外伝 記憶の森と鉄樹の花 7
「襲撃だと」
ユーヤにあてがわれているスイートルーム。何もかも大きなこのホテルであっては、個室の談話室すら20畳ほどの広さがある。知らせを受けて駆けつけたアテムは目を見開く。
「襲われたわけじゃない。だけど僕の部屋に侵入してこちらの様子を伺ってた」
「しかもフォゾスの森の民だ。コゥナ様のことを知っていた」
コゥナの声には悔しさがにじんでいる。森の同胞が他国の問題で暗躍していたためか、あるいはそれを逃したためか。
「……それはしかし、一つの可能性が否定されるな。その潜入者がラウ=カンやハイアードの密偵ではないということだ。まさか第三国がフォゾスの民をスパイに使うことはあるまい」
その可能性はユーヤは考慮してなかった。さすがは王としての広い視野と言うべきか。
コゥナは床をたんたんと踏み鳴らして言う。
「あれはおそらくマチテだ」
「マチテ?」
「フォゾスの狩人、森の戦士には大きく分けて二つのタイプがある。弓で遠くから射掛けて獲物を捕るのがカケテ。待ち伏せを主として、罠などを使って仕留めるのがマチテだ。伝声筒と呼ばれる特殊な拡声器を使って声を飛ばし、獲物を四方八方からの声で誘導して罠に落とす、これはマチテの技だ。コゥナ様ですら音の出どころが分からないほど巧みだった」
「かなりの手練れ……ということか、フォゾスの姫よ」
「だが……なぜ森の戦士がカルデルドニスに与しているのだ。検討もつかないぞ」
「……」
ユーヤはそのやり取りを静かに見ている。
ユーヤがフォゾスという国について知っていることは、この世界の一般人よりも少ない。森の民についてもコゥナしか見たことはない。だから自分の発言が的外れになることは覚悟の上で口を開く。
「傭兵、と言うことかな。狩りの腕を買われて護衛に雇われたとか……。罠を専門にする狩人ということは諜報活動もできそうだし……」
「そんな話は聞いたことがないぞ……。森の民は商売のために十字都フォゾスパルまで降りることもあるが、国境を越えて他国にまで行く者はほとんどいない。いたとしてもここは砂漠の国だ。間諜として雇われるなど……」
ふと、横にいた水色リボンのメイドがユーヤの視界に入る。気配を出すことで発言の機会を願っているのだろう。ユーヤも似たようなことをよく行う。
「リトフェット、何か意見はあるかな」
「ユーヤ様、シュネスにも暗黒街というものがあり、特殊な訓練を受けた間諜は存在します。我々のようなメイドが任務を受けることもあります、ただ、上級メイドはメイドの誇りがありますので、後ろ暗いことは嫌がりますが」
「わざわざフォゾスの狩人を使う意味はない?」
「そうです。それに先ほどはコゥナ様にも気づかれた。マチテはあくまで狩りの専門家です。人間相手の諜報活動の専門家ではありません」
(では――)
では、あの人物は何なのだろう。
なぜ自分たちの動向を監視していたのか。彼はカルデルドニスに雇われているのか。
(……勝手に動いている? あるいは、アデルシャハト氏ではない人物に雇われている……?)
(この上さらに黒幕がいるのだろうか。さすがにそれはワケがわからない。そもそも何に対しての黒幕なんだ。事の発端はアデルシャハト氏本人が見せた記憶力なのに)
どうも停滞に入ったと、そう見て取ったのはアテムである。場の空気を入れ替えるように発言する。
「ユーヤよ、余はまた火の番に戻る。ともかく今宵は休め。この部屋には余の近衛兵を見張りに――」
「アテム」
ユーヤが、決然と視線を上げる。そこに暗い光が宿っていることに気づき、アテムはわずかに身構える。
「なんだ?」
「アデルシャハト氏について詳しい人物を呼んでほしい。その性格や能力、私生活や家族、カルデルドニスの経営についても深く知っている人物を」
「それならば副支配人だな。ナンバー2の実力者であると同時にアデルシャハト氏の親友でもある」
「その人物に話を聞いたら……その後、その人物を24時間だけ隔離してほしい。誰とも接触させないように。こちらの動向を漏らしたくないんだ」
「――わかった」
アテムはそれだけ言って部屋を出る。ユーヤは座った膝の上で手を組み合わせ、周りにいたメイドの一人が息を呑む。
これは事実上の宣戦布告。
副支配人を隔離、つまり短時間だが幽閉して、それで何も無かったでは済まされない。いくら国王の命令であっても。
「リトフェット、君とメイドたちは隣の部屋にいてくれ。この部屋には僕とコゥナだけが残る」
「わかりました。ですが、この部屋の気配は常に伺わせていただきます。外からの乱入が無いとも限りませんので」
「分かった」
そして、わずか数分後。
すべては迅速に行われている。そろそろ深夜に踏み込もうとしているホテルで、がしゃがしゃと金属の音が近づいてくる。
――おい、これは何なのだ。
――あなた方は近衛兵のようだが、陛下のご命令なのか、せめて事情の説明ぐらい。
ばん、と勢いよく明け放たれる扉、入ってくるのは数人の兵士である。胴部と胸あてだけの軽鎧ではなく、脚甲と手甲、銀無垢の兜を装備している。肩と大腿部に隙間があるだけでほぼ全身鎧である。むろん、腰に剣を帯びている。
「副支配人のシャザナード氏をお連れしました」
「ご苦労さま、君たちは下がってくれ」
「部屋を見張るようにとの陛下からのご指示です。廊下にて待機させていただきます」
「仕方ないな。なるべく音は立てないでくれ、副支配人さんの気を散らしたくない」
シャザナード氏というのはやや長身で細身、白髪と白髭をたくわえた人物である。筋骨隆々とした四角い印象のアデルシャハト氏と比べると、木の枝のようにひょろ長い。燕尾服のようなフォーマルな装いだが、その目は急な事態に白黒していた。
「シャザナードさん、まずお聞きします、今までどこにいましたか」
「……本日は休暇を取っていたが、陛下が夜通しの宴会を開かれると聞いて、自宅から急ぎ駆けつけたところだ。ロビーで宿泊客と話していたら、いきなり連行されたのだが……」
「そうですか」
甲冑の兵士たちは退出していく。ユーヤはそちらの方にも一度だけ、するどい視線を向けた。
(……完全武装の兵士を何人も。僕の護衛にしても大げさじゃないのかな。そのぐらい僕の身を案じてくれてるのか)
(それとも、本格的な戦闘が行われることも考えてるのか、アテム……)
ばしん、と背中を叩かれる。
「ユーヤよ、シャザナード氏に聞きたいことがあるのだろう。余計なことを考えるな」
「……ああ、うん」
コゥナの言葉を受け、ユーヤは深呼吸をして気を落ち着かせる。
「ではシャザナードさん、そちらのテーブルで話をしよう」
漆黒のテーブルである。ユーヤは漆のような樹脂が塗ってあるのかと思ったが、触れてみると年輪の凹凸が、樹皮の細かな手触りが感じられる。年輪が見えないほどに完全に黒い木材、そんなものがあるのだろうか。
ユーヤがこの世界で何かに取り組んだり、あるいは何気なく過ごしている間にも、異世界の不思議なもの、珍しいもの、見たこともないものが群れをなして通り過ぎていく。
この漆黒のテーブルには、あるいは今後一生出会わないかもしれない。そんな一瞬の哀惜を噛み潰して、ユーヤは尋問の相手と対峙する。
「僕はセレノウのユーヤ。こちらはフォゾスの大族長の一子、コゥナ。僕たちはアテムの依頼で、アデルシャハト氏のことを調査している」
「セレノウとフォゾスのお方か……国王陛下とどのようなご関係か、伺ってもよろしいか?」
「友人だよ。先日はちょっとした問題をアテムと一緒に解決した」
ユーヤは相手の声はもちろん、視線や指の動き、体重のかけ方までじっと観察しながら話す。
「ホテルに兵士を入れたことは申し訳なく思ってる。先ほど、この部屋に賊が入ったんだ。だからアテムも警戒してる」
「賊が……? そ、それは、ご迷惑をお掛けした。しかしこのカルデルドニスの長い歴史で、賊が押し入ったことなど一度もないのです、が……」
シャザナード氏は、自分はどういう立場で受け答えすればいいのか混乱している。急に連行されるという理不尽な扱いを受けた被害者か。それとも国王に関連する人物から尋問を受けるという一市民か。あるいは何らかの形での責任者なのか。
むろん、そのような曖昧な状態に置いているのもユーヤの狙いである。
嘘をつく、というのは人間の知的活動の中でもかなり高度な行為であり、自分の立ち位置を計算し、状況を分析しながら嘘がつける人間はそうはいない。
その上で、ユーヤの理性が告げている。この人物は無関係であると。
(……嘘はついていない。この人は襲撃者のことを何も知らない)
(あるいは彼もまた百戦錬磨、海千山千の怪物であり、完璧に感情を隠せる……?)
(いや、そもそもアデルシャハト氏にもそんな気配は感じなかった。ただ仕事に誠実な、好々爺の貫禄が宿りつつある老紳士としか見えなかった……)
分からない。と心の中でつぶやく。もう何度目かの言葉であろうか。
ひとまず人物の分析については保留するしかなかった。ユーヤは当初の目的に沿った質問をする。
「実は、僕たちはアデルシャハト氏がかつて見せたという「奇跡」について調べている。その当時の映像も見せてもらった」
「ああ、その件ですか……」
シャザナードは、おそらくその話題については何度も聞かれたのだろう。一種の慣れがペースを取り戻すきっかけになったらしく、背筋を伸ばしながらもユーヤたちにわずかな値踏みの視線を投げる。
「カイネル先王も……いや、王籍を奪われておるのでしたな。カイネル様も何度も私に尋ねられました。総支配人のあの記憶力は真実であるのか、と」
「カイネル氏にしたのと同じ答えでいい、聞かせてくれ」
「もちろん、疑いもなく真実ですとも」
老紳士は、おそらくアデルシャハトよりわずかに年上と思われる人物は断言する。その目には敬意の光が見える。
「それは、アデルシャハト氏がそれほどの記憶力を持っていると思うから?」
「というよりも、総支配人がイカサマをしたり、嘘をつくとは私には信じられないのです」
ユーヤの目を正面から見る。あるいはそれは、いささかの咎めの色もあっただろうか。老紳士は重ねて言う。
「あの方ほど仕事に誠実で、無私の精神を持つ方はおりません。確かに口さがない連中は事業の拡大が性急だとも言っております。しかしそれは、ホテルの従業員たちの優秀さを信じているからに他なりません。事実、厳しいと言われたパルパシアでも現在のところ黒字を維持しているのです」
「……聞きたいのはそういうことじゃない」
話がアデルシャハト氏への称賛に流れると止まらなくなる。それを危惧して強引に話を引っ張る。
「聞きたいんだが……あなたはアデルシャハト氏の自宅を訪れたことはある? 彼の個人的な部屋があると思うけど、そこに入ったことは?」
「ふむ、数え切れぬほどありますとも。酒を酌み交わしたり、時にはホテルの経営について話し合ったり」
「家具の位置を変えることはあった?」
「? ええ、そうですな、年に一度ぐらいは変えていましたが」
「……それは、間違いなくそうと言える?」
「質問の意図が分かりかねますが、ホテル経営者ともなれば調度への造詣も深くなければなりません。ハイアードやパルパシアから輸入した家具を用いたり、遠くはヤオガミの書画なども飾っておられました。新しい家具を入れると、それについて詳しく語ってくれたものです」
「アデルシャハト氏はホテルまでの通勤ルートを変えることはあった?」
「は……? ええと、そうですな。近くにできた飲食店などに寄ることもありますし、ほとんど毎日変えていると聞いております」
「……決まった飲食店に通い続けていた、ということはある?」
「いいえ、ありません。ホテルというのはお客様から飲食店を尋ねられることが非常に多いのです。そのため、受付業務の者は近在の店に足しげく通います。行ったこともない店を勧められませんからな」
シャザナード氏は質問の意図をまったく理解できないでいたが、そこはホテルマンというべきか、少なくとも怪訝な色、というものは抑えている。
「……何度も読み返している本、常に飾られている絵などはある?」
「私の知る限り、そういうものは無いと思いますが」
「そう……」
尋問は混迷を深め、夜の昏さは冥府の色。
ユーヤは、どこか落ち着かない自分を感じていた。
事態の輪郭が見えない。アデルシャハト氏の全貌が見えてこない。あるいは、見えているものと耳にするもの、心に感じるものが少しずつズレてくる。
(分からない……)
何が起きているのか。この違和感の正体は何なのか。
この夜は、果たして終わるのだろうか。踏み込んだ混沌から、帰ってこれるのか――。




