第15回 使用人に見える方が、いいそうです(後半)
更衣室の蛍光灯の下で、紅葉は黒いメイド服のエプロンを結んでいた。
生地は思ったよりしっかりしていて、動きにくいほどではない。だが、フリルの量が多く、腕を上げるたびに白い部分が揺れる。頭のカチューシャは軽かったが、存在感だけは確かだった。隣では詩音が、紫寄りのメイド服を静かに着ている。裾を整え、靴の位置を確認している。真顔だった。
『……本当に、使用人に見えますか』
『見えます。依頼主にも、今日は使用人として家の中を確認すると伝えてあります』
『伝えてあるなら、普通の服でもよかったと思います』
『使用人に見える方が、自然です』
紅葉はもう何も言わなかった。鏡を見ると、自分が完全に何かのイベントに出演しているように見えた。詩音は自分のカチューシャを軽く触り、紅葉の方を見る。
『行きましょう』
資産家の自宅は、閑静な住宅街の奥にあった。
門扉は高く、インターホンを押すとすぐに開いた。依頼主の女性が出迎える。五十代くらいで、丁寧だが疲れた顔をしていた。二人のメイド服を見ても、特に驚いた様子はない。事前に話が通してあるらしい。
「よろしくお願いします。最近、手紙がポストに入るようになりまして……」
シオンは静かに頭を下げる。ルージュも続く。家の中は広く、清潔で、人の気配が少なかった。
シオンはまず、手紙が届くポストの位置と、家の周囲の死角を確認した。ルージュは依頼主の話を聞きながら、リビングから見える庭の様子を目に入れる。直接的な侵入の痕跡はない。だが、ポストの周囲に、わずかに不自然な足跡が残っていた。
『ルージュ』
『……なんですか』
『手紙は、夜ではなく夕方の早い時間に入れられている可能性が高い。足跡の状態から見て、急いでいる様子はない。監視というより、様子を見に来ているタイプです』
『どうしますか』
『今日は家の中と周囲を一通り確認し、依頼主に「目立った侵入痕はない」と報告する。必要なら、後日時間帯を変えて再訪します』
シオンの声に、迷いがなかった。この格好でも、状況を切り取る目だけは正確だった。紅葉は自分のエプロンの裾を、指で軽く摘まむ。恥ずかしい。だが、指示の内容は理解できた。
二人は家の中を手分けして見回った。
シオンは二階の廊下や窓の鍵を確認し、ルージュは一階の勝手口と庭の接続部分を見た。特に壊された箇所はない。手紙を入れた人間は、あくまで「外から」の行動に留まっているらしい。依頼主にその旨を伝え、今日のところは引き上げることになった。
事が終わったあと、紅葉は門の外でカチューシャを外し、小さく息を吐いた。詩音も近づいてくる。紫のメイド服が、夕暮れの光で少し濃く見えた。
『ルージュ。お疲れさまです』
『……はい。お疲れさまです』
『使用人の雰囲気が、功を奏しました』
『功を奏したのは、事前連絡だと思います』
詩音は首を傾げたまま、何も返さなかった。紅葉はその横顔を見ながら、すでに次の朝を想像していた。
翌朝。
紅葉が自席に着くと、七瀬が軽く会釈をして通り過ぎた。請求書を持っていない。今日のところは、まだ来ないらしい。紅葉はわずかに肩の力を抜いた。
隣では詩音が、朝のコーヒーを飲みながら普通に資料を開いていた。メイド服の疲れは、彼女には見えない。
紅葉は机に肘をつき、小さく呟いた。
『今日は、請求が来ないだけマシか……』
誰にも届かない声だった。




