外伝 記憶の森と鉄樹の花 11
光と熱、そして音、それらが蝶となって地上を離れる。
砂漠は熱を蓄えることができない。そのため日没から明け方にかけて気温が下がり続ける。シュネスハプトは張り巡らされた地下水路と、人工的な緑地によってやや緩和されているとはいえ、それでも深夜3時を回ればはっきりと寒気が感じられる。
水晶の一種であるという宴会場の大窓の向こう、砂に蓄えられたすべてが空気に放散され、無の静けさに近づいていく。物悲しいと思う者もいれば、閑寂なる世界に神秘性を見出す者もいるだろうか。
宴会場にはそれでも居残っている客がいた。具体的なことは何一つ知らされないながらも、どうもシュネスハプトにただならぬ事態が起きているとは感じているようだ。自分の目で見ておくことに価値があると思い、酒も控えて壁際にいる客が数人。この世の酸いも甘いも極め尽くしたような婦人が何名か、好奇心の塊のような若い旅行客もいる。
アテムはホテルのスタッフを排除しているが、一般客は放置している。誰かに目撃させることに意味があると思っているのか、それとも庶民と王の隔絶というものだろうか。アテムにとって関心の外側の人々なのか。
釜の音を聞く。肉汁がしたたり落ち、焼けた鉄に触れる音。黄弊という蜂の巣から作られる燃料が崩れる音。アテムは時おり燃料窓を開けて炭の位置を調整する。
先ほどまでは忙しかった。経済関連の要職を集めてさまざまな指示を飛ばしていた。決裁すべき書類も急ぎ用意させている。明日の昼には山のような量が用意されるだろう。
指示がひとしきり終わり、ようやく火の番に専念できるようになったのがつい先刻である。
「ふむ……肉の温度は68度で落ち着いているな。スモークは順調。このまま朝まで維持すればよかろう」
左を見る。少し離れた椅子にユーヤが座っている。足を組んでかなり前傾に構え、片手で頭を支えるような姿勢だ。普段は礼節を崩さないユーヤにしては珍しい、かなり集中していると感じる。
作戦を検討するとは聞いたが、もう何時間もあの姿勢のまま動かない。書き物をしているわけでもなく、資料などを集めるでもない、メイドたちは彼のタキシードを新たに仕立てていたが、そのメイドたちに指示を出すでもない。
そして誰も、ユーヤのそのような様子に口を出さない。
やるべきことを怠ける事など、この人物にあるはずがないと全員が分かっている。近衛兵の中でユーヤを初めて見るような者でも、そのただならぬ様子に緊張を見せている。
ふと、ユーヤが顔を上げた。それをきっかけに近づく。
「ユーヤよ、水ぐらい飲んだらどうだ。柑橘の葉を入れた白湯がよかろう」
「ああ、ありがとう」
周囲にシュネス側のメイドがやってきて、人肌ほどのぬるさのグラスを差し出す。ユーヤはそれを一口すする。
「アテム、さっきまで忙しかったみたいだけど、もういいの?」
「うむ、最低限の手配は済んだ」
「そう」
「認識をすり合わせておきたい」
アテムはユーヤの向かいに座り、手をかるく上げる。テーブルの周囲をシュネス側の兵士が囲む。
「事の始まりはカイネルだ。カルデルドニスは王も遊興で用いる宿であり、カイネルとアデルシャハトは数十年来の友人だった」
「うん……」
「すべては余の推測だが、ある時期を境にカイネルはアデルシャハトに疑念を抱いた。彼は本当に一貫した同一人物なのかと」
「だから、「奇跡」にもこだわったんだね」
「おそらくはそうだ。アデルシャハトはどこかの時点で別人に変わった。そして驚異の記憶力という異能の力も持っていた。おそらくカイネルは、アデルシャハトが特異な記憶力を持つ人物とは思ってなかったのだろう。会話の中で以前のことを忘れたことも何度かあり、それが急に、シュネスのすべての人間を覚えているなどと言い出したことに違和感があったのだ」
「そうだと思う……。カイネル氏は優れた人物だった。学者でも青ざめるほどの歴史の知識を持っていたという。そういう人物には見抜かれてしまう。積極的に能力を見破ろうとしないまでも、察せられてしまうんだ。その人物の知識のほど、能力の丈のようなものを」
「そして、だ。ユーヤに言っていなかった要素が一つだけある」
「多額の剰余金」
む、とアテムは気勢を削がれた顔になる。
「調べがついていたか……。そうだ、かつてカルデルドニスは多額の剰余金を抱えていた。事業を広げるでもなく溜め込んでいる様子には弱腰経営の誹りもあった。やがてカルデルドニスは福祉に多額の投資をするようになり、さらに近年では急速な事業拡大、鉱山への投資など手広くやっている」
「つまり、カルデルドニスの経営には3つの時期がある」
「そうだ。保守的経営の時期、福祉事業を手がけ始めた時期、そして事業拡大の時期。このどこかで、アデルシャハトが別人に入れ替わったのではないか、カイネルはおそらく、そう推測したのだ」
アテムは頬骨を指で支えるような構えを取り、鋭い視線を虚空に投げる。
「カルデルドニスの経営について徹底的に調べる。そのための手配をした。本来であれば王権を駆使して民間企業を調査することには慎重であらねばならぬ。だが、必ず何かが出てくると確信している」
「……そうだね」
「本来であればカイネルの仕事だ。まあ、面倒な仕事を押し付けられたと思うことにしよう」
囲みの中にはセレノウ側のメイド、リトフェットもいる。彼女は緊張の面持ちながらも、今ひとつ、非現実的な話という印象が拭えないでいた。
カルデルドニスが何らかの秘密を抱えているのは確かだが、その場で話を聞いている全員、全体像を想像できないでいる。
アデルシャハトが別人に変わり、それに関連してなのか、カルデルドニスは経営方針を二度ほど変えている。そして、ゴルミーズ宮が総力を挙げて査察に入る。
これは、何を意味するのか。
「おそらくは、フォゾスだ」
ユーヤが言い、アテムも首肯する。
「うん……カルデルドニスの福祉はフォゾスに偏っていたと聞いてる。最初から探していたのか、偶然にも瓜二つな人間を見つけたのか、アデルシャハト氏は自分の影武者を作り上げた。体型を似せ、ホテルについて学ばせ、自分についてのすべてを語り、それを記憶させた。そしてカルデルドニスのカウンターに立たせた。彼があまりホテルを離れなかったのは、色々な場所に出すとボロが出ると思ったのかもしれない」
「ユーヤの部屋に現れたというフォゾスの狩人、それは見張り役なのか護衛なのか、あるいはアデルシャハトの私兵なのか分からぬが、その狩人の存在は重要だな。アデルシャハトはフォゾスのどこかの氏族と通じていたのだ」
そこまでは、推測が成り立つ。
だが問題は、動機である。
なぜそんな事をしたのか。何の意味があるのか。アテムにはそこが見通せない。
影武者という言葉を当てはめるしかないが、ホテルの支配人が暗殺に怯えるというのも妙な話に思える。
「経営拡大を図れば、命を狙われることもあると考えた……? 確かにアデルシャハトは宿泊業において大物だが、彼が狙われるなら、他に狙われるべき大物などいくらでもいるが……」
「そうだね、それは僕が持ってるこの世界の印象とも違ってる」
それに、暗殺への警戒という話になると、もう一つの謎に対して説明がつかない。
かつてアデルシャハトが見せた「奇跡」。これが影武者を立てる理由に関連しているなら、どのような物語で説明されるのか。
「あとは勝負の場で見い出すよ」
ユーヤがそのように言う。
「いくつか想像できることはある。とても単純なトリックならいいんだけどね」
「……? 何か、悪い予感でもあるのか。お前でも見抜けぬほど複雑な手妻の種が?」
「いや……」
ユーヤは、また感情が重みを増す気配がある。
一言で言えば鬱々たる状態。あまり明るい様子を見せない人物だが、アデルシャハトの実像に迫るにつれ、その陰が濃くなるように見える。
「……なぜ人は、クイズ王の技を追い求めるんだろう」
「うん?」
「僕の世界でも何度か起きたことなんだ。アメリカのある番組で、ヒーローのようなクイズ王を仕立て上げるために行われた不正。史上最高の視聴率を誇った番組が打ち切りになるスキャンダルだった。それと、僕の国で起きた「0文字押し」の事件。4時間に渡る生放送の検証番組が組まれて、結果として2人のクイズ王がテレビから消えた。アマチュアの世界でも、謎めいた押し方、信じがたい知識量、そんなものをみんなが追い求める。「謎解き」をしようとする。もし解き明かして、それがチープな不正だったら大勢が不幸になるのに、純粋に信じていれば幸せなのに、追い求めずにはいられない」
「うむ……この世界ではそこまでの不正が起きたことはあまりないな。かのハイアードの王子が起こした不正は大乱期以降、130年の歴史で前代未聞のことだった」
「なぜ追い求めてしまうんだろう。謎を解き明かして、それで良い気分になったことなんか一度もないのに、どうしても見過ごしておけないんだ……」
「弓切り、だな」
少し離れたところから声がする。外で見張りについていたコゥナが、腰に手をあてた姿勢で歩いてきた。外はかなり冷えるはずなのだが、胸当てと腰履きというスタイルは変わらない。
「コゥナ姫、ビアイとは何だ?」
「見届人のことだ。若い狩人は、まず10人近い集団で森に入る。そして老練の、もっとも優秀な狩人が弓切りを務める。新人の狩人たちをよく観察し、適格かどうか判断する役だ。弓切りに不適格だとされると、二度と森に入ることを許されぬ。村で他の仕事に回されるのだ」
「え……」
ユーヤは驚いた顔になる。
「それは……あまりにも厳しいと言うか、一生狩りができないの?」
「挽回の機会はなくもないが、コゥナ様は聞いたことがない。弓を切られるのは技量が未熟であるとか、身体が育ちきっていないとかではない。注意力や洞察力、警戒心に、生まれ持った存在感の強弱、生き物に対する姿勢など総合的なことだ。そして弓切りを務める者は憎まれ役だ。多くの人間の夢を摘むわけだからな」
「そうだね……」
「だが、必要な役目だ」
胸を張ってそう言う。
「不適格な狩人はやがて命を落としてしまう。憎まれ役であっても、辛い役目であっても誰かがせねばならぬ。そういう仕事もある」
「うん……」
分かっているつもりではある。
誰かがクイズの世界を見張らねばならない。不正を排除せねばならないと。
だがそれでも、耐えがたい気持ちになることもある。
今回の件、ユーヤにはぼんやりと真相が見えてきている。それを暴く役を務めなければならない。たとえそれが、何人かの人生を破壊するとしても。
気持ちの整理に、まだ時間がかかるようだ。ユーヤは背を丸めて固まってしまう。その脇で、コゥナが高い位置で腕を組んでいた。
「シュネスの黒太子よ、ちょっとこっちへ」
「うむ」
アテムと連れ立って、宴会場の端のほうへ行く。
ちなみに言うなれば、釜のそばにはゴルミーズ宮から呼んだ料理人が複数人いるため肉の心配はない。アテムにとってどの段階から自分の手料理となるのかは謎である。
2人はユーヤからだいぶ離れ、大きめの観葉植物の影で小声で話す。
「失敗したかな」
「うむ、だいぶ」
「いや、落ち込ませるつもりはなかったのだ。弓切りは確かに憎まれ役だが尊敬もされていてだな」
「……コゥナ姫よ、正直あまり伝わってないと言うか、ユーヤのかつての仕事はよく知らぬが、損な役回りを誰かがやらねばならぬ、というぐらいの道理はわきまえてる男だと思うぞ。ただ人間だから耐えきれぬ時もあるのだろう」
「コゥナ様の話、そういう方向のフォロー効いてなかったか」
「そうだな」
ちら、と2人でテーブルの方を見る。ユーヤはまだテーブルに突っ伏している。
「ここはあれか、ぎゅっと抱きしめるとかした方がよいか」
「コゥナ姫ではあまり効果がなさそうだが」
「どういう意味だ」
ごほん、と咳払いをして二人が中央の方に戻る。背中をぽんと叩くのはアテムである。
「セレノウのユーヤよ、まあ元気を出せ、勝負も控えているのに落ち込んでいては困るぞ」
「……ああ、うん、そうだね」
「勝負が済む頃には肉も焼ける。いま特製のパンも用意させているからな」
「……パン?」
「うむ、ゴルミーズ宮の厨房には高さ4メーキのパン釜がある。ここで焼かれるパンは石をも砕くほど硬いのだが、味は最高なのだ。用意している肉に合わせることで最高の料理に」
ばたん、とユーヤはまた突っ伏す。
「ど、どうしたユーヤよ」
「いや……別に……この世界のパン好きだから……うん」
ユーヤは大人である。
出された食べ物に感謝こそすれ、ケチなどつけようはずもない。
せっかく12時間もかけてローストしてるのにまたパン料理か、どうせ肉汁を移したパンだけを食べるとかだろ、美味しいのは認めるけど普通に肉だけ食わせてくれよ、みたいなことは言わない。大人であるから。
ただ今は精神も肉体もかなりすり減ってるので、ポーカーフェイスが効かないだけである。
アテムは高い位置で腕を組む。
「コゥナ姫、ちょっとこっちへ」
「うむ」




