第13回 異国情緒が、いいそうです(前半)
「普通の服にする」と詩音が宣言してから、数日が経っていた。
紅葉はその言葉を、期待せずに受け止めていた。聞いた。参考にする。それでも結論は変わるとは限らない。その前提でいる限り、心は折れにくい。朝の自販機で詩音が立ち止まったときも、紅葉は淡々とボタンの位置を教え、それ以上は踏み込まなかった。
そして今日。
午前中、鷲尾から指示が来る。
「詩音、紅葉。午後、ベトナム人居住区の件。住民同士の揉め事がこじれてる。派手にやるな」
資料を読むと、特定の区画で、住民間の小さなトラブルが長期化しているらしい。暴力には至っていないが、仲裁に入る人間がおらず、依頼主(地元の支援団体)が「場を収めてほしい」と頼んできていた。文化的な背景を踏まえた対応が必要、という注記もあった。
紅葉は資料を閉じ、自分のデスクで服を確認した。詩音が「普通の服」と言っていた。今日こそは、まともに見られる格好で行けるかもしれない。そう思いたかった。
夕方近く、紅葉が廊下を歩いていると、詩音が角から出てきた。手には、またしても大きな袋があった。紙袋ではない。布製の、しっかりした作りのものだ。紅葉の足が、わずかに止まる。
『……何ですか、その袋』
『普通の服です。紅葉さんの意見を参考にしました』
詩音は袋を開け、中身を取り出した。淡い紫の長い衣装。立襟で、裾が分かれている。金の刺繍が袖と胸元に走り、鶴と藤の花が丁寧に描かれていた。もう一着、深い赤のものも続く。どちらも、明らかに普通のスーツではなかった。
紅葉はそれを見て、数秒間黙った。
『……これ、何ですか』
『アオザイです。ベトナムの伝統的な服装で、格式と敬意を示せると思いまして』
『普通の服、って言いましたよね』
『はい。動きやすく、相手への敬意も表せて、価格も……抑えめです』
『抑えめ、ですか』
『巫女装束よりは』
紅葉は天井を仰いだ。意見を聞いた結果が、これだった。期待していなかった自分が、正しかった。詩音は真顔のまま、袋を紅葉の方へ押し出してくる。
『着てください。敬意の雰囲気が出ます』
『……着ます。着ますから』
紅葉は力なく袋を受け取った。もう、深くは拒まなかった。拒んでも、結論は変わることを、十分に学習していた。




