第25回 誠の、雰囲気だそうです(前半)
関係が少しだけ更新されてから、数日が経っていた。
紅葉は詩音の「紅葉さんがいないと空気が安定しない」という言葉を、時々思い出す。認めたわけではない。ただ、以前より少しだけ、突き放す気が薄くなっていた。それでも詩音の非常識さは健在で、紅葉の教育係としての日々は、基本的に変わっていない。
その日の午前、零子に呼ばれた。
「詩音、紅葉。京都の老舗旅館の件だ。出張になる。詳細は資料を見ろ」
資料を読むと、歴史のある旅館で、最近トラブルが続いているらしい。宿泊客との小さな揉め事や、奇妙な苦情が増えている。表沙汰にしたくないので、様子を見てほしい、という依頼だった。
紅葉は資料を閉じ、心の中で即座に予想した。
『歴史ある旅館か……。あのバカな詩音先輩なら、絶対に着物か、仲居さん風だろう。格式を出すならそれしかない』
自信があった。今回こそは外さない、と思った。
午後、詩音が席に戻ってきたとき、手元には大きめの行李のような袋があった。紅葉はそれを見て、すでに半分諦めていたが、それでも予想の範囲内だと信じていた。
詩音が袋を開ける。
出てきたのは、青い羽織に袴、白の下着。胸元には「誠」の文字。刀まで、丁寧に添えられていた。
紅葉の思考が、一瞬止まった。
『…えっ?…まさかの、新撰組?!』
『はい。歴史ある場所ですので、誠の心と規律正しい雰囲気が必要だと思いまして』
『着物か仲居さんだと思ったんですけど!』
『それだと、緊張感が足りません』
紅葉は羽織を手に取り、本気で天井を仰いだ。予想が、見事に外れた。しかも外し方が、詩音らしくて腹が立った。
『……着ます。着ますから。ただし、刀は本気で振り回さないでくださいね』
新幹線の中で、詩音は真顔で言った。
『紅葉さん。ここで着替えておきましょう。現地に着いてからでは、雰囲気が間に合いません』
『は? 新幹線で?』
『はい。多目的室を使えます』
結局、紅葉は多目的室で新選組の装束に着替えさせられた。袴の紐を結び、羽織を羽織った瞬間、すでに自己嫌悪が頂点に達していた。戻ってきた通路で、外国人観光客のグループとすれ違う。彼らが足を止め、目を丸くした。
「Excuse me! Photo, please!」
紅葉は全力で首を横に振ったが、詩音が真顔で『雰囲気が出ていますので、構いませんよ』と答えてしまった。結局、写真を撮られ、笑顔を要求され、紅葉の精神は新幹線の速度と同じくらいで削られていった。
詩音は窓の外を見ながら、静かに言った。
『やはり、誠の雰囲気が出ています』
紅葉は刀を抱えたまま、座席に深く沈み込んだ。
『出さなくていいです……本当に』




