第28回 日本の格式、だそうです(前半)
「シオン命」の法被を返してから、一日しか経っていなかった。
紅葉が朝、席に着いた瞬間、異変に気づいた。七瀬が自分のデスクの前に立っている。しかも、紫色の法被を羽織っていた。背中には、大きく「シオン命」の文字。七瀬の顔は、いつもより明らかに険しい。
「紅葉」
『……はい』
七瀬は法被の袖を摘まみ、紅葉の目の前で一度、強く振った。
「あの女が、朝イチでこれを置いていきやがった。『七瀬さんにもお裾分けです』だと。お前らは経費で、何を作ってるんだ」
紅葉は即座に立ち上がり、法被を回収しようとした。七瀬はそれを振りほどかないが、目は完全に死んでいる。
『すみません、すぐに返します。あれは……その、応援の雰囲気を……』
「応援? 誰をだ。経理をか」
紅葉は何も言えなかった。七瀬は法被を脱ぎ、紅葉の机に叩き置くと、書類を一枚投げた。
「今日の任務も、どうせまた変なものを着るんだろう。領収書は、後でまとめて持ってくるからな」
それだけ言い残し、七瀬は経理室へ戻っていった。紅葉は法被を見下ろし、深く息を吐いた。
その直後、零子から指示が入る。
「詩音、紅葉。今日は結婚式場だ。和装の新郎新婦がいる案件。詳細は資料を見ろ」
資料を読むと、式場内で一人の参列者が酒に酔って場を乱しており、新郎新婦側が「 目立たずに抑えたい」と依頼してきた内容だった。華やかな場で、できるだけ目立たず対処してほしい、との注記もある。
紅葉は資料を閉じ、心の中で予想した。
『結婚式場か……。ドレスか、フォーマルなスーツだろう。さすがに本番の式場でこれ以外はありえない。今度こそ、普通で済む』
午後、詩音が席に戻ってきた。
手元には、大きな布包みがあった。紅葉はそれを見て、わずかに安堵した。ドレスなら、まだマシだと思った。詩音が包みを開ける。
出てきたのは、淡い紫の着物と、深い赤の着物だった。帯も、髪飾りも、一式が揃っている。
紅葉の思考が、止まった。
『……まさかの、着物?』
『はい。和装の新郎新婦がいる場ですので、日本の格式を最も出せる着物が必要だと思いまして』
『ドレスだと思ったんですけど!』
『ドレスだと、和の空気に溶け込めません』
紅葉は着物の生地を指で触り、静かに目を閉じた。七瀬の怒った顔が、脳裏に浮かぶ。
『……着ます。着ますから。ただし、帯は自分で結べませんので、手伝ってください』
詩音は小さく頷いた。紅葉はその頷きを見ながら、今日の請求書の桁を、すでに恐れていた。




