外伝 記憶の森と鉄樹の花 16
※
草森葵とは、名前があるような関係性ではなかったと、少なくとも七沼はそう思っていた。関係性に名前をつけることを恐れたのかも知れない。
大学時代に起きたいくつかの事件。草森葵が神秘的な一手で解決に導いたこともあるし、七沼との考え方の違いが浮き彫りになったこともある。
それは連星に似ている。互いの引力に引かれあい、それでいて触れ合うことのない2つの星。
「七沼くん、私はね、クイズが好きな人たちは魅力的だと思うよ」
ある時は、そんな言葉も聞いた。
「私の知識は何の役にも立たないけれど、七沼くんたちはクイズを楽しんでる。クイズでたくさんの人と交流できる。素敵なことだと思う」
そうだろうか。
草森葵の知識に触れると、七沼はいつも不安になる。クイズ戦士たちが歩む道は、本当に王へと続いているのか分からなくなる。
「私も、そういう生き方をしてみたい」
そんな言葉も、確かに聞いた。
「すべてを知ろうとする、自分自身から解放されたいって、思うの」
ふと思うこともある。
七沼が知識の王に惹かれるように。草森葵はクイズに惹かれていたのだろうか。
どちらも互いの生き方に憧れて、それゆえにすれ違い、時に離れて、一度も重なる事はない。完結しない関係性。
記憶は色あせることなく、触れざる場所に。
鉄樹の森に、眠り続ける。
※
「うむ、パンが届いているな」
アテムは宴会場へと戻り、山と積まれたパンを検分していた。
ホテル内は騒然としている。
何十人もの役人が乗り込んできたのだ、当然だろう。
彼らはまず地下への入り口を探した。ホテルの地下、すべての情報が集められていた場所。
「国王陛下、見つかりました。やはり七彩謡精です」
「関係者とおぼしき職員を拘束しております」
「帳簿もやはり複数ありそうです。全容はかなり大規模なものかと」
「そうか」
アテムは革の手袋をして、大釜から肉の塊を取り出す。戦士の振るう斧のようなあばら肉、バーベキューとは水を使わずに肉を茹でる料理とも言われるが、12時間近くローストされた肉はまるでプディングのようだった。表面からは香ばしい匂いが立ち上り、焼き具合を確かめるためナイフを入れると、表層に1ミリの炭化層、その内側に5ミリの鮮紅色、そして内部は白に近いピンク色と、理想的なスモークリングが出来ている。
その様子を見ていたユーヤは、肉の見事さに気を取られつつも言葉をかける。
「アテム、指揮しなくていいの」
「もうよい」
本来ならするべきなのだろう。「籠いっぱいの宝石」50億ディスケット相当の宝石を使って呼び出す最高位の妖精である。その50億を会計上どのように処理したのか、アデルシャハトに託宣を与える以外のことに利用していたのか、ホテルの従業員の誰が、何人がかりで行っていた計画なのか、フォゾスの関与はないのか。
まず確実と思われるのは脱税。不正会計。七彩謡精を勝手に呼んではいけないという法律はないが、これほどの計画、何らかの形で国家への背任があると見て間違いないだろう。果たして計画に参加していた人間は、どのような目的意識を持っていたのか。
「あまりにも前代未聞の事件だ。本格的に取り組めば1年かかる。今日だけ余が働いても大して変わらぬ」
「でも……」
「ユーヤよ」
背後からぐいと裾を引かれる。コゥナは軽く引いたつもりだったが、ユーヤは膝がかくんと折れ曲がり、落下するように椅子に座った。
「いいから座っているのだ。ここから先はシュネスの問題だ。他国の王族であるコゥナ様たちが覗いてはいかん」
「コゥナ、君の方はどうなの。あのマチテの人は」
「フォゾスに連れて帰る。あいつがどこの森の者か調べる必要があるが、帰ってからだ。この地でやることはない。偽物のアデルシャハトのほうも引き取りたいが、それはのちのち協議する」
「うーん」
その気になればやれることはいくらでもありそうだが、王族の気質というものか、それともこの世界に独特のゆるい空気のためか、端的に言えば先延ばしの気配がする。
「歴史に残るような人間。世界が記憶するような偉人を作る……」
ユーヤがつぶやく。実際、カルデルドニスは飛躍的に業績を伸ばしていた。計画は成功裏に進んでいたのだろう。だが経済や政治となれば、もはやユーヤの手に負える問題ではない。
コゥナは丸テーブルの反対側に座り、ふうと息をつく。テーブルはかなり大きなもので、円卓なら12人と言わず20人は座れそうだ。
「野望と言っていいのか……とんでもない話だったぞ。本来のアデルシャハトのたくらみなのか? フォゾスでの医療活動でそんなことをしていたとは」
「そうだね……」
「こうなるとカルデルドニスの医療活動を検証せねばならんぞ。まさか他にも妙な人間を作っていないだろうな。確か、医師団はフォゾス各地の村を回って……シャーマンの薬では治せぬような外科手術や、難しい出産、義手や義足などを手がけていたはずだが」
「……」
(医療活動……医療か)
(その中で、アデルシャハトの影武者を見いだし、その体に細工をした……)
「……歯科は?」
「歯科? ああ歯の治療だな。それもやっていたぞ。金属の詰め物をする治療は森には無かったからな」
「そう……」
思い出す。アデルシャハトはあまり口を開けない人物だった。
(……確かに、銀歯など歯の詰め物がラジオの役割を果たし、頭の中で声がすることに悩んだ人の話はある)
(だが……それにはいくつかの条件が必要なはず。上下で違う金属が使われていること、強力な電波源の近くであること、などだ)
(だけど、狙ってやれることなんだろうか? あるいは歯でないなら、超小型のゲルマニウムラジオをやはり体内に仕込んだ? そんなものを仕込んで身体は大丈夫なのか)
思考はまとまらない。ユーヤは科学者ではないし、ここには参照できる本もない。
いや、それよりも、この技術は体感的に、この世界の水準を超えている。あるいは、ユーヤのいた世界の水準すらも。
高官らしき人物が次々とアテムに話しかけていたが、アテムが一度怒鳴るとすべて退散していった。
「まったく、余がいなければ何も決められぬのか」
アテムは肉の乗った板を持っている。肉は内部まで熱が浸透しており、うっすらと白煙を上げる様子は生き物のようにも見えた。同じものを持った兵士が次々と入ってくる。どうも別の場所で焼かれていたものを運んできたらしい。それをユーヤたちのテーブルに次々と並べる。手料理という言葉がどんどん希釈されていく。
「それとユーヤよ、これを渡しておこう」
と、アテムが差し出す巻物がある。何やら厚手の紙を丸め、金色の蝋印で封じたものだ。
「何これ」
「ホテルの経営権を握るという書類だ。余の承印が押されている」
え、と目を丸くする。
「先ほどの勝負で賭けの皿に乗っていたものだ。アッバーザ遺跡に建設される世界最大のホテル。その書類を持ってくれば総支配人になれる」
「いや、困るよ」
「まあ持っておけ……余の返礼のつもりだ。ユーヤも異世界で生きていくならつぶしが効いたほうがよかろう」
冗談のつもりなのか、それとも本気でユーヤを狙っているのか、アテムは気のなさそうな目をして、それでいてユーヤを狙う肉食獣のような気配も感じる。
「余は割と本気だがな。ユーヤならホテルの経営ぐらい問題なかろう」
「すごく困る」
「さてと……一つだけこの場で確認しておこう。そこのメイド」
と、ユーヤが断る前に話題を切り替える意味もあるのか、アテムの指が伸ばされる。
褐色の指。乗馬と剣術で鍛えられた指は硬く締まっている。示すのはユーヤの背後、水色リボンのメイドである。
「私、でございますか」
「一つ聞きたい……。アデルシャハトが影武者と入れ替わったのはおそらく30半ばを過ぎてからだ。影武者には自分の情報をすべて教えただろうが、すでに人間関係が醸成された人物が偽物に変わって、部下も家族もすべて騙せるとは考えにくい」
「……はい」
「だが、聞いたことがある。銀弓都セレノウリフの光ささぬ裏通り。果てなき隘路の奥には闇の医師が棲むという。癌、結石、脳の浮腫まで消してしまう。あるいは男を女に変え、十人並みの女を絶世の美女にも変える、とか……」
「それは噂です」
きっぱりと言う。
「他国のゴシップ誌が調査したこともありますが、何も見つかりませんでした。大病を抱えた富豪などは、いまだに噂にすがってセレノウリフを訪れます。しかし一人として、そんな医者に出会った方はおりません」
「うむ……そうだな」
「僕の世界にも、そんな技術はないよ」
ユーヤが、誰かに問われる前に言う。
「美容整形はあるけど、他人に顔を似せるのはきわめて難しい。まして部下や家族すら騙すなんて現実的じゃない」
「うむ……そうだな。ではやはり偶然か。偶然、双子のようによく似た人間を見つけた……ということか」
と、その話は一応そこまでとなる。リトフェットに尋ねたのは、セレノウの人間に確かめる機会が貴重なためだろうか。
(……よく似た、人間)
ふいに浮上してくる、泡のような記憶。そう言えば、そんな話をどこかで聞いた気もする。
かつての世界ではない。もっと、つい最近のこと。
――モノに偽物があるなら、ヒトにないと誰に言えましょう。
(そう、あれは、かの双子都市の底の底)
(魔女と呼ばれた人物の片割れ。美と背徳を愛し、裏の世界に通じた人物)
(……何か関係があるのだろうか。あるとしても、僕がそれに近づく日か来るのだろうか……)
「鉄樹の花だな」
そんな言葉が耳に飛び込む。ユーヤは「え?」と気の抜けた顔を向ける。
「何の話?」
「ん? 鉄樹の花だ。ラウ=カンのことわざで、めったにない珍しいこと、ありえないほど素晴らしい事を指すのだ」
「ああ……なるほど、僕の世界にもあるよ。鉄樹開花。めったにあり得ない幸運。植物としてはソテツのことで、10年に1回程度しか咲かないとか……」
死病に冒された男が、最高の影武者を見いだした。
彼はその影武者に、自分の歩めなかった理想の人生を歩ませようとした。
父親から弓切りを受けた男は、世界に名だたる財界人として生きることができた。
奇妙な偶然、あるいは運命の巡り合わせ。
鉄の樹に花が咲くほどの幸運。
あまりにも幸運の度がすぎて、正しい人生を踏み外すほど。
(そう、幸運な出会いは、運命を狂わせることもある)
(僕は、あの人と出会って、互いに破滅へと進んだ。それでもやはり、出会いは幸運だったと信じる)
(……次の目的地はラウ=カン。知識と学問の国。世界最大の大学を擁する都)
(その地で、また彼女のことを思い出すだろうか……)
ユーヤが取り留めもない思考にふけっていると、コゥナがふんと鼻を鳴らす。
「愚かな男だ! 影武者のアデルシャハトが生き続けたとしても、それは自分と何の関係もないではないか!」
「確かに、そうだね」
「そもそもがあのマチテの男だ! 偽物のアデルシャハトは「神の声」とやらがあったにせよ、本物の語ることをすべて記憶し、何十年もホテルの支配人を務めたのだぞ! それだけの男を弓切りにかけるなど、判断を誤ったとしか思えん!」
「うん……やっぱり僕たちが出会った人物は、優れた記憶力を持ってたんだよ。それだって人間の強さの形だよね……」
「さあ、もうそのへんでいいだろう」
アテムが言い、ローストされた肉のそばにパンの籠を置く。白スーツのジャケットを脱ぎ、シャツの袖をまくり上げている。
「これって、ラスク?」
ユーヤの目にはそう見える。輪切りにされており、断面に網か気泡のようなものが見えるラスクだ。手にとってみると妙に重い。
なぜか鉄板も運ばれてきた。正方形で、炭を入れた金属容器の上に置かれる。すでにかなり熱くなっており、アテムは手をかざして熱を確かめる。
「これ、なんかめちゃくちゃ硬いんだけど……」
パンというよりまるで材木である。断面を指で押すとちくちくと痛みもある。シュネスのパンは硬さにこだわりでもあるのだろうか。
「ゴルミーズ宮の専用釜で焼き上げたタラステルだ。特別なデンプンを混ぜて焼き、乾燥室で徹底的に水分を飛ばす。人が乗れるほどに硬いぞ」
「いや、どうやって食べるのこれ。また蜂蜜のマウスピース?」
「ふ」
余裕綽々という様子のアテム。そして何やら兵士たちが準備を進めている。
ローストされた骨付きのアバラ肉。ユーヤの世界では斧に例えてトマホークステーキとも言われるが、それが一列に並べられる。肉を乗せる板同士、さらに肉同士もぴったりとくっつき、飛び出した骨を兵士たちが押さえている。何となく旗揚げゲームでも始まりそうに見えた。
「?」
「これはな、このように使う」
アテムが、金属のように硬いラスクを肉に押し当て。
がりがりがりがり。
と、思い切り力を入れて走らせる。
「おお!?」
距離にして2メーキ近くを一気に。金属のように硬いラスクが、液体のように柔らかい肉を削る。
するとラスクの網に崩れた肉がぎゅっと詰まった状態となる。アテムはおもむろに、熱した鉄板に肉の部分を押し当てた。
瞬間、ばちばちと水分と油がはじけ、下になっている肉が蒸気を上げ、蒸気はラスクの中を抜けて立ちのぼる。
「これがシュネスの王室料理、アガテイアだ。そして蜂蜜はこれだ」
別の兵士が垂らすのは、コールタールのように真っ黒な蜂蜜。とろりと筋を引いて鉄板に落ちれば。ばちばちと高圧電流がはじけるような音がする。
「おお! これは「星見糖」の最高級品だな! ランジンバフの森からの輸入品か!?」
「コゥナ姫、これはシュネス産だ。アプト・ユレネタゥ緑地はフォゾスの蜂を育成する養蜂場でもあるのだ。何しろ輸入物は高すぎるからな。粗食を美徳とするシュネスにとって養殖は悲願だった」
「なんと! あの蜂を人工飼育できるとは知らなかったぞ!」
アテムのシャツにもズボンにも容赦なく黒いシミが飛んでいるが、それは気にしないのが流儀なのか、蜂蜜がはじけるに任せている。
出汁のような醤油のようなアミノ酸の香りがして、最後に鉄のヘラを使ってさらにじっくりと押さえる。
「美味しそう。それにものすごくいい匂い。焼肉屋の匂いというか、パン屋さんの匂いというか」
「うむ、黒太子どのの腕はなかなかだな。あの肉はそのまま食べると柔らかすぎるが、ああして硬いパンと混ぜ合わせることで抜群の歯ごたえになるのだ。ステーキの硬さとハンバーグの味わい深さが両立しているのだぞ」
「うーんすごい。まるで肉に鉄筋を入れるみたいだね。肉は肉だけ食べたいと思ってたけどこれは考えを改め」
「ユーヤ様! 大変です!」
「ちくしょおおおおおおおおおお!!」
駆け寄ってきた兵士を、鬼の形相でにらみつける!
「何だよ!」
「あの、ラウ=カンの睡蝶様が、急ぎなので今すぐユーヤ様を連れて行きたいと言われてまして」
「くっ……何もこんなタイミングで」
ふ、とアテムが笑みを漏らす。
「ユーヤよ、余の手料理を断るほど急ぎでもあるまい。朝食ぐらい食べていくがいい」
「うん、まあそれはね、さすがにね、徹夜したしね」
「よし! 皆のもの、入り口を押さえよ!」
どどど、と鎧を着込んだ兵士たちが扉に群がる。
「ちょっと! なんで開けないネ! というかすんごいいい匂いするネ! これもしかして星見糖を焼いてる匂いネ!?」
ラウ=カンの皇妃の声はドア越しでもよく通る。十人からの兵士がドアを押さえているが、どんどんと叩かれるとドア全体が膨らむほどの衝撃がある。
「きーっ! みんなで美味しいもの食べる気ネ! 開けないとドアぶち破るネ!」
「さあユーヤ、食べるがいい」
「うん」
砂漠の都に朝が来る。
遅めの朝食、それはおそらく都市全体がそうだろう。朝とは時刻のことではなく、光の到来であると誰もが思った。
ユーヤは思う。人生は劇的であると。
一生をかけた計画。あるいは一度の食事。
人生のどこかですれ違った女性。そのまばたき一つにも劇的がある。
そのすべてを覚えておけるだろうか。分からない。記憶は無限かもしれないし、常に失われ続ける定めかもしれない。
だから、覚えていたいと願い続ける。
記憶とは生き方。生き方とは日々にどのように向き合うか。
出会ったことの全てを、心に焼き付けるように生きていたい。
分厚いドアが開かれて、兵士たちが木の葉のように吹き飛んで。
そんな一瞬も、永遠に覚えていたいと願う。
(完)
これにて完結となります。
ひさびさの外伝でしたが、お付き合いいただきありがとうございました。
異世界クイズ王は現在書籍化、コミカライズに向けて企画進行中です。なろうでも定期的に更新していきたいと思っていますので、その時はまたよろしくお願いいたします。




