第18回 格式を重んじた結果、だそうです(前半)
高級クラブの一件から、数日が経っていた。
紅葉は「ただのバカなのか、天才なのか」という問いを、まだ自分の中で消化しきれていなかった。詩音は相変わらず自販機の前で立ち止まり、複合機の前で首を傾げている。日常は何も変わっていない。なのに、あの夜のボックス席での出来事だけが、妙に現実感を欠いたまま残っていた。
そして今日。
午前中、鷲尾から指示が来る。
「詩音、紅葉。今夜、港近くのビル地下。違法カジノの件だ。詳細は資料を見ろ。深入りするな」
資料を読むと、空気がまた少し変わった。特定のビルの地下で違法カジノが開かれており、関連する苦情や被害が出始めている。直接潰すのは危険なので、まずは客として潜入し、内部の雰囲気とキーパーソンを把握してほしい——という内容だった。
紅葉は資料を閉じ、小さく息を吐いた。
午後、詩音が席に戻ってきたとき、手元には綺麗に畳まれたベストとシャツがあった。紫を基調にしたものと、赤を基調にしたもの。蝶ネクタイもセットされている。どう見てもカジノディーラーの制服だった。
『卓上の空気には、この雰囲気が必要だと思いまして』
紅葉はベストを手に取り、眉を寄せた。
『これ、ディーラーの制服じゃないですか。客として潜入するのに、目立ちすぎませんか』
『ディーラーに見える方が、場に自然に溶けると判断しました』
『逆だと思います。完全にスタッフにしか見えません』
『雰囲気です』
紅葉は長く息を吐き、力なく服を受け取った。もう深くは拒まない。拒んでも結論は変わらないことを、十分に学習していた。
『……わかりました。着ます。ただし、変なことだけはしないでくださいね』
詩音は小さく頷いた。紅葉はその頷きの意味を、まだ深く理解していなかった。




