外伝 記憶の森と鉄樹の花 15
ホテルの裏手側を抜け、木立の並ぶ林のような場所へ。
徐々に緑は密度を増し、森の眺めとなる。街灯には蜂蜜が注がれており、座り込むような姿勢の妖精がいる。どこかから水の流れる音もする。
コゥナ・ユペルガルは弓を背負い、体勢を低くしながら進む。速度は早歩きほど。何かしらの痕跡を探しながら進んでいるようだ。
「コゥナ、大丈夫か、相手は弓で武装してる」
「だからコゥナ様の近くにいろ。矢をつがえる音がしたら藪の中に蹴り込んでやるから」
「……お手柔らかに」
アプト・ユレネタゥ緑地。
そう呼ばれる場所はとても砂漠の国とは思えない。ユーヤの知る緑化された砂漠でも森を作ることはない。公共井戸の豊富な水量もさることながら、これだけの水を遊ばせておけるのはシュネスの豊かさの表れだろうか。
「コゥナ、襲撃を警戒してたの?」
「うむ。あの宴会場の水晶ガラスはかなりの厚みがある。外から狙撃するなら一度ガラスを割る必要があると思っていた。つまり2射目から守ればよいのだ」
彼女は時おり立ち止まり、左右に素早く視線を走らせる。足跡を見ているのか、木の奥に目を凝らしているのか、ユーヤには分からない。
「最初は、あのマチテがアデルシャハトの護衛かと思っていた。だがどうも違う。守るというより、見張っている気配を感じた」
「そうなの?」
「護衛でないなら、残りは監視役だ。つまり計画が失敗した時、アデルシャハトを始末する役だ」
「コゥナ……何か察してたの? ホテル・カルデルドニスにまつわる計画の気配を……」
「何も。そういうのはユーヤの仕事だろう」
こともなげに言う。
「それより今のうちに聞かせろ。アデルシャハトに何が起きたのだ。あのような年かさの男が泣くなど只事ではないぞ」
「……おそらく、アデルシャハト氏には「神の声」が聞こえていた」
「神の声??」
あまりに唐突な言葉に、思わず背後を振り返ってしまう。
「彼には声が聞こえていた。強く念じると、必要な言葉が頭の中に響くんだ。彼はそれを自分の能力だと思っていた。彼がそれを神と呼んでいたかは分からないが、大いなる存在に守られてると感じていたんだ」
「まさか……白猿神の加護があると言うのか? フォゾスの狩人は、死地にある時に白猿神の声を聞くという伝説もあるが……」
「その声は、作られたものだった。アデルシャハト氏も知らなかったんだ」
「知らない……?」
「おそらくは、ラジオだ」
ユーヤは、悲痛な響きを込めて言う。
「彼の体内に、ラジオが埋め込まれている」
「何だと!?」
「これは重要なことを意味する。ホテル・カルデルドニスは、独自にラジオを持っている。つまり私的に利用するために七彩謡精を呼び出している」
「なっ……!」
さしものコゥナも絶句する。話の肥大する速度に思考が追いつかない。一流のホテルとはいえ、民間が極秘に七彩謡精を呼ぶなど前代未聞である。
「目的はただ一つ、アデルシャハト氏に「霊感」を与えるためだ。アデルシャハト氏はそれを自分の能力だと思い、僕たちの言い方ではオラクル能力のような、高位の存在と交信する力だと考えた。だが違う。その声は内耳を通して耳に届いていた。僕は言葉に毒を混ぜてアデルシャハト氏にそれを気づかせた」
「毒?」
「僕もかろうじてこの世界の歌手を知ってるけど、タ、シ、チという舌を弾く音を多く入れた。歌手の名前にしたのは僕は自動翻訳で会話しているので、僕の思う言葉と実際の発音がずれていても分かりにくいからだ。歌手の名前ならブレは無いからね」
「なぜその音なのだ?」
「こういう音……高い周波数成分を持つ音は高齢の人間には聞こえにくいからだ。特にアデルシャハト氏に届く音はかなり小さかったはず。彼は音が聞き取りにくいことは自分の聴力の問題だと気づいた。心に直接届く音ではなく、耳に響く音、現実に存在する音だと分かった。そしてラジオであると気づいたんだ」
「そんなことが……」
ユーヤは、マチテを追って急いでいるためもあるが、かなり早口で説明していた。
それはすなわち、糊塗である。
ユーヤは、さまざまな事を一度に説明する中で、重要な説明を省略している。
ラジオの中にいる妖精、蝋読精を外科手術で体に入れる。実現可能かはともかく、物理的にあり得ないとまでは言えない。
だが、ユーヤはもう一つの可能性を考えていた。
それは、体内でラジオを形成した話。
頭の中に声が響き、精神を病んでしまった人の話。
そのことに流れつつある思考を、コゥナの声が打ち切る。
「まあそれは良い、コゥナ様はマチテを捕まえればいいのだ。マチテは痕跡を消しながら逃げるはずだから速度は上がらぬ。急ぐぞ」
「うん」
空にはまだ黒雲が濃い。ユーヤの体内時計は朝だと告げている。それと視界情報とのずれに混乱がある。
やがて、開けた場所に。
「やはりここか……」
四方八方に枝を伸ばす木、千万の葉に囲まれた空間。コゥナが中央に陣取ると、背後から声が響く。
――私を追うな。
ユーヤは一瞬、声のする方を見るが、やはり誰もいない。直進性のある音を反射させている。
コゥナは耳に聞こえる音などは相手にしていない、腹筋に力を入れて声を放つ。
「マチテよ、逃げられぬぞ! すぐにシュネスの騎士たちが駆けつける!」
――どうという事はない。私は、数え切れぬ日々を影として過ごした。
――影を見つけることは、できない。
「そうかな」
両足に力を込める。自分を大地に固定するような踏み込み。やはり木製の球がついた矢をつがえ、弓を引く。
「マチテよ、投降するのだ。この弦は限界まで強く張っている。当たれば骨が砕けるぞ」
――浅はかな娘、お前は、私を見つけられない。
「もう見つけている」
声が鋼の自信を帯びている。
「コゥナ様が二度も狩りをしくじるものか。けして逃しはしない。だがお前の姿勢までは分からん。もし頭に当たれば死ぬぞ」
――虚言を、弄すな。
「そう思うなら逃げればいい。その場所からわずかでも動けば射つ」
空気が固化する。
それはコゥナを中心として生まれる気配。彼女が石像のように動かないため、場の空気までが固定されるように思える。
五秒。十秒。
何の音もしない。ユーヤには何も感じ取れない。コゥナは果たしてまばたきをしているのか。
そして、ある一瞬。
ユーヤが認識できない、起こりのない動作。弓がある一点を向き、指が離れる。
風を切り、葉陰の中へと。しゅん、と矢が吸い込まれる。
「仕留めた、行くぞ」
「当たったの?」
「マチテは伏せのさなかに狼に咬まれようと声は上げん。だが間違いなく当たった」
そして、ずるりと。
木の枝からずり落ちる人影、粘性を帯びた動きで地に落ちる。暗がりのなかで、その手足がかなり長いことだけが分かる。
「……な、なぜ」
「枝のしなりだ」
矢を拾いつつ言う。
「マチテの伏せは完全無欠。自然な枝のしなりに合わせて身を隠す。だが枝のしなり度合いが半日足らずで変わったりしない。お前のいた、この枝だけが昨日と違っていた」
「何――」
「ここは、おそらくお前にとって得意な隠れ場なのだろう。またここに逃げると思っていた。だからコゥナ様は覚えた。昨日、この場所でお前を取り逃がした時にな」
「そんな……ことが」
「この男の助言だ」
ぽん、とユーヤの腰を叩く。
――コゥナ、相手の方がうわ手かも知れない。
――ここはおそらく彼のテリトリーだ。だけど、それを利用できるかもしれない。
――この場所の状況を覚えるんだ。そして、二度目にここに来たときに利用するんだ。
話をするうち、コゥナの顔は驚きに染まってくる。だんだんと、その人物の顔を認識するごとに。
「……マチテ、かなりの手練れだとは思ったが、お前は」
コゥナが驚くのは、その人物が既知であったとか、見覚えのある人物だからではない。この顔は一度も見たことがない。
ただ、あまりにも高齢。
顔は枯れ木のように皺が寄り、褐色の肌はひび割れるかのように乾いている。髪はすべて抜け落ちて目は灰色に濁っていた。そして手足は棒のよう。細く、筋肉が失われているのに、昆虫のそれのような奇妙な頑健さを残している。
「お前……いったい何歳なのだ。狩りをやる年とは思えん」
「90を、超えてからは、数えていない」
その時、背後から金属が触れ合うけたたましい音が響く。どうやら武装した兵士たちが来ているようだ。
コゥナは弓をさっと横に上げて、兵士たちの介入を止める。
「お前は何なのだ……? アデルシャハトとどういう関係なのだ。なぜあいつを殺そうとした」
「不憫な、子だ」
木製球は、この老体にはかなりの痛恨であったらしい。過呼吸がなかなかおさまらない。
「私は、村の弓切りだった。あの子を、狩人として不適格だとしたのは私だ。あれは、私の、息子だ」
「何だと……!」
「だが、あの子はフォゾスから来た男に見初められた。若く、柔和な男だった。あいつは、あの子をシュネスに連れて行った」
「まるで話が見えんぞ……それが今のアデルシャハトだというのか。本来のアデルシャハトは、本物はどこにいる」
「おらぬ……おらぬはずだ。死病を患っていたと聞いた。だから己を治せる医療を求めていた。だが、見つからなかった、とも」
がしゃがしゃと、騎士たちが数を増す。捕縛用の縄を持っている者もいる。宴会場へ矢を射掛けたことはもちろん、この人物を捨てておけないのは誰の目にも明らかだ。
「本来の、アデルシャハトは、あの子を身代わりにしようとした。より完全で、より完璧な人間を、生み出そうと。あの子は記憶に優れていた。それを、妖精の力で、霊感にまで、高めようと」
「七彩謡精だな。だが、なぜそこまでする。籠いっぱいの宝石、50億ディスケットの宝石が必要なのだぞ。なぜそこまで」
「あの男、は、言った。人を、人以上のものにする、と。この子が、私の代わりに生きる、と。理想的な、誰も、想像だにしなかった、至高の人生を生きる、と」
その時にアテムもやってくる。兵士たちをかき分けるように進み出て、ユーヤたちに並ぶ。
「ただ一人……ただ一人、完全なる人間を、求めた。世界に名を残すような、偉人を」
「世界が」
「記憶するよう、な、人間、を」
凄絶な気配が。
老人の語ることは、ともすれば夢見事、あまりにも常軌を逸した妄言、共感も理解も困難な、数十年に渡る長大な狂気。人の世界の深淵。
「計画、は、潰えた。あの子は、死なねば、ならなかった、のに」
「馬鹿なことを言うな!」
だん、とコゥナが地面を踏みしめる。
「あまりにもイカれている……! 本来のアデルシャハトも、お前も、ホテルの協力者たちもだ。今の話が半分でも真実だとして、どれほどの事をしたのか分かっているのか。かけた金銭や、王を謀ったことだけではない。お、お前たちは、一人の、人生を……!」
「おそらく、操縦役は十人以上いるな?」
ユーヤが言う。
「ホテルの従業員だろう。彼らは計画に絶対服従を誓った存在であり、シャザナード副支配人とは命令系統を異にしている。個別であり連携した存在なんだ。すべてはアデルシャハト氏を至高の存在に押し上げるため。「奇跡」もそのための一手だった。アデルシャハト氏が受付のカウンターに立ち続けたのは、そうするべきだという「声」があったんだな? ホテルの中のほうが操縦しやすいから」
「ユーヤよ……それにコゥナ姫、何の話をしている……? この老人がお前たちの言っていたマチテなのか?」
「あの、子は」
年老いた狩人が言う。
彼は、話している間にもさらに急速に老いていくように見えた。全身に張り詰めていたこわばりが失われ、皮膚は水気を失い、関節がねじれていくような錯覚。
「何も知らない、のだ、シュネスの、王よ、どうか、あの子には、寛大なる、御心、を」
光が。
全員が。それはあり得ない事とも言えるが、その場の全員が、東を見た。
黒雲の切れ目。そして上空の砂塵の切れ目から、太陽が見える。すでにかなりの高さに。
そして黒雲が、一気に薄まっていく。上空に運命的な突風が吹く。
数秒の出来事。空が一気に塗り替わるような眺め。夜が昼に、闇が光に、隠れていたものが、白日のもとに。
それは実に美しく、荒々しく劇的な夜明けであったと。
シュネスハプトの人々は、長く記憶にとどめていた――。




