第25回 誠の、雰囲気だそうです(後半)
京都に着いた時点で、紅葉の精神はすでに半分以上持っていかれていた。
新幹線で写真を撮られ、刀を抱えて駅を歩き、タクシーの運転手にまで『映画の撮影ですか?』と聞かれた。詩音は全て真顔で『雰囲気です』と返し、紅葉はそのたびに黙って頭を下げた。
老舗旅館は、静かな路地の奥にあった。
木の匂いと、古い畳の香り。玄関で声をかけられると、女将が一人で出てきた。五十代くらいの、芯の強そうな女性だ。二人の新選組姿を見ても、表情をほとんど変えなかった。
「……面白い格好でいらっしゃいましたね」
『格式を重んじまして』
詩音が静かに答える。女将は短く息を吐き、中へ通した。どうやら、すでに相当なトラブルに疲れているらしかった。
依頼内容は、宿泊客の一人が夜な夜な他の客に絡み、苦情が多発しているというものだった。直接的な暴力はないが、放置すると宿の評判に関わる。まずは、相手の出方を抑えてほしい、とのことだ。
詩音は館内を歩きながら、周囲の空気を測るように目を細めていた。羽織の袖が、静かに揺れる。紅葉は後ろをついて歩きながら、自分の袴の裾を気にしていた。動きにくい。だが、詩音は妙に決まっている。鏡に映った自分たちを見ると、紅葉だけが完全に浮いていた。
問題の客は、夕食後の廊下で見つかった。
酒を飲んだらしく、顔が赤い。他の客の部屋の前で、何か話し込んでいる。相手は明らかに困っていた。詩音が近づくと、男はこちらを見て、一瞬目を丸くした。
「なんだお前ら。コスプレか?」
『やめていただきたい。この宿の空気を、乱さないでください』
詩音の声は低かった。怒っているわけではない。ただ、場の雰囲気を整えるように、静かに言っただけだった。男は笑おうとしたが、詩音の目を見て、笑みが少しだけ止まった。
紅葉はそのとき、はっきりと感じた。
この人は、衣装のせいではない。
新撰組の羽織を着ていようが着ていまいが、場の空気を自分の色に染めようとする。それが、詩音という人間のやり方なのだ。
男はしばらく詩音を見ていたが、結局、短く舌打ちをして部屋に戻っていった。それ以上の騒ぎにはならなかった。
女将が後で頭を下げてきた。
「助かりました。あの格好で、意外と効果がありましたね」
詩音は真顔で頷いた。
『誠の雰囲気が出ていたかと』
紅葉は横で、小さく息を吐いた。
『出ていました。出すぎです』
翌朝、京都を発つ前に、紅葉は旅館の縁側で一人になっていた。
羽織を脱ぎ、刀も預けたあとだ。普通のスーツに戻った身体が、妙に軽く感じる。詩音が近づいてきて、隣に座った。
『紅葉さん。昨日は、雰囲気が良かったです』
『……先輩の雰囲気が、強すぎただけです』
『でも、紅葉さんが隣にいてくれたので、安定していました』
紅葉は返す言葉を探し、結局何も言わなかった。ただ、新幹線で写真を撮られたときの羞恥と、現場で詩音が場を制したときの違和感が、胸の中で混ざっているのを感じていた。
東京に戻る新幹線の中で、紅葉は窓の外を見ながら小さく呟いた。
『次は、普通の服で来てくださいね……本当に』
詩音はすでに、次の雰囲気を考え始めている顔だった。




