第19回 やっぱり、だそうです(前半)
違法カジノが畳まれてから、数日が経っていた。
紅葉は「この人はただのバカなのか、天才なのか」という問いを、ようやく自分の中で片方に傾け始めていた。あの夜のポーカーは凄かった。負け知らずのトップを下して、店まで畳ませた。あれは確かに、普通の人間にはできないことだった。
だが——。
今朝も、詩音は給湯室で立ち尽くしていた。
『紅葉さん。このお茶、ティーバッグを先に入れるんですか? お湯を先に入れるんですか?』
『……どっちでもいいです。普通はティーバッグからでいいです』
『どっちでもいい、なんですね。曖昧な世界なんですね』
詩音は真剣な顔で頷き、普通にお茶を淹れた。紅葉はその横顔を見ながら、静かに心の中で訂正した。
『……やっぱり、ただのバカだ』
午前中、紅葉は詩音と一緒に簡単な書類整理をしていた。詩音の作業自体は丁寧だ。字も綺麗だし、分類も正確。ただ、時々致命的なところで止まる。
『紅葉さん。この「控」という字は、どこに置けばいいんでしょう。控えの「控」と、他の「控」で意味が違う気がしまして』
『同じです。全部「控え」です』
『同じ、なんですね。奥が深いです』
紅葉はペンを置く手を止め、天井を仰いだ。昨夜までの「もしかして凄い人なのかもしれない」という疑念が、音を立てて崩れていくのがわかった。
昼休み、紅葉は一人で五郎食堂に向かった。
五郎は紅葉の顔を見ただけで、短く息を吐いた。
「また、詩音ちゃんか」
『……はい。ちょっとでもすごい人なのかと疑った自分が、バカでした』
五郎は茶を出しながら、小さく笑った。
「そういうもんさ。やつは、たまに奇跡みたいなことをやる。だが、日常はああだ。期待すると、期待した分だけ折れる」
紅葉は定食を食べながら、その言葉を黙って受け止めた。次に何かあるとしても、もう期待しないと決めた。




