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第20回 教習所以降、初めてだそうです(後半)

夜の住宅街は、意外なほど静かだった。

街灯の間隔が広く、道路の端に高級車が数台並んでいる。エンジンの低い音と、時折響く笑い声。走り屋たちはすでに集まっていた。二組に分かれて、お互いを牽制するように車の周りに立っている。

詩音は白いレースクイーン衣装のまま、その輪に近づいていった。紅葉は赤い衣装で、半歩後ろを歩く。風が太ももを冷やしていく。恥ずかしい、という言葉ではもう足りなかった。

『失礼します。今夜、ここでレースをされている方たちですね』

ボスらしき男が、詩音の露出の多い姿を上から下まで眺めて、小さく嗤った。

「なんだよ、これ。コスプレか?」

『やめていただきたいんです。近隣の方たちが、迷惑しています』

「は? 誰の許可を取ってそんなこと言ってんだ」

周囲の走り屋たちが笑った。詩音は真顔のまま、続ける。

『では、レースで決めませんか。私が勝てば、ここで走るのをやめてください』

男たちは一瞬黙り、次の瞬間、大笑いした。

「負け知らずのチームに、レースクイーンが勝負売ってんのかよ」

結局、話はあっさりとレースに決着した。詩音は車を持っていない。そのため、相手のチームの一台を借りることになった。赤いスポーツカーのキーを渡され、運転席に座る。

紅葉は助手席側で、すでに顔が青くなっていた。

『先輩、本当に大丈夫なんですか』

『大丈夫です。雰囲気は出ています』

スタートの合図が出る。

詩音の車が、スタート直後にエンストした。

エンジンが止まった音が、夜の住宅街に小さく響く。走り屋たちが一斉に大声で笑い始めた。

「おい見てみろ! エンストだ!」

「レースクイーン、エンスト! 最高かよ!」

紅葉は顔面蒼白で、シートに深く沈み込んだ。

『終わった……』

次の瞬間だった。

詩音が再始動させた車が、爆発的な加速で飛び出した。紅葉はシートに体を押し付けられ、思わず手すりを掴んだ。後ろの走り屋たちの笑い声が、一気に止む。

先頭を走っていた黒い車のドライバーが、サイドミラーを見て声を上げた。

「なんだよあれ、急に来たぞ!」

「余裕だろ、どうせすぐ……って、速い! 速すぎるだろ!」

別の一台も、慌てた声を重ねる。

「インコースから来てる! 角度おかしいだろ!」

「追いつかねえ! 何だあの加速!」

詩音の車は、ありえないインコースの角度から二台を一気に抜き去った。物理的に無理のあるラインだった。だが、車はバランスを崩さず、そのまま差を広げていく。コーナーを一つ曲がるたびに、後ろのヘッドライトが遠ざかっていく。

紅葉は助手席で、体を硬直させたまま前しか見られなかった。加速のたびに視界が揺れ、衣装の薄い生地が風で煽られる。口の中が、渇いていた。

ゴール地点で、詩音の車が止まった。

後ろから追いついてきた走り屋たちは、誰も何も言わなかった。ドアを開けた紅葉は、地面に足をついた瞬間、膝が笑った。立ち上がろうとして、もう一度車体に手をつく。指先が、細かく震えていた。呼吸も、うまく整わない。

『先輩……って、車の……免許、持ってるんですか……』

声が、明らかに上ずっていた。

『はい。教習所以降、運転したのは今日が初めてですけど』

走り屋たちの顔から、笑みが完全に消えていた。ボスが短く息を吐き、手を挙げた。

「……わかった。もう、ここではやらねえ」

それだけ言って、彼らは静かに車を引き上げていった。

翌朝。

鷲尾に呼ばれた。

「やりすぎだ」

短く、明確な叱責だった。詩音は素直に頭を下げ、紅葉も続いて下げた。鷲尾は額を押さえ、それ以上は何も言わずに二人を下がらせた。

廊下に出たあと、詩音が少し沈んだ顔で歩いていた。紅葉は珍しく、その横顔を気にした。

『先輩も、落ち込むんですね』

『はい』

『叱られたから、ですか』

『いいえ。自分で車を用意しなかったからです。借り物では、どうしても雰囲気が足りませんでした』

紅葉は足を止めた。詩音はすでにスマホを取り出し、新車のホームページを真剣な顔で眺めている。カタログの画像を拡大し、色の比較をしているらしかった。

紅葉はその姿を見て、静かに目を閉じた。

『こりゃ、ダメだ……』

誰にも届かない声だった。

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