第23回 止まれなかった、だそうです(後半)
零子の言葉が部屋に残ったまま、紅葉は少しだけ姿勢を正した。
『私は教育係です。詩音先輩のことは、私に任せてください』
零子が目を細める。紅葉は続けた。
『これでも、最近は経費のことを気にかけたり、以前よりは相談しようとしたり……成長してきてるんです。大丈夫です。彼女も、少しずつ変わり始めてます』
自分で言っていて、どこか無理があるのはわかっていた。それでも、今はそう言うしかなかった。零子はしばらく紅葉の顔を見ていたが、やがて短く息を吐いた。
「そうか。では、詩音を任せたぞ」
言いかけたそのとき、ドアが開いた。
詩音が入ってくる。雰囲気を察したのか、少しだけ遠慮がちに近づいてきて、真顔で言った。
『零子さんも昔は雰囲気を大切にしていたんですね。今より、もっと素敵だったんですね』
短い沈黙。
零子の顔が、ゆっくりと引きつる。紅葉は机の端を掴んだまま、小さく呟いた。
『……一番、言わなくていいことを言いましたね』
詩音は不思議そうに首を傾げるだけだった。零子は額に手を当て、もう何も言わなかった。
夕方近く、終業の時間が近づいた頃。
紅葉が書類をまとめていると、詩音が席に戻ってきた。後ろから、清掃の制服を着たおばちゃんを連れていた。おばちゃんは完全に戸惑った顔で、オフィスの中を見回している。
『紅葉さん。三人目、見つけました』
紅葉の手が止まった。
『……は?』
『キャッツアイは三人組ですので。この方、夕方の廊下の雰囲気がとても良かったんです。静かに掃除されていて、空気が澄んでいました』
おばちゃんが『あの、私はただの清掃員で……』と言いかけたが、詩音は真顔で続ける。
『名前はまだ伺っていませんが、雰囲気は十分です。これから一緒に』
紅葉は椅子の背もたれに力なくもたれ、天井を見た。零子に「任せてください」と言ったばかりの自分が、急に遠くに感じられた。
『……止まれなかった、の意味が、身に染みてわかってきました』
詩音は首を傾げたまま、おばちゃんの肩を軽く押して自分の席の方へ導こうとしていた。おばちゃんの『本当にただの清掃なんですけど』という声が、夕方のオフィスに小さく響いていた。




