第三章:『白い米、あるいは心の洗礼』
ディアが黒い瞳を潤ませながら、必死の身振り(ジェスチャー)で伝えてくれたあの日の真実。それを受け止めた私の胸の奥には、筆舌に尽くしがたい激しい感銘が、熱い嵐のように吹き荒れていた。
あの凄惨極まる白骨街道の泥の底から、我が身の危険も顧みずに私を救い出し、褌を外してまで丁寧に看病してくれた彼女の行動のすべては、かつて私が古参の上等兵たちの暴力から彼女を守ったことへの、命がけの恩返しだったのだ。
我が軍に入営して以来、理不尽な鉄拳制裁や上層部の冷酷なやり方に揉まれ、泥と硝煙に汚れて擦り切れきっていた私の心が、生まれて初めて、上流の清流ですすがれるかのように綺麗に洗われていくのを私は強く感じていた。軍隊という狂気の組織のなかで、私の貫いた生真面目な正義感は、決して間違いではなかったのだ。
そんな私を見つめていたディアは、はにかむような笑みを浮かべると、部屋の隅から温かい湯気を立てる素焼きの器を厳かに運んできた。
蓋を開けた瞬間、私の目蓋に焼き付いたのは、まばゆいほどに真っ白に輝く、炊きたての温かいご飯だった。
「……あ」
私の口から、かすれた声が漏れた。
牟田口中将の無謀な作戦が失敗し、木村大将が戦線を捨てて逃亡して以来、私たちは何ヶ月もの間、白い米の飯など爪の先ほども口にしていなかった。泥を舐め、密林の草の根を噛み、飢えに狂って死んでいった戦友たちの顔が脳裏をよぎる。
私は震える手で器を受け取ると、もう羞恥心も、兵長としての威厳もかなぐり捨てて、その温かい真っ白な米を、夢中になって口の中へと頬張り始めた。
一粒一粒を噛み締めるたびに、米の確かな甘みと温もりが、身体の芯へと染み渡っていく。
気がつけば、私の黒い瞳からは、大粒の熱い涙がとめどなく溢れ出していた。お線香の煙が静かに棚引く由緒ある寺院のなかで、私は声を上げて泣きながら、ただひたすらにディアが炊いてくれた白いご飯を、貪るように喉へと流し込み続けた。それは、飢えに震えていた私の肉体だけでなく、死にかけていた私の魂をも救う、本物の洗礼の理屈(考え方)のようだった。
私が涙と汗で顔をぐしゃぐしゃにしながら器を空にするのを、ディアは隣で、どこか恥ずかしそうに、しかし本当に嬉しそうに、優しく微笑みながらじっと見つめていた。
言葉の通じないビルマの寺院の静寂のなか、同じ湯水を分け合い、同じ白い米を分かち合った私たち二人の間には、もう誰も破ることの出来ない、本当の固い絆が結ばれようとしていた。
「……すまなかった。本当に、申し訳ないことをした」
私は涙を拭うと、寝台の上で姿勢を正し、ディアに向かって真っ直ぐに、深く、深く頭を下げた。
それは、牟田口廉也中将の無謀なインパール作戦によって飢えに狂い、このビルマの地で掠奪を働き、彼女の水牛を奪おうとした我が日本軍の数々の悪行に対する、一介の兵長としての心からの謝罪(理屈)だった。組織の面子や軍人としてのプライドなど、今の私にはどうでもよかった。ただ、自らの命を救ってくれたこの清らかな少女の前に、私は一人の人間として誠実でありたかったのだ。
私が頭を下げ続けると、部屋の中にお線香の静かな香りが棚引くなか、ディアはその大きな黒い瞳を潤わせながら、私の謝罪をすべて受け入れるように、優しく、深く頷いてみせた。過去の硝煙の恨みが、二人の静かな沈黙のなかで、綺麗に洗い流されていくのを私は感じていた。
すると、ディアは私の空になった素焼きの器を手に取り、嬉そうに微笑みながら再び厨房の奥へと消えた。
次に彼女が運んできたのは、私の目を釘付けにする、さらなる現地の見事なご馳走だった。
真っ白な炊きたてのご飯の傍らに添えられていたのは、じっくりと火を通された美味そうなアヒルの肉、新鮮なアヒルの卵、そして大粒の真っ赤な唐辛子だった。うだるようなビルマの酷暑を生き抜くための、現地の人々の知恵が詰まった最高の配給(食事)だ。
「――いただきます」
私は再び声を震わせ、その器へと箸を伸ばした。
弾力のあるアヒルの肉を噛み締めると、濃厚な旨味が口いっぱいに広がり、追って唐辛子の強烈な辛みが、私の脳髄を心地よく刺激した。その鮮烈な美味さに誘われるようにして、私は真っ白な米を何度も、何度も豪快におかわりし、夢中になって頬張り続けた。
身体からは、唐辛子の烈しい辛みと、生きているという実感の熱さによって、大粒の心地よい汗が滝のようにあふれ出て、ビルマの新しい衣服をぐっしょりと濡らしていった。だが、その汗はあの白骨街道で流した死の冷や汗とは違う、魂の蘇生を告げる温かい発汗だった。
何ヶ月もの飢餓を乗り越え、アヒルの肉や卵をご飯と共に貪るように喉へと流し込む私の姿を、ディアはやはり隣で、恥じらしそうに目を細めながら、本当に愛おしそうに見守っていた。同じ由緒ある寺院のなかで、同じ美味い飯を分け合い、汗を流した私たちは、世界の終わりを迎えたこのビルマの密林のなかで、もう誰の手も届かない強固な信頼の絆で結ばれたのだ。
食後、私はディアが差し出してくれた、独特の強い香りを放つ現地のビルマタバコに火を付け、静かに一服した。
掘立小屋――いや、この静まり返った由緒ある寺院の暗がりのなかへ、細い紫煙がゆったりと立ち上っていく。お線香の香りとタバコの煙が混ざり合うなか、私はその煙の向こうにある凄惨な現実を見つめ、深く、深く考え込んでいた。
(……俺は、こうして奇跡的に助かった。温かい真水を飲み、アヒルの肉や炊きたてのご飯まで腹いっぱい食べさせてもらった。だが……)
私の正確な頭脳は、あの寺院の外に広がる密林の地獄を、冷徹に描き出していた。
今この瞬間にも、あの悪名高き白骨街道の泥の底では、無数の日本軍の戦友たちが、マラリアの熱に浮かされ、飢えに震えながら、虫の息で救いを求めて彷徨っているはずなのだ。ウジの湧く死体の山は、一分一秒ごとにその数を増やしているに違いない。
彼らもまた、私と同じ大日本帝国の兵士であり、理不尽な軍隊の犠牲者だった。
しかし、私を現実的な理屈(考え方)が引き戻す。一介の兵長に過ぎない私一人の力では、たとえどれほど正義感が強かろうとも、あの地獄から「皆を救うことは難しい」という絶対的な限界。全員を救い出す術など、この世界のどこにも存在しないのだ。
私はビルマタバコの苦い煙を肺腑へと深く吸い込み、自らの無力さに奥歯を噛み締めながら、ただ静かに紫煙を見つめ続けていた。
命を救われ、ディアとの間に強固な信頼の絆が結ばれたからこそ、あとに残してきた戦友たちへの悲壮な思いが、私の胸を激しく締め付けて離さなかった。世界の終わりを迎えたビルマの夜の帳のなかで、生真面目な兵長の静かなる葛藤の時間が、重苦しく更けようとしていた。




