第19回 やっぱり、だそうです(後半)
午後も、詩音の常識欠如は続いていた。
複合機の前で「両面印刷の『両面』は、どちらが表なんですか」と真顔で聞いてきたり、電話対応で相手の「少々お待ちください」を文字通りに受け取って、三分間何もせずに待機したりしていた。紅葉はそのたびに静かに修正し、心の中で結論を確定させていった。
『やっぱり、ただのバカだ。あのポーカーも、何かしらの事故だったんだ』
三奈が通りすがりに短く言った。
「顔、死んでるぞ」
『……死んでます』
「詩音の日常に戻ったな」
紅葉は否定しなかった。否定する材料が、もうなかった。
夕方近く、紅葉が席に戻ると、遠くから七瀬の気配を感じた。経理の方から、何やら重い空気が流れてくる。紅葉は無意識に肩をすくめた。請求書が来た匂いがした。
案の定、七瀬が静かな足取りで近づいてくる。手には一枚の明細書。顔は怒っているというより、すでに何かを諦めたあとの静けさを帯びていた。
「紅葉さん」
『……はい』
「ディーラー風スーツ、二着。オーダーメイド。合計十二万円です」
紅葉は小さく息を吐いた。六十八万円のアオザイよりはマシだった。だが、七瀬のオーラは明らかにそれを上回っていた。
「オーダーメイドですよ。既製品じゃ満足できなかったらしいですね」
『……すみません』
七瀬はそれ以上何も言わず、明細書を机に置いて去っていった。紅葉はその背中を見送ったあと、隣の詩音を見た。詩音は朝のコーヒーを飲みながら、普通に資料を開いている。
紅葉は自分の体を、軽く見下ろした。
『オーダーって……そもそも、先輩はなんで私の身体のサイズを、そこまで正確にわかってるんですか』
詩音は不思議そうな顔で、こちらを見た。
『雰囲気を出すには、サイズも大事ですので』
紅葉は机に突っ伏した。
答えになっていない。
なのに、サイズは確かにぴったりだった。
それが、一番怖かった。




