第16回 清潔感が、いいそうです(後半)
更衣室の蛍光灯の下で、紅葉は白いナース服の裾を下ろしていた。
生地は薄く、動くたびに紫のパイピングが光を拾う。胸元の開きは予想以上に深く、腕を組んでも完全には隠れなかった。ガーターベルトの感触が、太ももに直接残っている。隣では詩音が、同じ系統の服を静かに着ている。注射器を手に取り、一度構えてみたが、紅葉の視線に気づいてすぐに箱に戻した。
『……本当に、清潔感が出てると思いますか』
『出ています。白を基調にしているので』
『白いだけで清潔感にはならないです。むしろ逆です』
『そうでしょうか』
『そうです』
紅葉はもう深くは言わなかった。鏡を見ると、自分が病院のスタッフというより、その他のイベントの出演者にしか見えなかった。詩音は自分の帽子を被り、紅葉の方を見る。
『行きましょう』
病院の関連施設は、本館から少し離れた職員用の駐車場を併設していた。
午後の光がアスファルトに落ち、車がまばらに止まっている。監視カメラは角に設置されているが、大型車の影になる位置はどうしても死角になる。紅葉はナース服のまま、詩音と並んで駐車場の端を歩いた。通りかかった職員が、一度だけこちらを見て、すぐに視線を外した。
シオンは車の間をゆっくりと歩きながら、周囲を見渡していた。
『ルージュ。被害が出ているのは、この列の奥側です。カメラの死角と、照明の切れ目が重なっています』
『犯人は、どの時間帯に動いているんですか』
『夕方のシフト交代前後が多い。人が減るタイミングを狙っています』
ここまではよかった。シオンの状況判断は、相変わらず鋭い。だが、その後が続かなかった。
犯人らしき人影が、実際に奥の列に現れた。作業着のような服を着た男が、車の間を縫うように歩いている。シオンはそれを確認した瞬間、動きを止めた。
『……待ちます』
『何をですか』
『冤罪にしたら終わりです。決定的な行動を取るまで、確認します』
男は車のドアに手を伸ばし、窓の隙間を確認している。明らかにただの通行人ではなかった。だが、シオンは動かない。最悪の事態を想像しすぎて、慎重になりすぎている。
紅葉は小さく息を吸った。
『先輩、このままだと逃げられます』
『もう少しだけ』
『もう少しで消えます。私が出ます』
紅葉は詩音の返事を待たず、ナース服のまま男の側へ歩いた。注射器は持っていない。ただ、職員のような足取りで近づき、短く声をかけた。
『すみません。そちらの車、職員の方のですか?』
男が振り返る。紅葉は笑顔を作らず、ただ位置を確保した。逃げ道を塞ぐ形になる。男が動揺した隙に、シオンも遅れて近づき、別角度から回り込みを完了させた。
男は抵抗するでもなく、持っていた工具をその場に置いて観念した。短時間で、静かに終わった。
事が終わったあと、紅葉は車のボンネットに手をついて息を吐いた。詩音も近づいてくる。白いナース服が、夕暮れの光で少し黄ばんで見えた。
『ルージュ』
詩音の声が、いつもより少しだけはっきりしていた。
『今の判断は、良かったです。私では、あそこまで踏み切れませんでした』
紅葉は顔を上げた。詩音が自分の機転を、明確に認めるのは初めてだった。
『……慎重すぎるのも、考えものですよ』
『はい。勉強になります』
詩音は静かに頭を下げた。紅葉はその様子を見ながら、胸元の開きを手で軽く押さえた。褒めてくれたことは、素直に悪い気はしなかった。
翌朝。
紅葉が自席に着くと、七瀬が遠くからこちらを見て、すぐに視線を外した。請求書は、まだ来ていないらしい。紅葉はわずかに肩の力を抜いた。
隣では詩音が、朝のコーヒーを飲みながら普通に資料を開いていた。ナース服の疲れは、彼女には見えない。
紅葉は画面に向かいながら、小さく息を吐いた。
『たまになら、認めてくれるんですね』
誰にも届かない声だった。




