外伝 記憶の森と鉄樹の花 4
アテムが足を止める。
「意見が割れたようだな」
「え……」
ユーヤは、彼にしては珍しいほど明確に戸惑いを示す。コゥナと意見が分かれたことよりも、なぜコゥナがそんな見方をしたのか理解できなかったためだ。
「コゥナ、なぜそう思うの?」
「ランジンバフの森には「白背」という言葉がある。仕留めたカワグマの毛皮は最初は白いが、蓑として使い込むうちに植物の汁や獲物の血などを吸って黒ずんでいく。完全に黒くなった毛皮はオオマダラグマの爪も通さぬほど硬くなる」
「うん?」
「白背とは正面は黒いが背中側はまだ白い、未熟な狩人がベテランの狩人に紛れている状態を言う。つまり身の丈に合わぬ狩場に来ているということだ」
「コゥナ姫よ、アデルシャハト氏が未熟者だと言われるのか」
「コゥナ様はそう感じた。あの人物について見極めるという話だったからな、たんねんに観察していたぞ。あの男はどことなく未熟、未達な印象がある。少なくとも50年もカウンターに立ち続けたプロ中のプロとは思えない。それに、はっきりとおかしな点もあった」
「コゥナ……その、おかしな点というのは?」
ユーヤは仕事上、他のスタッフとバチバチにやり合うこともあったが、基本的には自分の仕事だけに専念したい人物である。避けられるなら対立を避けるし、軋轢があれば消耗もする。
だが今の彼にはそれ以上に議論への忌避が見える。それはひとえに、アデルシャハトという人物についての悪評を聞きたくないからだろう。
コゥナはアテムとユーヤを交互に見て、そして真横に指を伸ばす。
「そこのメイドだ」
示されるのは水色リボンのメイド、リトフェット。ユーヤの隣に半歩遅れて控えていた。
リトフェットは一瞬きょとんとした顔をして、そして頭上にある明かり取りの窓を確認し、さっと動いて眼鏡を光らせる。
「私、でございますか?」
「アデルシャハトはこのメイドの顔を一度も見なかった」
言われて、ユーヤを含めて数人がはっとなる。
「侍従とはいえ珍しいセレノウの人間、明らかに上級メイドだ。シュネスのすべての人間を覚えていると豪語する人物が、侍従の顔に一度も注意を払わないのはおかしい」
「待ってくれコゥナ、人間には周辺視野というものもある。見てないようでも、十分に顔を把握してるのかもしれない」
「ユーヤはどうなのだ。お前がもし人間の顔を記憶しておく必要がある職業なら、一度はきちんと正視しようと思わないのか」
「それは……」
おそらく、自分なら顔を見るだろう。実際、これまでに仕事上で出会った人物や、クイズイベントの参加者などはかなり覚えている。顔を覚えようとはしないまでも、会ったその瞬間には顔を正面から見ている。それは無意識的なものだ。
では、アデルシャハトはどうだったろうか。
(……分からない。ずっと見ていたつもりだが、リトフェットの顔を見た瞬間が、あったかどうかまでは……)
「なるほどな」
意識的に明確な発音を行い、場を締めるのはアテムである。
「まあ、まだ結論を出すのは早かろう。余は料理の準備をする。2人は部屋を確認しておくがいい」
「ああ、うん」
「よし行くぞユーヤよ、コゥナ様も高級ホテルのスイートとやらを見ておきたい」
コゥナは意見の対立など気にした様子もなく、大股で歩を進める。ユーヤは少し遅れて後に続いた。
※
それからしばし。
西に傾いていた太陽が砂漠の彼方に落ち、星が夕空のヴェールを剥ぎ取られて姿を見せる。風が砂地から熱を奪い、鳥も獣も己の巣へと戻る頃合い。
宴会場とはホテルの裏手側、四角くせり出した空間である。このホテルは横から見ても真上から見ても「凸」の形状をしているらしい。
ユーヤがそこに入ると、満天の星空が目に入る。
「すごい……天井がガラス張りになってる」
格子状の鉄枠にガラスがはめられており、その向こうでは制服を着たボーイたちがガラスを磨いている。宴会のために砂を払っているのだろう。
そして広い。小さな飛行船なら丸ごと入るだろうか。夜会ならばかるく千人は参加できそうだ。
「ねえ君、あのガラスはその……特別な作り方をしたガラスなのかな」
ボーイの一人を呼び止めて聞いてみる。
「いいえ、あれは自然石でございます。大深度坑道から産出される水晶です。非常に強度が高く、割れる際も粉々に割れるので安全性が高いのですが、加工が難しく希少なのです」
「水晶なのか……すごいな、それをあんなにふんだんに」
「カルデルドニスの投資によって鉱山が開発されまして、新たな加工法なども影響して産出量は増えております。現在では各国に輸出されておりますが、まだまだ実物を見る機会は希少かと存じます」
「わかった、ありがとう」
ボーイがそこまでの見識を持っていることに感心しつつ、会場を歩く。スタッフは忙しく立ち回り、あちこちで立食テーブルや花飾りなどが用意されている。
すると、ひときわ人の集まっている場所があった。ホテルのボーイもいれば軽鎧を着た兵士風の者や、いかにも貴族風の、刺繍と宝石で飾られたドレスの人物もいる。
中央にいた人物はアテムである。誰かと話をしていたが、ユーヤを見つけて手を挙げる。
「セレノウのユーヤ、こっちだ」
するとアテムの周りの人間はさっと広がり、ホールの入り口の方へと歩いていく。
「何してたの?」
「釜の準備ができるまでの政務だ。余の裁可が必要な案件を片付けていた」
「アテム、忙しいんじゃないの?」
「余は自由な時間を持てぬほど忙しくあるべきではない。王宮の組織もそのように作っている」
そう簡単に言って、場の中央にあったものを指し示す。
「それより見せておこう。これが直塔式の大釜だ」
人間よりも背の高い、銀色の怪物が鎮座している。
それは全体がセラミックのように輝いている、中央がふくらんだタル型の釜である。料理を入れる大きめの扉と、その下に薪を入れるらしい小さい扉がある。ダルマストーブという言葉が浮かぶ。
その煙突は真っ直ぐ真上に伸びており、15メーキほど上の天井に張り付いている。見れば一箇所だけ天蓋の水晶が外されており、そこから煙突が突き出ていた。
「これ鉄の釜みたいだけど、鉄がこんな銀白色ってことは新品なの?」
「いや、この釜はかなり使い込まれているな。カルデルドニスのレストランで使っているものを運んだらしいが、おそらく専門の職人が磨いているのだろう。シュネスでは釜が黒ずんでいることを嫌うのだ」
脇ではすでに牛が吊られている。皮を剥がれて半身に裂かれた枝肉というものか。大ぶりなナタを持った職人が肉を部位ごとに切り出している。
「ユーヤは珍しいものを見るのも仕事なのだろう? ならばこれは見ておくがいい。シュネス名物のガーナード。あばら肉の燻製だ」
「燻製か、いいね」
「そして薪はこれだ。シュネスでは黄弊という」
見れば、複数人の女性がテーブルで作業をしている。薄黄色の板状のものを木槌で叩き、伸ばしたなら2つに折りたたんでさらに叩く。それを繰り返す。
そして鼻に届くのは、濃厚な蜂蜜の匂い。
「あれって蜂蜜……いや、巣板だよね。養蜂で使うやつだ」
「そうだ。四角い板枠の中で、ミツバチが蜜蝋を分泌して作るものだな。加工すれば蝋燭にもなるし、ある種の蜂の巣板はゆるやかに燃える」
「でも確か、用意するのは炭だって」
「炭だぞ。ああして叩いたものを金属の缶に入れ、空気穴を小さくして燃やすと2時間ほどで炭ができる。市販のものもあるが、その場で作るほうが香りが鮮烈なのだ」
「2時間」
目をしばたたく。
「あの、じゃあバーベキューっていつできるの?」
「メインの料理は明日の朝7時の予定だ。シュネスには最高の肉料理は朝食に味わうべきという考え方がある」
「そ、そうなんだ……」
まだ日が沈んだばかりである、懐中時計を確認したが、18時を少し回ったところだ。ではアテムは12時間以上も料理を続けるのだろうか。
「陛下、準備整いましてございます」
「よし、取りかかれ」
アテムの指示で、上半身裸の筋肉質の男たちが現れる。使うのは刀のように長い包丁。アバラ肉を解体していき、骨付きのリブロース、アメリカならトマホークと呼ばれる形状に切り分ける。
それを上側の扉から投入。内部はすでに熱くなっており、背景が歪むような熱気が流れ出る。
そして下側の扉。こちらにはシュネス側のメイドが2人待機し、黒いサイコロ状の炭を投入する。
ふわりと、広がるのは蜂蜜の香りである。それと焦がした樽のようなスモーキーな香り。バニラやキャラメルのような印象もある甘い香りが来る。釜は完全に密閉されているようで、扉を占めると香りは消えた。
「いい匂い、すでに黄弊ってやつで予熱してたんだね」
「そうだ、釜の中の温度を110度から120度に、肉の全体を80度前後に維持する。それよりユーヤよ、上を見るがいい」
指を向ける。ユーヤが上方を見れば、天蓋の向こうに突き出した煙突。白い煙を吐いており、そしてきらきらと、宙に舞うアルミ箔のような光のまたたきが見える。
「何か光ってる」
「黄弊の出す煙は蜂蜜を含んでいる。その蒸気が妖精を呼ぶのだ。媒体が無いから雑多な妖精しか来ぬがな。美しいものだろう?」
その光は天蓋の上をゆるゆると這い、白いきらめきの軌跡を残す。天の川のような、イルミネーションのような、それよりももっと柔らかく幻想的な光。見たこともない光のパターンが幻想的な印象を残す。
「確かに、とても美しいね」
「さて、あとはこのまま朝まで温度を管理し続ければよい。火の番人はみなプロだ、心配はいらぬだろう」
では、アテムは何をするのだろう。
そんな疑問が浮かんだが、それはあまり適切な疑問ではない気がした。王がここにいるのだから、出来上がる料理はすべて王の手料理、王様の朝食とはそんなものかも知れない。
「ユーヤよ、ここにいたか」
やってくるのはコゥナである。
ユーヤはふと気づく。今はあのアーチ型を描く羽根飾りを身につけている。赤紫、茶色、黄色などで構成される鮮やかな尾羽根であり、コゥナの存在感をさらに引き上げている。
「前から聞こうと思ってたけど、頭の羽根飾りがあったりなかったりするのって決まりがあるの?」
「うむ、羽根飾りはランジンバフの森に生きる者の誉れを表す。よって誉れ高き場では身につけ、そうでない場所では外しておくのだ」
「誉れというと」
「気合を入れるぞ、という時につける」
「…………」
「ま、森ではないのだ、自由にやればいいのだ」
「はあ」
決まりがあるようで無し、忙しいようで自由に過ごす。
何もかも自分で出来るようでもあり、大勢にサポートされているようでもある。
この世界の王族というものと、ユーヤの持つ王様のイメージはなかなか重ならない。それもまた、楽しくもある。
「それでユーヤよ、その後どうなった」
「何人かと話はしたんだけどね」
一度アテムと別れ、めいめいの部屋を見てから今まで、ユーヤとコゥナは適当な従業員をつかまえて聞き込みを行なった。清掃の者、ベルボーイ、荷物係にメイドにも。
「僕の聞いたところだと、アデルシャハト氏の評判は極めて良好だ。面倒見も良いし頼れる存在だとみんな口を揃える。奇跡の記憶力についても、総支配人ならまったく不思議ではない、と」
「そうか? コゥナ様の聞いた話は少し違うぞ。剛腕で辣腕、商売の拡大を躍起になっていることに不安もなくはないとな。カルデルドニスの系列店はここ3年で4つも増えている。福祉のみならず鉱山や工業への投資も増していて、それはホテルの理念に沿っているのかと疑問もあるようだ」
「そうなの?」
「特にパルパシアの双子都市に出店したことには反対もあったらしい。あそこは宿泊業と観光業においては鉄の牙城と言われている。他国のホテルが出店した例はあまりなく、出店しても短期間で撤退することがほとんどなのだ」
「ああ、それは何となく分かるかも……」
かのパルパシアの双子都市。広告とドレスが極彩色を描く都市。下層にてはマフィアが実権の根を伸ばし、それを上回る支配の根を伸ばすパルパシア王家。他国からの経済進出が容易でないのは想像に難くない。
あるいはユーヤとコゥナが聞いた話はまったく同じなのかも知れない。ちょっとした聞き方一つ、言葉の受け止め方一つでここまで変わるのか。
ユーヤは、自分は過度にアデルシャハト氏を肯定しようとしていないか、話にバイアスをかけていないかと内省する。そういえば鉱山に投資しているという話は先刻、ボーイからも聞いた。無意識にそんな話を切り捨てていたのだろうか。
そうして振り返ってもなお、アデルシャハト氏に悪い印象は持てないのだが。
「……ここ数年で、特に商売の勢いを伸ばしている。ということだね」
「そうだ。きっとカイネル先王どのも不安だったのではないか? アデルシャハトがだいそれた野心を持ってないかとな。そうして見れば祝賀の宴での「奇跡」というのも納得できる。アデルシャハトは自分の力を誇示したのだ。自分は人間を超えるほどの力を持っているとな。コゥナ様もそんな男は何度か見たぞ。巨大な獲物を持ち帰るとか、弓を持たずに森へ入って生還を果たすとかな。そういう力を示したものは族長への道が開ける」
「…………」
経済についてはユーヤはまるで分からない。あの双王なら分かるのだろうか。あるいはアテムなら。
「……いや、そうじゃない」
「うん?」
「経済の話は僕のやることじゃない。僕に求められてるのはクイズに通じる者としての意見だと思う。アデルシャハト氏が見せたという奇跡の記憶力、それが真実だったのかが第一の問題だ」
「うむ、確かにそうだ。人物面についてはコゥナ様とアテムで進めよう」
そこで、コゥナはふいに興味深げな目をしてユーヤを見上げる。
「それでユーヤよ、まずイカサマの可能性を考えねばなるまい。ユーヤは知っているのか? 記憶力の試練で、何らかのイカサマが存在するのかどうか」
「いくつかは……じゃあコゥナにも見せようか。僕の知っている技を」
いつの間にか、場には来客らしき人々が増えている。上流階級の市民なのか、それとも貴族なのか、みな正装しており、アテムへの挨拶に行列ができている。
夜の宴は特に挨拶もなく始まり、楽しげな気配がユーヤたちとは無関係に生まれている。
星と妖精が、天の高みでまたたいていた。




