第22回 お宝を盗むわけではない、だそうです(後半)
夜の美術施設は、閉館後の照明が落とされ、展示室だけが薄暗く残されていた。
詩音は紫のレオタードのまま、静かに廊下を歩く。上に羽織っていたシャツはすでに脱ぎ、光沢が暗い空間に時折反射する。紅葉は赤い同系統のレオタードを着て、その半歩後ろをついていた。動きやすい。正直に言えば、これまでの衣装の中では一番ストレスが少なかった。だが、それを認める気にはなれなかった。
『……本当に、お宝は狙ってないんですよね』
『狙っていません。雰囲気を出しているだけです』
『出さなくていいです』
展示室の奥で、人影が動いた。
警備員のものではない。閉館後に残っているはずのない人間だ。詩音は足を止め、紅葉に短く視線を送る。紅葉も頷き、別の通路から回り込む位置に移動した。
相手は展示ケースの前で、何かを撮影しようとしていた。本格的な盗難というより、物珍しさで侵入したような軽さがある。詩音が正面から近づき、穏やかな声で声をかけた。
『閉館しています。お帰りください』
男が振り返る。レオタード姿の二人を見て、明らかに動揺した。紅葉がその隙に退路を塞ぐ。男は短時間で観念し、持っていた機材を置いて退去していった。派手な騒ぎにはならなかった。
施設を出たあと、紅葉は夜風に当たりながら、レオタードの上から腕を擦った。
『……なんとか、なりましたね』
『はい。雰囲気が功を奏しました』
『功を奏したのは、動きやすさだと思います』
詩音は少し考えてから、真顔で言った。
『紅葉さん。キャッツアイは三人組ですので、もう一人必要ですね』
紅葉の足が、止まった。
『……は?』
『三人組です。今は二人しかいません。もう一人、雰囲気の出る人を加えた方が、完成度が上がります』
『増やさないでください』
『社内に、適任の方はいませんか』
『いません。探さないでください』
詩音はすでに、次の出勤日のことを考え始めている顔だった。
翌朝。
紅葉が席に着くと、詩音が三奈の席の近くで立っていた。三奈は明らかに後退している。
「……何の用だ」
『三奈さん。雰囲気の出る方を探していまして。よければ、三人目に』
「断る」
三奈はそれだけ言って、逃げるように席を外した。詩音は首を傾げたまま、次の候補を探して視線を巡らせる。遠くで鷲尾がこちらを見て、ゆっくりと額を押さえていた。
紅葉は自分の机に突っ伏した。
『三人組、とか、やめましょう……本当に』
詩音は真顔で、紅葉の背中に向かって言った。
『でも、雰囲気は大事ですよ』
誰にも届かない、紅葉の小さな悲鳴だけが、朝のオフィスに落ちた。




