第8回 若く見られたい、だそうです(前半)
第7回の会議から、数日が経っていた。
紅葉は、詩音の様子をそれとなく観察するようになっていた。自販機の前で立ち止まる回数は減っていない。複合機の前で首を傾げるのも同じだ。だが、経費の話を直接持ち出すことは、少なくともこの数日はなかった。鷲尾が禁止した「本物の神具」と「着ぐるみの再購入」については、詩音も素直に頷いていた。
『もしかして、少しは……』
紅葉はそう思い始めていた。完全に信用しているわけではない。ただ、四十三万円の請求書と七瀬の顔を思い出すと、「変わってほしい」という気持ちが、無意識に強くなっていた。
昼休み、紅葉は詩音を五郎食堂には誘わず、社内の休憩スペースに座った。詩音は茶を持ち、紅葉の向かい側に座る。窓から白い光が入っていた。
『先輩。一つ、聞いてもいいですか』
『はい』
『経費の件、本当に気をつけますか。次もああいうのを買うなら、私……ちょっと、持たない気がします』
詩音は茶を置いて、紅葉の顔を見た。不思議そうな顔ではなかった。むしろ、真剣に聞いているように見えた。
『気をつけます。鷲尾さんと七瀬さんが、あれほどおっしゃっていたので』
『……本当に、ですか』
『はい。価格を抑えたもので、雰囲気を出す方向で考えます』
紅葉は、その言葉をそのまま受け取った。疑う理由は、いくらでもあった。だが、この数日の詩音の態度と、今の真顔を見て、紅葉は少しだけ息を吐いた。
『……なら、いいです。私も、できる範囲で手伝います』
詩音は小さく頷いた。紅葉はその横顔を見ながら、初めて「この人と、まともに話が通じたかもしれない」と思った。壊れん程度に付き合う、という五郎の言葉を、少しだけ前向きに解釈できた気がした。
その日の午後、鷲尾から指示が来る。
「詩音、紅葉。明日、廃校の体育倉庫。夜間の不審者。詳細は資料を見ろ」
内容はシンプルだった。廃校寸前の学校の体育倉庫で、夜間に人の出入りがある。盗まれたものは少ないが、放置できない。穏便に確認してほしい、という依頼だ。
紅葉は資料を閉じ、自分のデスクで服を確認した。今夜は普通の動きやすい服でいけるはずだ。詩音も「価格を抑える」と言っていた。今日こそは、変な紙袋を持って現れないかもしれない。
夕方近く、紅葉は先に更衣室へ向かった。詩音の姿は見当たらない。油断、と呼ぶにはまだ早かったが、紅葉は普通のジャージを準備しながら、わずかに肩の力を抜いた。
そして、更衣室のドアが開いた。
詩音が入ってくる。手には、またしても袋があった。紙袋ではない。薄いビニールの袋で、中に白い生地が見える。紅葉の顔から、血の気が引く。
『……何ですか、それ』
『価格を抑えたものです。雰囲気も出ます』
詩音は袋から、白い体操服を取り出した。旧式の、胸にゼッケンを付けるタイプだ。紫のラインが入ったブルマ。そして、もう一セット、赤いラインのものが続く。
紅葉はそれを見て、言葉を失った。
『体操服、ですか』
『はい。廃校の体育倉庫ですので、学生に紛れる方が自然だと思いまして』
『価格を抑えた、って……』
『既製品です。特注ではありません』
詩音は真顔で、ゼッケンを取り出した。白い布に、黒い文字で「1-2 シオン」と書いてある。もう一枚には「3-1 ルージュ」とあった。縫い目が、少し不揃いだった。
『これ、自分で縫ったんですか』
『はい。昨夜、徹夜で』
紅葉はゼッケンを二度見した。
『……なんで、私が3-1で、先輩が1-2なんですか』
『若く見られたいので』
詩音は当然のように答えた。紅葉は数秒間、完全に沈黙した。昼休みに交わした「気をつけます」という言葉が、頭の中で音を立てて崩れていく。
『価格を抑えただけで、方向性は……何も変わってないんですね』
『雰囲気は大事ですので』
紅葉は天井を仰いだ。真剣に向き合おうとした自分が、馬鹿みたいだった。




