外伝 記憶の森と鉄樹の花 12
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フォゾス白猿国は光ささぬ国と言われる。
都市部の数十倍の規模の森が存在し、そこに住まう狩人たちは文明の進歩と無関係に生きており、古代人のような生活をしていると囁かれる。噂として誇張された部分も多いが、現実的な課題についての示唆もある。閉鎖的であること、旧態依然であること、それを良しとしていること。
事実としては狩猟民族はフォゾスを出ることがほとんどなく、こうしてシュネスハプトで外国人の目に触れることもない。コゥナへの奇異の目はずっと止むことがないが、彼女自身は柳に風と受け流している。
その視線は空に向けられている。空はくろぐろとした渦を巻き、ひたすらに暗い。
「……窓の厚みは1.4リズルミーキというところか。水晶であればオパールより硬く、トパーズやスピネルよりはもろい。割れる時は粉々に砕ける……」
そのような独り言は誰にも届かない。そうして歩き回っていると、ふいに後方で固まっていたユーヤが顔を上げる。
「ねえ、そろそろ7時じゃないかな」
「はい、間もなくです」
答えるのは水色リボンのメイドである。メイドたちはされるがままのユーヤを着替えさせた後、物言わずじっと控えている。時間は小まめに確認していたようだ。
「現在時刻は6時52分です。集中が必要のようでしたのでお伝えするのは控えておりました」
「どうして空が暗いのかな、もう朝のはず」
「シュネスにも雨雲が差すことがある。これは双黒現象というものだ」
次に答えるのはアテムである。彼は釜のそばで椅子に座っていた。釜は先ほどから放置されており、燃料窓の隙間から白い煙が漏れている。炭を燃やす段階は少し前に終わり、今は釜の予熱で肉を熟成させていた。
「双黒現象?」
「高度2000メーキ付近に黒雲ができ、そのはるか上空、1万メーキ付近に高濃度の砂塵が滞留している状態だ。この砂塵は水分を含んでいるため黒い。かなり遠くから見た場合、黒雲が二層になっているように見える」
ユーヤは周りを見回す。窓の向こうは漆黒。
とても雲の暗さとは思えない。まだ夜が明けてないのかと思うほどに暗い。
「珍しい現象だね……僕のいた世界では聞いたことないよ」
「これほどに暗くなるのは珍しいが、実害のある現象ではない。やがて夜は明ける」
本当だろうか。
そんな言葉がアテムの頭をかすめる。彼はそれを奥歯で噛み潰す。
立ち上がる。白スーツの裾をはらい、シュネス側の使用人たちがスーツの皺に鉄のコテをあてる。宴会場の扉が開いたのは丁度その時である。
中央を歩み来るのは遺跡を構成する巨石か、あるいは歳月を経た古い家具のような、重厚で四角四面な印象の人物。アデルシャハト。
ホテルの正装に身を包んだ姿は普段と変わらない。だがさすがにこの時は、名士として名高い人物であっても顔にこわばりが見えた。緊張と不安と呼べるものがこの男にも存在したかと、アテムはなぜか気が安らぐのを自覚する。
「国王陛下、そろそろお時間ですな」
「うむ」
アテムが頷き、水色リボンのリトフェットは懐中時計を確認、時刻はちょうど7時である。深夜にラジオを参考にして時刻合わせをしている、おそらく1分と遅れていないだろう。
(時間ちょうどに来られましたね……うがった見方をすればユーヤ様と寸言も会話することを避けたのでしょうか。勝負はすでに始まっている、ということかも知れません)
会場の扉は開け放たれており、そこから正装した宿泊客が次々と入ってくる。皆すでに勝負のことは承知なのか、壁に沿って移動し、中央に熱い視線を注ぐ。
ユーヤは勝負の開始は7時と告げた。この場合、7時ちょうどに勝負が始まるのか、7時から準備を始めるのか人によって分かれるだろう。この世界ではたいていの場合は後者になるようだ。ユーヤはそれについては何も言わない。
アテムが釜を離れ、ユーヤに並ぶような位置に立つ。
「確認しよう。クイズによる決闘。賭けるものはアッバーザ遺跡に建設予定のホテル。国営にするか民間から誘致するか、単純化して言えば、勝ったほうが世界最大のホテルの経営権を握ることになる。支配人、大株主、オーナー、所有の形はどうでもよいが、そのホテルを我が物にできると考えて間違いない。勝負はこのアテム=バッハパテラの名のもとに行われ、ここにいる全員が証人となる。ではユーヤよ、ルールの説明を」
「ああ、では始めよう」
そばに控えていたリトフェットは目を見張る。一瞬だけユーヤが敏腕経営者のように見えた。背筋には鉄芯が入り、動作はゆるやかで鷹揚。腹筋がかなり鍛えられているかのような声の伸び。一国の王や超一流の財界人と並んでも不自然さはない。これが演技だとするなら、その技術は何万の文字で表現されるのだろうか。
「ルールを説明する。勝負は無限記憶クイズ。まず僕たちを含む6人で車座に座り、それぞれ一つずつ単語を言っていく。時計回りに言っていき、参加者は述べられた単語をすべて覚えておく。そして自分の番になった時、単語を追加する他にもう一つできることがある。誰かを指名することだ。これを「チャレンジ」と呼ぶ。チャレンジに指名された人間は、それまでに挙げられた単語をすべて数珠繋ぎに回答する。もし言えなかった場合は敗北となる。ここまでで質問は」
それは、質問を要求していることが明白な言い方だった。直線的な視線を向けられたアデルシャハトは、首をかるく回してから言う。
「……6人と言われましたが、あとの4人というのは?」
「そこのあなたとあなた、協力してくれ」
ユーヤが無造作に指名する。それは今しがた、会場の大扉から入ってきた客である。
「アデルシャハトさん、あなたも二人選んで」
「……分かりました。ではそこのお客様、それと、そちらの方、ご協力願えますか」
指名され、わけも分からぬまま4人が場の中央に出てくる。ユーヤがメイドに囁きかけ、6つの椅子が輪の形に並べられる。
「チャレンジに成功した場合、指名した人間の方が敗北となる。敗北した人間はすみやかに輪を抜け、ゲームにはいっさい関われなくなる」
「ふむ……なるほど、指名にもかなりのリスクがあるわけですな」
アデルシャハトは少し考えて、そして言う。
「しかしユーヤ様、この勝負はそれなりに時間がかかりそうです。お客様にあまりご苦労をお掛けするのは避けたいのですが」
「そうだろうか? 協力してくれないのか? 勝てばホテルが手に入るのに」
「な……」
ざわめき。それは芋の詰まった樽を棒でかき混ぜるような、一つ一つの発言がたいへん大きな揺らぎ。
「もちろん条件は平等だ。誰が勝っても、アッバーザ遺跡に建設されるホテルのオーナーとなる」
「ま……まさか、そのようなこと」
アデルシャハトが、さすがに助けを求めるような視線をアテムに向ける。
そのアテムは鉄面皮を崩さない。もし彼を見るのが一秒早かったら、どんな顔をしていたか分からないが。
「――その通りだ、誰が勝とうと同じこと。ホテルを任せよう。経営に不安があると言うなら、適当な第三者に預ければよい。株だけ売り払っても構わん」
ざわめきが、やがて波濤となる。
早くも観客は熱狂の火を宿している。起きしなの人間も、あるいは一睡もしなかった者達も。
尋常ならざる事態が進行している。その事が人々の狂熱をかき立てようと。
(……焦るな、考えてみればこれは余に有利な部分だ)
アテムは、そのことに気づいたことを隠そうとして指を噛み、目から表情を消す。
(一般人の4人が勝つことはよもやあり得ぬとは思うが、その4人が勝てばホテルの株を余が買い取ればよい。一般人が勝つという展開など問題ではないのだ)
(問題なのは……なぜユーヤが一般人を参加させるのか、だが)
そのユーヤは椅子の輪の中に入る。一般参加者の4人も、互いに顔を見交わしつつ輪に入った。
「いくつか補足を述べると、これは純粋に記憶力だけの勝負だ。だから単語は大きな声ではっきりと言うこと、他のものと紛らわしくなる発音はしないこと、きわめて専門的なものや、長すぎる言葉は避けること。では他に質問はあるかな」
観客のざわめきは持続している。ルールはごく単純なものだが、あまりにも賭けられているものの額が大きすぎるのだ。
そのざわめきを縫ってメイドが発言する。
「ユーヤ様、我々で挙がった単語を書き留めておきましょうか」
「ああ頼む。そこのボーイさん、あなたも書き留めて」
「わ、わかりました」
観客の中にも手帳と万年筆を出す者がいる。答えの検証に問題はないだろう。
「では始めよう、全員、椅子についてくれ」
そして勝負は始まる。
それは、特に劇的な転換点のないゆるりとした始まりである。最初に適当な人物をユーヤが指さし、その人物から時計回りのスタートとなる。
「始まったか……」
アテムは背中を走る冷や汗を意識する。かつての父王との戦いを乗り越えたばかりの彼であっても、このユーヤという人物の所業にはとてもついていけない瞬間がある。ただ、そのように周りを振り回すことも彼の作戦だとも分かっている。
さらに言えば、このようにぬるりとした始まり方も作戦のうちなのだろう。このルールについて検討させまいとしているのか。それとも他の理由があるのか。
(……突然選ばれた4人の参加者、記憶力の勝負とはいえ、ユーヤが負けるとは思えぬ。そこは心配するべきではなかろう。警戒するのはアデルシャハトのみか)
(問題は指名だな……いつか指名せねばならぬ。だが相手がチャレンジに成功したら敗北する、という厳しいルールだが……)
「牛、です」
「えっと……どうしようかな、じゃあ公園で」
「屋根だ」
「それじゃあ……私はハイアード獅子王国で」
「鎖、にします」
順番として、アデルシャハトとユーヤの間に二人ずつ入る並びとなっている。一周する間に単語が6つ増えるわけだ。
アテムはさらに思考する。
(指名した相手が失敗しても、指名した人間にメリットがない……特にユーヤとアデルシャハトは簡単には動けぬだろう)
(理想としては、自分ではチャレンジを指名せず、自分も指名を受けず、次々と参加者が減っていくのが望ましいが……)
「そこのあなた」
ユーヤが指名する。周囲がわっとざわめく。
「チャレンジだ」
「うう……」
指名されたのは初老の男。まだ単語は20も積み上がっていない。
「……申し訳ありません、覚えられておりません。棄権します」
「そうですか。では速やかに抜けてください、ゲームを続行します」
(……)
まさかユーヤが真っ先に動くとは思っていなかった。アテムとしては無表情を保つだけで精一杯である。
(……ユーヤという男の武器は経験。あらゆるクイズに通じるという異世界のクイズ王)
(だから知っているというわけか、記憶できていない人間の顔を)
(だが……それでは一般参加者は落とせても、アデルシャハトはどうする)
(それに勝負だけではないのだ。まだ解けていない謎がいくつもある……フォゾスの狩人がユーヤを見張っていたという件も……)
ふと、コゥナはどこにいるかと目を走らせる。
そして見つかる。彼女が頭につけている尾羽根が群衆の向こうに見えたのだ。そうすると、あれは狩りの時に仲間に見つけてもらう意味もあるのかも知れない。
(コゥナ姫……先ほどから宴会場の外縁を歩き続けている……? 勝負を見ないのか?)
(いや……そうか、フォゾスの狩人を警戒しているのか、この勝負の場に現れるかもしれぬと……)
「ええっと……う、牛、公園、屋根、ハイアード獅子王国……」
チャレンジが始まっている。指名したのはまたもユーヤのようだ。50がらみの婦人が指折りをしながら答えている。
だが覚えきれていないようだ。13個ほど単語を述べた時点で完全に詰まってしまった。汗を流して考えるも次が出てこない。ユーヤが冷静に告げる。
「時間制限は設定してませんでしたが、常識的に言って10秒も詰まれば失格です。抜けてください」
「ああっ……はかない夢でしたわ」
よよと顔を覆いつつ退場する。見た目にはのどかな、とも言えそうな淡々とした進行である。
しかしやはり、巨額をかけた鉄火場でもある。奇妙な空気が場に渦巻いている。
(……このホテルの客はそれなりに富裕な者だが、世界一のホテルの経営権と言われてもさすがに実感は持てぬか。全身全霊をかけて記憶する、という様子ではないな)
そもそも、この条件で人間はどのぐらいの単語を記憶できるのだろう。50か、100か、アテムは自分では記憶しておけない、他に注意を払うべきことが多すぎるためだ。
(この勝負……どのように展開するのか)
(そしてユーヤよ、お前には何がどこまで見えているのか……)




