「なるほど……面白そうだな」

 そう返事をしたイェレミアスは、明らかに自分がすることを想定していない。人々の楽しみになる、いいことを聞いた。そんな表情だ。

「イェレミアスも、ヨハンナと食べなさいよ。マルセラに言えば、甘くない焼き菓子を作ってくれるでしょ?」

「…………か、考えておく……」

 年齢が年齢だから、きっと、ヨハンナというのは、イェレミアスの妻なのだろう。そして彼は、そのヨハンナが大好きなようだ。耳まで真っ赤にして、明後日の方向を向いてしまった。

(そういえば、イェレミアス様のお子様のお話は、聞いたことがないような……)

 レーヴィたちからも、彼の子供の話を聞いた覚えがなかった。

 子供がいないことは考えにくいから、城で働いていないのかもしれない。

「私もたまには、リクと食べようかしら」

「……それは、リクが泣いて喜ぶな」

「そういうところが可愛いのよ。でも、シーヴと、ラハヤとラーケルとも、食べたくなるのよね」

「……やはり、リクが泣くのか」

 ユリアに関しては、夫にほどほどの興味しかないように見える。それでも、人並み以上の好意はあるのだろう。

 呆れ果ててため息をつくイェレミアスを見ていると、そう信じたくなるのだ。

「アルセリアは、誰か一緒に食べたい人がいるかしら?」

「え? えっと……」

 しっかりと考え込む前に、レーヴィの顔がフッと浮かぶ。

 一日一回は顔を合わせている。けれど、勉強を始めてから、じっくりと会話する機会が減っていた。

(……幸せになれるなら、レーヴィと一緒がいいなぁ……)

 城にいる騎士や魔術師がやってきても。レーヴィのことが好きだと言う女の子たちが来ても。レーヴィは毎回、きちんと守ってくれた。

 守られるばかりで、何も返せない。それどころか、隣に立つ資格すらないのでは。

 そんなことを考える自分が嫌で、まずは知識を得るところから始めてみた。

 自信を持って、レーヴィのそばにいたい。そう思ったからだ。

「一緒に食べたらいいわ。うんと甘い焼き菓子を用意して、ね」

 アルセリアの思考が筒抜けなのか。ユリアはニッコリ微笑んで、そんなことを言う。

「アルセリアの分も、マルセラに頼んでおくわね」

「あ、いえ……その……」

 どうせなら、自分で作ったものを食べてもらいたい。

 何しろ、いまだに食事当番に混ぜてもらえないのだ。手料理を振る舞う機会が一度もないまま、半年近く経ってしまったことになる。

「それじゃあ、厨房を貸してもらえるように、マルセラに伝えておくわ。空いている時間を聞いておくから、アルセリアのいい時間で行ってらっしゃい」

 ユリアには、人の心が見えるのか。そう思ったことが何度もある。時には今のように、ギョッとすることを言われたりもした。


 雪祭りの前日、厨房を借りて甘い焼き菓子を作った。

 焼いている間の待ち時間で、マルセラと少し話をした。彼女もまた、カルラニセルから移り住んだのだという。

 彼女の夫はレース編みの職人だそうだ。いつも髪に飾っている向日葵の髪飾りは、その夫から初めて贈られたものらしい。マルセラがとても大切にしていることが、見ただけでわかる。

「……誰が食べるの? レーヴィくん? そっか、じゃあ大丈夫だね」

 アウリンクッカには、甘い食べ物を一切受けつけない人が多いのだと聞いた。けれど、それが平気な者もいるらしい。

 他国から来た人はもちろん、この国にも、たまに平気な人が生まれるそうだ。ヴァルトやレーヴィ、ラーケルとラハヤは平気な口で、ユリアやイェレミアス、女王、王女はダメなのだという。

 誰が平気で、誰がダメなのか。

 きちんと覚えておかないといけないと、マルセラに厳しく注意された。食べられない人の前で匂いでもさせようものなら、ものすごい勢いで逃げていかれるらしい。

 作り上げた焼き菓子を、リネンで包んで部屋へ持ち帰る。

 明日の朝、レーヴィに会ったら、一緒に食べようと頑張って誘うのだ。


 気合いを入れて眠った翌朝。アルセリアは、クローゼットの中から一番似合うと思う服を取り出した。

 滞在するようになってから、ヒリヤが作ってくれたものだ。彼女は似合うものを着せることが趣味らしく、着ているといつも喜んでくれる。

 腕はピッタリとしているが、肩や胸元には布を重ねてふんわりさせている。スカート部分も布を重ねてあるので、やはりふわりと広がっていた。リボンや花飾りがたくさんついているところも、アルセリアが気に入っている点だ。

 ただし、布の量が多いらしく、少し重いところが欠点だろうか。

 髪もまとめ上げて飾り、準備を整える。

(大丈夫……大丈夫……)

 気持ちを落ち着けるために、焼き菓子の入った籠を持っていない左手を、胸の前でギュッと握った。

 一緒に食べようと、誘うだけだ。断られたら、籠ごと押しつけてしまえばいい。

 レーヴィのために焼いたのだから、一人で食べるのは嫌だった。

 ドアから出て、レーヴィを探しに行こう。そう決めてドアを開けたアルセリアは、驚きのあまり、もう一度部屋に戻ってしまった。

(え? ……え?)

 すぐそこに、レーヴィが立っていた気がした。

「アルセリア、ちょっといい?」

 やはり、気のせいではなかったようだ。

 いくらか落ち着いていた心臓が、大きな音を立てている。そのうち壊れてしまうのではないかと思うほど、やけに激しく動いていた。

「ど、どう、したの……?」

「えっとさ……今日、午前中は空いてる?」

「午前も午後も、予定は何もないよ」

 今日は一日、勉強は休みになっている。ユリアしかいないため、仕事の片手間では十分に教えられないから、というのが理由だ。

「そっか、よかった。あのさ、街に行かない? ずっと、アルセリアとはゆっくり話せなかったし、街に連れてくって約束も、全然果たせてないから」

 来てすぐくらいに、休みの日に連れて行ってもらう約束をした。けれど、アルセリアが勉強を始めて、しかも毎日ユリアたちのところへ通っていたため、流れっぱなしになっていたものだ。

(……覚えてて、くれたんだ……)

 レーヴィはかなり面倒くさがりではあるが、やけに律儀なところもある。だからこそ、忘れなかったのだろう。

「あ、あの! レーヴィに、お願いをしてもいい?」

 今言わなければ、言えずに今日が終わってしまうかもしれない。

 急にそんな気分になって、アルセリアは少し声を張り上げる。そんな彼女が珍しいからか、レーヴィは驚いた様子だ。

「うん、もちろん。何でも言って?」

「あ、あのね……一緒に、焼き菓子を食べて欲しいの」

 言ってから、アルセリアは持っていた籠を差し出す。

「昨日、私が作ったの。レーヴィに、食べて欲しくて」

 どんな答えが返ってくるのか。

 心臓が激しく踊って、キーンと耳鳴りがして、頭がクラクラして、今にも倒れてしまいそうだ。

「……ありがと。すっごく、嬉しいよ」

 見上げると、今まで以上に優しくて、穏やかな微笑を浮かべるレーヴィがいた。

「中庭に行こう?」

 スッと差し出された手に、アルセリアは自身の手をそっと重ねる。それからレーヴィは、反対の手も差し出してきた。

「籠、貸して。俺が持つよ」

 怖ず怖ずと渡すと、つないだ手をキュッと握り返される。

「あ、そうだ。俺、だいぶ前からずっと、アルセリアに言いたいことがあるんだよね」

「え? えっと、何……?」

 いったい、何を言われるのか。

 先ほどとは違う妙な緊張感で、体がガタガタと震え出しそうだ。

「アルセリアが好きだよ」

「……ぇ?」

 聞き違いだろうか。それとも、自分の耳が都合よく解釈したのか。

「俺は多分、いくつになってもアルセリアが大好きでしょうがないと思うから、絶対に手放したくないんだ。でも、アルセリアが、俺じゃない誰かが好きなら、頑張って諦めるよ」

 レーヴィは相変わらず、いきなりひょいと顔を覗き込んでくる。驚いたアルセリアは、いつものように体を仰け反らせた。

 急だから驚くのであって、取り立てて不愉快ではない。

 けれど、それを知らないからだろう。不安そうな色が、濃い緑色の瞳にチラチラと見える。

「……私も、レーヴィが好きよ」

 頬がゆるゆると熱くなってきた。

 レーヴィを好きでなければ、何も持たない自分を、ここまで恥じたりはしない。

 ごく普通の女の子だから、守られていればいい。そう言われるかもしれないが、それだけでは足りないのだ。

 一方的に守られて、支えられているのは、違う。

「だから、私にできることを探したくて、ユリア様たちにいろいろ教えてもらっているの。私は、魔女でもないし、この国だけじゃなくて、カルラニセルのことだって何も知らなかったから……」

 足手まといではなく、力になりたいのだ。

「胸を張って、レーヴィの隣にいられるように、なりたいの」

「アルセリアが頑張ってるのは知ってたけど……その、さ。俺、今すっごく嬉しいんだけど、アルセリアを抱き締めてもいい?」

「えっ……」

 いいとも、ダメだとも、とっさに言えなかった。

 黙り込んだアルセリアを、レーヴィはそっと抱き締める。壊れ物を扱うように、どこまでも優しい力加減だ。

「アルセリアには戦う力がないから、危ない時は俺が守るよ。でも、俺は人の顔と名前を覚えるのが苦手だから、そこはアルセリアに助けて欲しいな」

「うん……助けるから、困った時は助けてね?」

 額、目尻、頬、唇と、順に降ってくるキスを受け止める。

「……じゃあさ、明日から、アルセリアも食事当番に混ざる?」

 甘さとくすぐったさに目を閉じていたアルセリアは、パッと目を開けてレーヴィを見上げた。

「俺より先に、誰かがアルセリアの作った料理を食べるのが嫌で、姉さんたちに頼んで外してもらってたんだ。でも、アルセリアが作ってくれた焼き菓子があるから、さ」

 幼いリューリはともかく、当番に混ぜてもらえないことに、強い疎外感があった。それがなくなるのなら、ますます嬉しくなってしまう。

「うん! ありがとう、レーヴィ」

 ふんわりと微笑むアルセリアに、レーヴィは目元をわずかに赤く染めた。




 アルセリアが中庭でレーヴィと食べた焼き菓子は、確かに幸せにしてくれた。

 この出来事が根拠となったように、翌年からアウリンクッカ国内では、雪祭りが盛んに行われている。その翌年には他国にも波及したようで、今では焼き菓子以外の菓子で祝う人も出てきているようだ。

 幸せをつかむ、雪祭りの焼き菓子。

 それは、魔女になれなかった少女が運んできた、新しい幸福の呼び水だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ