第11回 可憐な方が、いいそうです(後半)
更衣室の蛍光灯の下で、紅葉は黒いゴシックロリータの裾を確認していた。
レースが多い。袖を通すたびに、フリルが音を立てて擦れる。頭には小さな帽子型のアクセサリーが乗っていて、視界の端で黒く揺れていた。隣では詩音が、白い甘ロリ寄りのドレスを静かに着ている。リボンの位置を整え、ストッキングのずれを直している。真顔だった。
『……意見、聞きましたよね』
『聞きました』
『着てますよね、これ』
『可憐な方がいいと判断しました』
紅葉は鏡を見なかった。見ると、余計に折れる気がした。詩音は自分の傘(日傘に近い、白いフリル付きのもの)を取り出し、紅葉にも黒いものを差し出す。
『これもセットです』
『内偵に、日傘いりますか』
『雰囲気です』
紅葉はそれ以上何も言わず、傘を受け取った。ついこの間「意見も聞いてみます」と言った人の、現在の結論だった。
個人宅は、住宅街の奥にあった。
門扉は高く、庭木がよく手入れされている。昼間だというのに人通りは少ない。紅葉は黒いドレスの裾を軽く押さえながら、詩音と並んで歩いた。可憐、というより、完全に浮いていた。通りがかった住民の視線が、短く止まる。詩音は白い日傘を差したまま、穏やかに周囲を見渡していた。
『ルージュ』
『……なんですか』
『あそこの路地に、同じ車が二度止まっています。ナンバーを控えました。娘さんの外出時間と重なっています』
紅葉も視線を移す。確かに、黒い車が一台、路地の入口に停まり、すぐに走り去っていった。運転手の顔は見えなかったが、動きが不自然だった。
『どうしますか』
『直接問い詰めません。車の出入りする時間帯を記録し、依頼主に報告する。今日はそれだけで十分です』
シオンの声に、迷いがなかった。この格好でも、状況を切り取る目だけは正確だった。紅葉は自分の黒いレースの袖を、指で摘まむ。恥ずかしい。目立つ。だが、指示の内容は理解できた。
二人は分かれて位置についた。
シオンは住宅の正面から少し離れた位置で、日傘を差したまま待機する。ルージュは路地側に回り、車が再来したときの逃げ道を把握した。派手な動きはしない。ただ、記録する。三度目に車が現れたとき、シオンが短く頷き、紅葉がナンバーを確実に控えた。
相手は気づかなかった。気づく前に、車は去っていった。
事が終わったあと、紅葉は路地の影で日傘を閉じ、壁に背中を預けた。詩音も近づいてくる。白いドレスが、午後の光で少し眩しかった。
『ルージュ。お疲れさまです』
『……はい。お疲れさまです』
『可憐な雰囲気が、功を奏しました』
『功を奏したのは、雰囲気じゃないと思います。目立たなかっただけです』
詩音は首を傾げた。紅葉はその顔を見ながら、静かに続けた。
『意見は、聞いてくれましたよね』
『はい』
『でも、結論は変わらなかった』
『……はい。可憐な方がいいと判断したので』
紅葉は小さく息を吐いた。怒り、というより、確認に近かった。気持ちは本物でも、行動の根っこは変わらない。五郎食堂で聞いた「ずっと組みたい」という言葉と、目の前の白いフリルが、同じ人の中に同居している。
『……わかりました。次も、一応は聞きます。期待は、しません』
詩音は少しだけ目を細めた。否定も、肯定もしない。ただ、紅葉の言葉を受け止めるように、短く頷いた。
翌朝。
紅葉が自席に着くと、三奈が通りかかった。彼女は紅葉の顔を一瞥し、短く息を吐く。
「また、変なのを着ていたな」
『……可憐な方、だそうです』
「可憐、か。お前の顔は、可憐じゃなかったぞ」
三奈はそれ以上何も言わず、去っていく。隣では詩音が、朝のコーヒーを飲みながら普通に資料を開いていた。白いドレスの疲れは、彼女には見えない。
紅葉は机に肘をつき、小さく呟いた。
『意見は聞く。結論は変えない。……そういうことですね』
誰にも届かない声だった。




