【第8話】謎の男とおでん定食
都会の片隅から、ある日突然、見知らぬ異世界へと飛ばされてしまった料理人、坂本。
魔法もなければ、超常的なチート能力もない。手元にあるのは、長年使い込んできた料理の腕と、包丁一本。
そして、「腹を空かせた人に、温かい飯を食べさせたい」という、料理人としてのささやかなプライドだけだった。
日々を懸命に生きる平民たちが集うその店に、今夜、また一人…およそ場違いな「疲れ切った大物らしき男」が、引き寄せられるように暖簾をくぐる…
異世界の片隅、街から少し外れた路地裏…
坂本の営む小さな食堂は、今夜もぼちぼち賑わっていた。
「お待たせさん。
今日も『おでん定食』だ。出汁が熱いから気をつけな!」
「おお、待ってました!
昨日も食ったけど、坂本さんのこいつを食うと一日の疲れが吹き飛ぶんだよな。」
「すまねぇなぁ…作りすぎてしまってよ。
シャルロットとも食べたんだが、まだまだあってよぉ。」
「いやいや、味がまた更に染みて美味いよ。
この柚子胡椒ってやつがまた食欲を唆るんだよ。」
カウンターには、マートンと弟子達が並び、湯気立つ皿を囲んで賑やかに手を動かしている。
……カラン、カラン……
入り口の鈴の音が響き、夜の冷気とともに一人の男が店内に滑り込んできた。
「いらっしゃいませ!
空いてる席へどうぞ!」
声をかけたシャルロットは、思わず目を留めた。
上質なマントを深く羽織り、周囲の人達とは明らかに一線を画す威厳に満ちたオーラを放っている…
男は周囲の客をいかにも不快そうに一瞥すると、偉そうな足取りで、カウンターの端の席へと腰掛けた。
「ふん、随分と狭く、騒がしい店であるな!」
「はは、狭くてすまんねぇ…
おや、随分と顔色が悪いなぁ…大丈夫か?」
坂本は苦笑しながら、
男の前に熱い緑茶を差し出した。
相手がどれほど高貴な空気を纏っていようと、坂本の態度はいつもと変わらない。
「無礼者め。
初対面の男に随分と馴れ馴れしいな……。
私はただ、腹が減ったから立ち寄ったに過ぎん。メニューを見せろ。」
「悪いねぇ、うちじゃメニューは
『日替わり定食』の1本しか置いてないんだ。それでいいか?」
「チッ……選択の余地もないのか。まあいい、何か腹に入るものなら何でも構わん。持ってこい。」
「了解。
すぐ用意するから、お茶でも飲んで待っててな。」
ふいっ、顔を背ける領主だったが、
厨房の大鍋から立ち上る、嗅いだことのない不思議な香りにふと鼻をピクリッ…と動かした。
鰹と昆布、醤油とみりんが織りなす、胸が痛くなるほど優しい日本の「お出汁」の匂いだ。
「はいよ、お待たせさん!
今日の日替わり、『おでん定食』だ。」
目の前に置かれたのは、
透き通った黄金色のスープに浸かる、
丸く大きな白い物体、色の染みたエッグ、そして茶色の三角の物体。
さらに、アツアツの白い粒とスープが添えられている。
「ほう……これが『オデン』とやらか…
見たこともない地味な料理だな。
随分と泥臭いというか、地味な見栄えではないか。
宮廷の料理人が見たら卒倒するぞ。
……おい、 皿の端についている、この黄色い泥のようなものは何だ?」
「そいつは『辛子』。
スパイスの一種だ。おでんにちょっとつけて食うと美味ぇんだ。」
「ふん、余計な真似を。
まずはそのままいただこう。」
男はフォークを握り、大根へと突き立てた。
すると、驚くほど抵抗なく、スッとフォークが通る。
そこからじゅわぁぁ…と溢れ出たのは黄金色のスープだ。
フウフウと息を吹きかけ、恐る恐る口へと運ぶ。
「――っ!?」
口に入れた瞬間、男の動きがピタリと止まる。
「な、なんなのだ!これは……っ!
酷く優しい味なのに、このスープ、具材に奥深いコクもある!
この大きな白い物の中まで、この美味なスープが完全に染み込んでおるではないか!」
「だろぉ? 丸一日かけてじっくり下茹でして、それからコトコト…煮てんだ。
まぁ…このおでんは二日目のおでん、だけどな。
あんたみてぇに頭も体も使い果たした奴の胃袋には、これが一番効くんだよ」
「くっ……! 認めざるを得んな。確かにこれは美味い…」
先ほどまでの偉そうな態度はどこへやら、領主はマントを跳ね除け、夢中で大根を口に放り込み始めた。
そこでふと、皿の端の黄色い塊が目に留まる。
「……ふむ。この『カラシ』とやら、
少し試してみるとするか。
美味いスープを汚さねば良いが……」
男はフォークで器用に辛子を多めに取り、大根に乗せて大きな口で放り込んだ。
「一一一っぶ、ふぉっ!?」
直後、領主はカッ、と目を見開き、自分の鼻を押さえた。涙目がさらに潤み、あまりの衝撃に言葉を失っている。
「あっ、おいおい! 辛子はそんなに一気にいっちゃダメだって! 少しずつ乗せるもんだよ!」
「き、貴様ぁ……っ!
それならそうと早く言え!
鼻が…鼻がもげるかと思ったぞ……っ!
なんと言う凶悪な兵器を仕込んでいるのだ!」
涙を拭いながら怒る男だったが、
ツンッ、とした刺激が引いた後口の中に信じられない変化が起きていることに気づいた。
「……ん? 待て……。この鼻に抜ける痛烈な刺激の後に、この白いの甘みとスープの旨味が、さっきよりも鮮烈に引き立っている……?
くっ、悔しいが、この刺激が次のひと口を猛烈に誘いおる……!」
「ははは! 分かってくれたかい。そのツンとくる辛さが、出汁の旨味を化けさせるんだ。今度はちょいとつけて、白米と一緒にいってみな。」
「我輩に命令するでない !……
だが、試してやろう。」
今度は恐る恐る、ほんの少量の辛子を大根につけ、白米の上に乗せて口に運んでいく…
「おおお……っ!
こ、これは…完璧だ! このカラシがこの白い粒の甘みをも引き立てている…!
手が…フォークが止まらん!」
男はもう完全に我を忘れ、出汁の染みた卵を割り、巾着をかじり、辛子を絶妙に効かせながら、ホカホカの白米と一緒に豪快にかき込み始めた。
弱っていた胃袋が、温かい出汁と心地よい刺激を吸収するたびに歓喜の声を上げている。
その見事な食べっぷりに、常連達も、
「おい、あのおっさん、めちゃくちゃ美味そうに食うな」
と、いつの間にか笑顔で頷き合っている。
「ぷはぁ……。喰った、喰ったぞ……。このような地味な店で、
これほどの至高の逸品に出会うとはな……。あの黄色いスパイス、恐るべき代物であった。」
一滴残らず完食し、空になった器を見つめながら、領主は深く息を吐き出した。
その表情からは店に入ってきた時の険しさは消え失せ、すっかり肩の荷が降りたような穏やかな顔になっていた。
「そりゃよかった。しっかり食えたなら、明日からまた仕事、頑張れるだろ?」
「ふん。お前なんかにに言われるまでもない。……おい、会計だ。いくらだ?」
「日替わり定食は一律、銅貨五枚だよ。」
「そうか。ならば、これを取っておけ。」
領主がカウンターにコト、と置いたのは、見たこともないほどピカピカに磨かれた『金貨』だった。
「おいおい。こりゃ貰いすぎだ。
こんなの出されたって、うちじゃお釣りが出せねぇよ。」
「釣りなど要らぬ。それはまぁ、そうだな。
『前払い』だ。……その時も、我輩を満足させる日替わりを用意しておけ。」
男はそう言い残すと、今度はどこか軽やかな足取りで、夜の街へと消えていった。
「やれやれ……。偉そうなおっさんだったな。お釣りはいらねぇって言われても困るんだけどなぁ……」
「あの人、どこかで見たことある気がするんですよねぇ…」
坂本とシャルロットは金貨をじっと見つめ、苦笑しながらも、それを大切に引き出しへと仕舞うのだった。
読んでくださりありがとうございました。
今日は店に何やら大物…?らしき人が来店しましたね…
今後…出てくる…かも……?
ところで皆さんはおでんの好きな具材はなんですか?
私は牛すじとウインナーが好きなんです。
でもウインナーを入れると…少し出汁全体がウインナーの香りになってしまうのが難点ですけど……
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ではまた次の営業でお会いしましょう…




