外伝 記憶の森と鉄樹の花 5
「ユーヤよ、それでどんな技を見せてくれるのだ」
「ああ、じゃあ誰か、回答用の黒板を一つ、いや二つ頼む」
「ご用意してございます」
斜め後ろからさっと差し出すのは水色リボンのメイドである。彼女はセレノウのメイドたちの副長だと聞いているが、そうして控えているとユーヤですら存在を忘れそうになる。目立つ人物の多い上級メイドの中では珍しい存在だろう。裏方に徹するとか、黒幕とか、そんな言葉が浮かぶ。
「じゃあコゥナ、30桁の数字を一つ書いて、書き終わったら僕に見せて」
「ん」
何事かと他の客たちも集まってくる。ユーヤは基本的に目立つことを好まないが、どうもこの場のすべてがアテムのペースで動いている気がする。王族にとって、十数人に囲まれるなど目立つことに入らないのだろう。
「できたぞ」
さっとコゥナが裏返す、そこには。
3819275312
6125739081
263792701327
「……」
アシカ、城門、テキーラ、縄跳び、生卵、石ころ、注射、イカリ、城門、カンガルー、そして27)
ユーヤは5秒ほどで後ろを向いてしまう。そしてかりかりと文字を刻む音が。
(アシカが城門の隙間から見るとテキーラを飲んで縄跳びをしてる人がいた。生卵を踏んで失敗し石ころを投げられる。酔っていたので注射されてイカリにくくりつけられ城門の外に出される。カンガルーが通りがかって……それからええと、数字の27)
「できた」
果たしてユーヤが示す数字は。
3819275312
6125739081
263792701327
取り囲んでいた観客は両方の数字を見比べ、そして散発的な拍手が起き、やがて割れんばかりの歓声に。
「おお! 素晴らしい! すべて合ってますな!」
「お見事ですわ! これは記憶術というものですの?」
「いやあ大したもんだ、写真のように一瞬で記憶してるんだねえ」
「うーむ、なるほど」
「32桁あるよねコレ……まあそんなわけで、これも記憶術の一つだよ」
「うむ、ちょっと揺さぶってみたかったのだ。今の技は……」
コゥナは黒板を食い入るように見て、そしてびしりと指さす。
「最後の2桁だけは考えて書いていた。おそらく3桁刻みで覚えている。これはつまり、3桁の数字をすべて覚えている。そうだな?」
「そう、その通り」
記憶力を競う競技、メモリースポーツという世界がある。
トランプの並び、人間の顔、そして数字などを覚える競技だが、その中で開発された技術の一つである。
すべての3桁の数字、000から999まで特定のイメージを当てはめて記憶する。覚えるべき数列を3桁ずつに分け、イメージとして並べる。そしてイメージを使って物語を組み上げる。ストーリー記憶と言われる手法である。この技術によって数列の暗記を行う。
「人によってやり方に違いがあって、2桁ずつ、100通りのイメージを持つ方が早く覚えられるという人もいる。僕は3桁で練習した。だいぶ久しぶりだったけど、まだできたみたいだ」
「確かにそれも優れた技術だ。初めて見る者にとってはまさに魔法だろう」
だが、とコゥナは斜めに構え、頬に沿って人差し指を立てる。
「それは競技としての記憶術だな? 短い記憶を瞬時に焼き付けるという技術だ。おそらく先ほどの数字はもう思い出せぬだろう。アデルシャハトの見せたという「奇跡」とはまるで格が違うぞ」
「確かに」
メモリースポーツにおいては、覚えておく技術と同時に忘れる技術も重要となる。今の数列、そこから変換されたイメージは、すでにユーヤの中から失われている。競技終了を忘却のトリガーとして組み込んでいるからだ。
「僕が言いたいのは、記憶力は鍛錬が可能ということだよ。それは人生を歩む姿勢だ。出会った人、新聞や雑誌で見た顔、それを忘れまいと心がけていれば、覚えている期間はどんどん長くなる。あるいは一生でも覚えていられる。その可能性はあると思う」
「うむ、コウナ様も可能性まで否定しているわけではないが……」
ユーヤとしても、今の技で皆を納得させられるとは思っていない。
(そもそも再テストができないなら、アデルシャハト氏の記憶力を証明するというのは無理がある)
ユーヤができることは、自分なりの記憶術を皆に伝えること。そして人間の記憶の可能性を示すこと。アデルシャハト氏の記憶力も、その延長線上にあると納得してもらう、そういう筋書きになるだろう。
時間もある。じっくりやれば良いと考えると、ふいに空腹が意識されてきた。
「ところで何か食べようか。おなかも減ってるし」
「うむ、色々あるぞ。コゥナ様も相伴してやろう」
見れば、立食パーティの割に豪華な印象は少ない。血のしたたるような肉だとか、華やかなゼリー寄せとかではなく、シンプルなパスタであるとか、そば猪口のような容器に入ったサラダ。燻製肉の薄切りを乗せたクッキーなどだ。粗食を美徳とするシュネスならではだろうか。
「うーむ素朴だな。ユーヤよ、もっと珍しい食べ物が良いのではないか。そういうのを食べ歩くのも役目のうちだろう」
「いや、どれも珍しいんだけどね。この国の料理は何も知らないから」
「アテムの料理が出来るのは明日になるからな……。主催は黒太子どのだから、豪華な料理を作らせるのも例を失するというもの……よし、そーゆーことならコゥナ様が手料理を振る舞ってやろう」
「え、コゥナ料理でき」
口をつぐむと同時に、コゥナがぎろりと真上を振り向く。正面にいたために真上に振り返るような塩梅である。
「ユーヤよ、いま失礼なこと言おうとしなかったか?」
「いやまったくそんなことないよ」
「ふん、森の戦士にとって料理などできて当たり前。森の中では狩人同士で助け合うが、一人で何でもできてこそ助け合いの輪に加われる、それが森の掟だ。ユーヤも心しておくがいい」
「はあ」
「そこの者、フクロバチの巣があるだろう。水槽に浸けたまま持ってくるのだ」
「かしこまりました」
そしてしばしの後。がらがらと運ばれてくるのはガラスの水槽である。中には球体が沈んでいる。ゴムまりのような質感の、半透明の膜に包まれた蜂の巣のようだ。ユーヤが尋ねる。
「これ何なの?」
「フクロバチの巣でございます。大型のものでして、通常はスープの材料となります。水に塩を混ぜておりますので、内部の蜂は死滅しております」
「うむ、スープにしても美味いが、森の民には違う食べ方がある。ヒランヤ・ダブ、一握の黄金という名の料理だぞ」
またもや見物人が集まってくる。どうもその手の余興はあちこちで行われているらしく、めいめい勝手に手品を披露したり、楽器を演奏したりしている。この世界のパーティの過ごし方というものは緩やかで自由だ。
「よいかユーヤ、フクロバチとは水中に巣を作る蜂だ。その巣房には水生の蜂が住んでおり、蜂の子どもが食べる特別な食料がある。働き蜂が小麦の粒を集めてきて、女王蜂が噛み砕いて唾液と混ぜたものだ。それを大人の蜂たちが体温で発酵させ、パンで言うなら一次発酵の状態にある」
「へえ……ローヤルゼリーとか、熱殺蜂球とか、要素要素は僕の知ってる蜂にもあるけど……」
「巣の中では水に浸かった状態だが、空気に触れるとすぐに炭化してぼろぼろになってしまう。強烈な自己脱水反応によるものだ」
「そんなの食べて大丈夫なの?」
「硫酸などと違って無害なものだ。だがそのままだと食えぬ、だからこうする」
コゥナが水槽に腕を突っ込み、半透明の膜を指で破り、さらに奥へと腕を入れる。
巣房を構成する蝋蜜を指でかき崩し、手首から肘へと腕を入れる。水槽は深さ60センチほどの大きなもので、蜂の巣からは蜂の死骸がこぼれて浮かんでくる。
「もしかして、手探りで女王蜂を?」
「女王蜂の寝室の位置はだいたい共通している。だが食料はきわめてもろいからな……よし、これだ」
がらがらと音がして、背後を見れば今度は透明なボウルが運ばれてきている。ボウルは液体が注がれており、ふちが曇っているからお湯だろうか。蜂蜜が混ぜてあるようだ。
コゥナは上半身を突っ込む勢いで蜂の巣を探っていたが、ある一瞬に目を細め、後方に飛ぶような勢いで腕を引き抜く。大量の水がフロアに散る。
「湯を持て!」
引き抜いた腕を、そのまま湯の中に入れる。両手を重ねてぐっと握り、待つことしばし。指のすき間から金色の物体が漏れている。
「よし! できたぞ!」
さっと引き抜いて手を開けば、スポンジのように広がる金色の物体。しゅううと音がして、ふつふつと泡が出ているのは自己脱水反応というものだろうか。
周りからはわっと拍手が上がった。
「すごいすごい、できるとは聞いてたけど初めて見ましたわ」
「いやあ、素晴らしいお手並みですなあ、今どきは素手でこれを作れる者もおりませんので」
「ふふん、父上からじきじきに習った技だぞ、さあユーヤよ、食べてみるがいい」
「う、うん」
正直なところ、見た目がいい料理とは言えない。素手でこねくり回した謎の物体である。
黄金色で弾力があり、パンというよりは金団にも見える。確かに小麦と蜂蜜の香りはするが、素材そのままが過ぎるという印象である。
大きさは一口大。食べてみると確かに甘く、噛み応えがある。唾液と混ざってくると全体がほぐれて、自然に飲み込んでしまう。喉の奥から蜂蜜の香りが立ちのぼる。
「うん、美味しい……のかな? 一瞬で飲み込んじゃったから分からなかった」
「それでいいのだ、すぐに来る」
「来るって何、が」
熱が。
体の内側から弾けるような熱が昇ってくる。ケーキを何個も食べたようなカロリーと、サプリを数十粒まとめて飲んだような目の冴え。しかし同時に全身が清々しい。血管に谷川の清水を流されるような爽快感。眼球が凍りついて脊髄が燃えるような感覚。
「お、ぐ……す、凄い、これ強壮剤なの? こんなの今まで食べた、こと」
「その感覚は1分と続かぬ。食べた瞬間だけに訪れる高揚と覚醒だ。もちろん危険な成分など入っておらんぞ」
全身の興奮と清涼感はすぐに去り、次に意識されるのは視界深度である。目がぱっちりと開いてあらゆる景色が目に入ってくる。20時間もぐっすり眠っていたような。目の周辺にたんねんなマッサージを受けたような感覚。
そして下半身には弛緩が来る。筋肉がほぐれてその場にしりもちをつき、すべての足の指が独自の生き物になったかのようにうごめく。膝が笑っており、顎が震えて奥歯がかちかち鳴っていた。
「うーむ……ユーヤよ、とんでもなく疲れていたようだな。ここまでよく効くのは初めて見たぞ」
「あ、あまり自覚はないんだけど、そうかも」
脇の方では、フクロバチの巣が切り分けられて熱湯の鍋に投じられていた。これからスープが作られるらしい。
この世界の「味」にはさんざん驚かされてきたが、栄養価であるとか強壮作用にも途轍もないものがありそうだ。ようやく身体感覚が戻ってきて、ゆるゆると立ち上がる。
しかしこれは料理なのかな、という疑問は浮かぶが、それは黙っていた。
「さてユーヤよ、いいものを食べたところで次は何を調べる」
「そうだね……やっぱりアデルシャハト氏の見せた「奇跡」の場面を確認するべきだよね。祝賀の宴だったそうだけど、録画とかないのかな」
「ユーヤ様」
と、そこで初めて出現したかのように、存在感を出して声をかけるのは水色リボンのメイド。彼女は常に複数人のメイドを引き連れているが、そのメイド軍団はタオルでコゥナの水気を拭いていた。
「アデルシャハト氏が「奇跡」を見せたという祝宴の場面、アテム氏の側近より記録体を受け取っております。ご覧になりますか」
「ああ、あるのか、じゃあ確認しないとね」
「うむ、コゥナ様も見るぞ」
ふと煙突のある方を見れば、アテムは釜のそばに立って数人と話をしている。差し出される書類にサインをしているようだ。何らかの裁可であろうか。
アテムは常に忙しく、それでいて自由であり、政務のこともユーヤたちのことも忘れない。大した手腕だと感心する。
「僕の部屋で見よう、コゥナも来てくれ」
「うむ」
※
かつてパルパシアで王族向けのスイートに泊まったことはあるが、そこは家具の豪華さと飾られた絵、清潔などで特別感があった。
今回の部屋はとにかく広く、何もかもが多い。
天井までの高さはおよそ10メーキほどもあり、寝室は3つ、談話室と、ユーヤにはよく分からない遊技台の置かれた部屋が1つずつ。プロ並みの台所もあり、妖精で冷やす大型の冷蔵庫には食材がいろいろと入っている。その割に調度は飾り気がなくシンプルなものだ。お国柄の違いと言うものか。
部屋の大きさには驚いたが、それに気を取られてばかりもいられず、ともかく藍映精で映像を見る流れとなる。
祝宴の席である。大勢の人間に囲まれて、ユーヤの記憶より少し若いカイネル前王、同じく少しだけ若く、髪色も黒みを残しているアデルシャハトが受け答えをしている。
手違いにより現れた予期せぬ人物、その人物の名を答えてみせたアデルシャハト、カイネル前王からのいくつかの質問、驚愕に包まれる場の空気、聞いていた通りの流れである。
「ユーヤよ、どう思う?」
「おかしな部分はない……と思う」
一つ気づいたことがある。アデルシャハト氏は口を閉じている事が多い。
先ほど会った時もそうだった。ホテルの受付には口を大きく開けてはきはきと喋る者が多いが、アデルシャハトはあまり口を開けず、腹筋を動員することで声量を補っている。
(もちろんアデルシャハト氏は高齢だから、口を開けずに喋る方が威厳があるとも言える。何かしら意味を見出すなら、秘めたることがあるとか、本音を腹にため込んでいる構え……? 喋り方だけでそこまで断言するのは言い過ぎだけど……)
ユーヤは食い入るように映像を見ている。もちろんアデルシャハトだけではなく、彼に合図を送っている何者かがいないか、どこかにカンニングペーパーでも仕込んでいないか、なども。
「そこのメイド」
コゥナが小声で呼ぶ。リトフェットが反応する前に言葉を重ねる。
「返事はしなくていい、コゥナ様が弓を撃ったらすぐに妖精を止めろ」
「え、コゥナ何を――」
ユーヤが言いかける瞬間。コゥナが真横に飛び、置いてあった矢を掴む。達人の太刀筋のように目に残る残像。矢筒から矢を抜き、弓の中央を持って引き分け、撃たれるまで1秒もない早業。びゅんと飛ぶ弓が妖精の生み出す幻影を抜け、ガラスの割れる音がして、リトフェットが妖精を掴んで映像を止める。
世界が戻ってくる。スイートルームの談話室。割れたガラス窓。そして隣の部屋からの破砕音。
「待て!」
コゥナが駆け、わけもわからずユーヤも後を追う。
そこは寝室の1つ。この部屋でもガラスが割れている。外側にはホテルの庭があり、芝生の上にガラスが散乱していた。
「うーむ……素早いな。寝室の窓は内鍵がかかっていたはず。やはり部屋の入り口から入ったか……?」
「コゥナ、何があったの」
「誰かがいた。妖精の生み出す虚像の向こう側に」
「誰か、が……?」
「この一件、穏やかに終わらぬかも知れんぞ」




