【第20話】小さな一歩とエビフライ定食
「あ、いらっしゃいませ!」
昼下がりの店に、シャルロットの明るい声が響き渡る。
入ってきたのは、20歳位の若い女性だった。
肩まで伸びた髪を揺らしながら
空いている席に腰を下ろすと、
店内に漂う香ばしい匂いに小さく息を吸った。
「…はぁ、良い匂い。お腹空いちゃった!」
「ふふっ!ちょっと待ってて下さいね!」
シャルロットが厨房へ戻ると、
坂本は揚げ鍋の前で最後の仕上げに取りかかっていた。
今日の日替わり定食はエビフライ定食だ。
下処理を済ませたエビに小麦粉、溶き卵、
パン粉をつけ油の中へ入れる。
じゅわっ、と心地良い音が立ち衣がきつね色になっていく…
揚げ上がったエビフライを油切りに置き、
千切りキャベツを添えた皿へ盛りつける。
更にゆで卵と刻んだ玉ねぎを使った手作りのタルタルソースを小鉢に添える。
そう、これがポイントなのだ。
炊きたての白米とスープも盆に載せれば、
今日の定食の完成だ。
「シャルロット、出来たから持っていってくれ!」
「はーい!!」
シャルロットは料理を受け取り、
女性客の席へ運んでいく。
「お待たせしました。
本日の定食、エビフライ定食です!」
女性は料理を見た瞬間、笑顔を引っ込めた。
「……えっ、エビ?」
皿の上には黄金色に揚がったエビフライが三尾綺麗に並んでいる。
衣は黄金色で添えられたタルタルソースも食欲を唆るビジュアルだ。
しかし、女性はそれどころではなかった…
「え、本当にエビなの…?」
「はい、揚げたてですよぉー。
このソースも坂本さんの手作りなんです!」
シャルロットは胸を張って定食の説明をしている。
「――そ、そうなんだ…」
女性は困ったように眉を下げた。
シャルロットが不思議そうに首を傾げる。
「もしかしてエビ、苦手なんですか?」
「苦手というかね、大嫌いなのよ。
あの気持ち悪い見た目がどうしても駄目でね大きな目に、細長い触角、
それにゴツゴツした殻…
はぁ、考えただけでもゾッとするわ…」
女性は両手で自分の腕をさすった。
幼い頃、
食卓に出されたエビを見て泣き出した時
からずっと苦手だったのだ。
周囲からは「美味しいのに…」と言われてきたが、
そもそも口に入れる事自体に抵抗がある。
食べる前から嫌な気分になるのだから、
わざわざ挑戦する気にもなれなかった…
「あらまぁ…そうだったんですね…」
シャルロットが返事に困っていると、
厨房から坂本が顔を出した。
「おい、嬢ちゃんよ。」
「は、はい…」
「お前さんは結構来てるから知ってると思うが、うちは日替わり定食一種類しかないぞ…」
女性はしゅんと肩を落とした。
「…ええ。知っているわ。
別に、お店が悪いわけじゃないもの…」
坂本は女性の皿を一瞥した。
「食うかどうかは好きにしな。
でもよぉ、揚げ物は揚げたてが一番美味いんだ。
冷めちまったらもったいねぇぞ!」
そう言うと、坂本は厨房へ戻った。
女性は目の前のエビフライを見つめた。
食べたくない。出来ることなら今すぐ帰りたい。
けれど、折角お腹を空かせて入った店だし、料理を出してくれた坂本にも申し訳ない気がする…
「――うぅ……」
その時、ふわりと香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
揚げたての衣から漂う、食欲をそそる香り。よく見ると、エビの周りの衣はこんがりと膨らみ、細かな気泡が浮かんでいる。
「――匂いは、美味しそうなのになぁ…」
「坂本さんの揚げ物、本当に美味しいんですよね!」
シャルロットがそっと声をかけた。
「外はサクサク、中はぷりっとしていて。
このタルタルソースもよく合うんです!
私の大好物なんですよぉ!」
「――そ、そんなにおいしいの…?」
「はい!
でも、無理に食べて下さいとは言いませんからね!」
シャルロットはニコリと笑い、別の客の接客へ向かった。
女性はもう一度、皿を見た。
エビが嫌いなのは変わらない。
今までだって避けてきたのだから、
今日も食べなければ良い…
でも衣の香ばしさが気になる。
タルタルソースも、白いご飯も、
どれもおいしそうだ。
エビフライだけが、どうしても気にかかる…
「……一口だけなら…」
女性はフォークを手に取った。
エビの形は残っているものの、
頭や殻は取り除かれ、黄金色の衣に包まれている。
普段見かける生のエビより抵抗は少ない。
エビフライにタルタルソースをつけ、
思い切って口へ運んだ。
――サクッ!
軽やかな音とともに衣が砕けた。
続いて、熱々のエビの身がぷりっと弾んだ。
噛むほどにほんのりとした甘みが広がっていきタルタルソースのまろやかさと酸味が、
その味を引き立てていく…
「――あ、あれ…?」
女性は目をぱちぱちさせた。
もっと生臭いと思っていた。
妙な食感がして、口に入れた瞬間に後悔すると思っていた。
ところが、実際にはそんなことはない。
衣は香ばしく、エビの身はぷりぷりとしていて、ソースともよく合っている。
「――美味しい…」
思わず漏れた言葉に、女性自身が驚いた。
エビが嫌いなのは変わらない。
今だって、目の前に殻つきのエビを置かれたら、きっと顔をしかめてしまうだろう。
しかしこのエビフライは美味しかったのだ。
女性はもう一口食べてみる。
今度は少しだけ大きく。
サクサクの衣に、ぷりっとした身。
タルタルソースを多めにつければ、
また違った顔になる。
知らぬ間に最初の一本をすっかり食べ終えていた。
「――ほ、本当に食べちゃった…」
「美味しかったでしょ?」
戻ってきたシャルロットが嬉しそうに笑っている。
「……ええ。美味しかったわ…」
「でしょ?美味しいんですよ!」
「でも、エビが好きになったわけじゃないんだからね!
あの見た目はやっぱり苦手だもの。」
シャルロットは笑顔で頷いた。
「はい。
無理に好きになる必要はないと思いますよ。
好き嫌いはあって当然です!」
女性は残った二尾を見つめた。
さっきまではどうやって食べずに済ませようかと考えていたのに、
今はもう一本食べてみようと思っている。
そんな自分が、少しおかしかった。
「――まぁ、折角だもんね…」
二本目のエビフライに手を伸ばす。
白いご飯と一緒に食べると、衣の香ばしさとエビの甘みがさらに引き立った。
タルタルソースもたっぷりとつけると
本当に美味しい。
最後の一本を食べ終えるころには、
皿はきれいになっていた。
「ふぅ、ご馳走様でした。美味しかったわ。」
女性が声をかけると、
厨房から坂本が顔を出した。
「おう。綺麗に食ってくれたな。
ありがとよ。」
「ねぇ、店主さん。」
「あ?どうしたんだ?」
「私、エビがずっと嫌いだったの。
たぶんこれからも見た目は苦手なままだと思う。
でもね、エビフライならまた食べたいと少し思ったわ。」
「そうか。ならまたエビフライ定食の日にしてやるよ。」
「――楽しみにしてるわ…」
女性はくすりと笑った。
「また食べに来て下さいね!」
シャルロットが声をかけた。
「えぇ、ありがとう。また来るわ!」
女性は軽い足取りで街へ歩き出した。
これから先も苦手なものはきっとあるだろう。
どうしても受け入れられないものだってあるはずだ。
それでも、ほんの少し試してみれば思っていたのとは違う何かに出会えることもある。
「……食わず嫌いって、
案外勿体ないかもしれないわね…」
ポツリと呟き、女性は空を見上げた。
今日のエビフライは彼女の世界をほんの少しだけ広げてくれたのだった…




