表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
17/56

第9回 華やかな方が、いいそうです(前半)

体操服のゼッケンを外してから、二日が経っていた。

紅葉は、詩音との会話を最小限に抑えるようにしていた。敵対しているわけではない。ただ、昼休みに「気をつけます」と真顔で言った人の言葉を、もう素直に受け取れなくなっていた。価格を抑えただけで、方向性は何も変わっていない。その事実が、胸の奥に小さな棘のように残っていた。

朝の自販機で、詩音がまた立ち止まった。

『紅葉さん。今日は温かい方でいいですか』

『……好きにしてください』

『はい』

詩音は普通に温かい缶コーヒーを買い、紅葉にも一つ差し出した。紅葉はそれを受け取りながら、礼を言った。礼儀までは、まだ崩していなかった。

そして今日。

午前中、鷲尾から指示が来る。

「詩音、紅葉。今夜、企業の打ち上げパーティー警備。会場はホテル。詳細は資料を見ろ」

内容は、比較的華やかだった。取引先を招いた打ち上げで、会場内の警備と、万が一のトラブル対応。暴力的な要素は薄く、どちらかといえば「場を荒らさないように」というニュアンスの依頼だった。

紅葉は資料を閉じ、自分のデスクで服を確認した。今夜はドレスコードがあるかもしれない。だが、普通のスーツか、せめて控えめなドレスくらいで済むはずだ——そう思いたかった。

夕方近く、紅葉は詩音の姿を探さないようにしながら、先に更衣室へ向かった。角を曲がる前に、足音を確認する。前回の廃校のときのように、先に動いて捕捉されるパターンは避けたかった。

更衣室のドアを開けた瞬間、紅葉は足を止めた。

詩音が、すでに中にいた。手には、黒い袋。中から見えている生地の光沢が、ただの布ではなかった。赤と黒。耳の形をしたカチューシャ。蝶ネクタイ。

紅葉の顔から、表情が消えた。

『……それ、何ですか』

『今夜の雰囲気です。華やかな方がいいと思いまして』

詩音は袋から、赤いバニーガールの衣装を取り出した。光沢のある生地に、黒い縁取り。網タイツと、高いヒール。もう一着、薄い紫のものが続く。

紅葉は数秒間、完全に動かなかった。

『バニー、ですか』

『はい。パーティー会場ですので、華やかさとプロ感を両立できると考えました』

『プロ感、ですか』

『はい』

紅葉は袋の中身を見たまま、ゆっくりと頭を振った。これまでで一番、声が出なかった。ボディスーツのときも、巫女装束のときも、着ぐるみのときも、拒んではきた。だが、今夜のものは質が違った。華やかさ、という理由でこれを着ろと言われている。

『着ません』

明確な拒否だった。詩音は首を傾げる。

『雰囲気が出ません』

『出ていいです。出なくていいです。私は着ません』

『紅葉さん』

詩音の声が、少しだけ低くなった。怒っているわけではない。ただ、理解できない、という色が混じっている。

『華やかな場では、華やかな服装で臨むのが礼儀だと思います』

『これは礼儀じゃないです。コスプレです』

『経費で購入しました。価格も抑えてあります』

『価格の問題じゃないです』

紅葉は更衣室の壁に手をついた。これまでの諦めが、今夜は機能しなかった。着てしまったら、もう戻ってこられない気がした。詩音は袋を持ったまま、紅葉を見ている。不思議そうな顔だった。悪いことをしている認識が、やはりない。

長い沈黙のあと、紅葉は目を閉じ、力なく息を吐いた。

『……着ます。着ますから。あとで、ちゃんと話をさせてください』

声に、力がなかった。詩音は小さく頷いた。

『はい。任務が終わったら』

紅葉はその言葉を、そのまま受け取った。任務が終わったら、話す。その約束だけを、ぎりぎりで握った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ