第7回 必要な投資、だそうです(後半)
定食を半分ほど食べた頃、五郎が対しのカウンターを拭きながら口を開いた。
「詩音ちゃんが小さい頃な、近所の祭りで、神輿の衣装を自分で改造したことがある」
紅葉は箸を止めた。
『改造、ですか』
「『雰囲気が出ない』って言ってな。布を足したり、色を変えたり。結局、親に止められるまでやってた。仕上がりは悪くなかったが、本人以外誰も着たがらなかった」
五郎は短く笑い、茶を注ぎ足す。
「理由にならない理由で動くところは、今も変わらん。結果が残るから、周りが困るとんでもない奴だ」
『……子供の頃から、ですか』
「ああ。学校でも似たようなもんだったらしい。『この方が空気がいい』って、教室の席を勝手に変えようとしたりな」
紅葉は魚の骨を取りながら、静かに聞いた。詩音の世間知らずが、後天的なものではなく、かなり根深いものであることが、ぼんやりと輪郭を帯びてくる。五郎はそれ以上深くは話さなかった。過去を売るような話し方はしない人だった。
店の暖簾が、後ろで揺れた。
「いらっしゃい」
五郎の声が、いつもより少しだけ平らになる。紅葉が振り返ると、そこに詩音が立っていた。社内で着ているいつもの服のまま、手元には何も持っていない。紙袋も布袋もない。ただ、紅葉を見つけて、穏やかに会釈をした。
『紅葉さん。ここにいたんですね』
『……なんで、わかるんですか』
『社内にいなかったので。午後は外に出ることが多いと聞いていました』
紅葉は箸を置き、額に手を当てた。追ってくるな、とは言っていない。だが、ここまで来るとは思っていなかった。五郎は厨房から顔を出し、詩音を見て短く息を吐く。
「詩音ちゃん。また、部下を疲弊させてるか」
『五郎さん。ご無沙汰しています。疲弊はさせていないつもりです』
「つもり、が一番困るんだよ」
詩音は不思議そうな顔をしたまま、紅葉の隣の席に座った。五郎が無言で茶を出す。詩音は「ありがとうございます」と丁寧に言い、紅葉の方を見た。
『先ほどの会議の件ですが。次は気をつけます』
『気をつけるって、何をですか』
『経費の使い方です。鷲尾さんと七瀬さんが、あれほどおっしゃっていたので』
紅葉は少しだけ期待した。だが、詩音の次の言葉で、その期待はすぐに消えた。
『ですから、次はもう少し価格を抑えたもので、雰囲気を出す方向で考えます』
『……方向性は、変わってないんですね』
『雰囲気は大事ですので』
五郎が、カウンターの内側で小さく鼻を鳴らした。怒っているようには見えなかった。むしろ、昔から知っている人間の「また始まった」を見ている目だった。紅葉は茶を飲み干し、静かに言った。
『ここだけは、仕事の話を持ち込まないでください』
『はい。では、仕事以外の話をします』
『それも、やめてください』
詩音は首を傾げたまま、茶を口に運んだ。紅葉は五郎と目を合わせる。五郎は肩をすくめ、紅葉の空になった定食の皿を下げた。
「お前さんは、無理に付き合わなくていい。ただ、詩音ちゃんを一人にするな、とも言わん。バランスだ」
『バランス、ですか』
「ああ。壊れん程度に、付き合え」
紅葉はもう何も返さなかった。詩音は隣で、普通に茶を飲んでいる。この人が、四十三万円の巫女装束を「投資」と呼び、着ぐるみを「親しみやすさ」と説明し、今も何も悪くない顔をしている。紅葉はその横顔を見ながら、今日の会議で突きつけられた「教育係」という言葉を、再度噛み締めていた。
会社に戻ったのは、午後の遅い時間だった。
詩音は「資料をまとめます」と言って席に着き、紅葉は自分のデスクで画面を開いた。七瀬の姿は見えなかった。鷲尾も、別のフロアにいるらしい。日常が、表面上だけ戻っている。
紅葉は画面に映るメールを見ながら、小さく呟いた。
『壊れん程度、か……』
隣では詩音が、キーボードを静かに打っていた。次の雰囲気が、もう頭の中で準備されている気がした。




