外伝 記憶の森と鉄樹の花 3
※
過日。
その時代、その出会いは記憶の宮殿の深奥にある。何重にも封印され、折に触れて思い出すことも稀な、水底の遺跡のような記憶。
「今の問題は」
自分の声に驚く。無意識的に出た声だった。七沼遊也は記録係であり、カメラに声が入らないように黙っている必要がある。慌てて口を押さえて三脚にしがみつく。
「正解! 優勝は平田さーん!」
レンズの向こうではミニ大会が行われている。複数の大学からクイズ研が集まっての競技会である。
レンズの中では時間が早く過ぎるような気がする。大会は終わり、何人かは片付けに、何人かは感想戦を行っている。
「七沼先輩、途中で何か言われてました?」
後輩の女子が問うてくる。
「いや……14問目、昔なんかの本で読んだような」
そう言うと、後輩は少し左右を見てから一歩近づく。
「七沼先輩もそう思いましたか! 実は私も、6問目とか、ええと仮面ライダーストロンガーの問題って聞いたことあるような気がしたんです」
「それは11問目だったかな。まあクイズ界で生み出される問題の数は膨大だからね。双子のパラドックスみたいなもので、偶然似たようなものが出るのも珍しくないけど」
そこへ、他大学の生徒もやってくる。
「いや、実は以前からなんだよ、それ」
すべての問題は主催である大学が作成したものだ。七沼はまだ問題集は見ていない。配布があるとの事なので、最後に貰って帰ろうと思っていた。
「この大学ね、例会はすべて新規問題と謳ってるけど、既出の疑いがあるものが多い。問題文が完全一致することも何度かあった」
「……」
「クイ研が全員で作問しててその持ち寄りらしいけどね。一人か二人、やらかしてる子がいるんじゃないかな」
「それで……」
場面は移っている。大学近くの商店街を歩きながら、七沼は隣にいる人物の言葉を聞く。
「七沼くんは、どうするの」
「別に、何か頼まれたわけじゃないけど、気になってて」
商店街の通路は狭く、学生が多く歩いている。
小さな商店がひしめく空間では、時間とか時代というものがぐっと圧縮されるように思える。歩く人々は入学から卒業までのあらゆる時期を体現し、商店は時代の変遷を象徴する。ワゴンを並べて活気があった店は、いつか隣の店のようにシャッターを下ろすのか、そんなことを思う。
「でも仕方がない部分もあるんだ。クイズで問われる言葉は、この世界の「知識」に比べればずっと狭い範囲だからね。大人数が作問に取り組めば同じ言葉が問われることもある」
「そうなの?」
「クイズ研にはそういう事にこだわる人もいるんだ……特に時事問題なんかは」
「時事問題……みんなが今日の新聞に載ってる言葉で問題を作るとか、そういうことかしら」
「それだけじゃなくて、紙面上の用語解説の文章をそのまま使ってたり、「現代用語の基礎知識」を丸写ししたりね。そういうのは突っ込まれることもあるよ」
「そうなのね」
淡い影である。
色素の薄い肌、白い帽子、街路樹に緑を吸われたような萌黄色のワンピース。
彼女について思い出すとき、それがいつのことだったか、どの場所でのことだったかは曖昧になる。世に二人といないほど特異な人物であるのに、その気配は今にもかき消えそうだった。時代に、世界というものに飲み込まれそうだった。
「でも、そういうのって、ありふれてるのよ」
彼女は。
日本有数の資産家の令嬢であり、あらゆる知識に通じる王。
草森葵は、指を伸ばして言う。
「あのブティックは」
「? うん」
「レイアウトが去年の春の焼き直しみたい」
「え……」
「今朝の毎朝新聞の俳句投稿欄、右から2つ目のは山口青邨の盗作だった。4日前の中日本新聞には水原秋桜子そのままの句があったよ」
書店の前を通りがかる。草森葵の指は雑誌の一つに向けられる。
「この作家さんは、アマチュア時代に書いた短編のアイデアをアレンジして使ってる。この「明日の弁当箱」の企画、15年前の「主婦の手のひら」でやったものと同じ。当時の「主婦の手のひら」の編集者が「明日の弁当箱」の編集長になってるから、昔の企画を焼き直したのかしら。別に悪いことじゃないけれど」
「そういうのって気づくの?」
「そうね。町中で双子を見かけるようなイメージ」
一気に話して少し気だるい気分になったのか、草森葵はふうと息をついて言う。
「世の中は、これぐらいの期間を置けばみんな忘れるだろう、という約束の上に成立してるの」
「……」
「物語のちょっとした台詞、建物の外観、ダンスの振り付け。別に著作権なんかで守られてないものはどんどん真似すればいい。守られているものでも、誰一人気づかないければ誰の不利益にもならない。少なくとも不利益があることにも気づかない」
「草森さんは気づいたよ」
「私は、世の中に関わりたくないから」
淡い影だった。
触れれば突き抜けてしまいそうな。この世の誰とも関わらず、誰からも気づかれまいとしていた女性。
「私みたいな人は、あまり、世の中に物申さないほうがいいのよ」
「……盗作の指摘は、これから増えるという人もいるね。インターネットがどんどん普及してるし、世界の片隅で、たった一人が気づいた盗作が、またたくまに世界に拡散されてしまうと」
「大変なことだね」
他人事のように言う。実際、他人事なのだろう。世界の流れに対して、草森葵は常に傍観者だった。
(クイズ戦士は、異端の存在なのだろうか)
草森葵を見てそう思ったのか。それとも常に思い続けている事なのか。
(本来は気づかないでいいことに気づく。知らなくていいことを知っている。人間の能力とは平均的で平準化されるべきである考える人もいる。その中で、真に特異なる人はどうなるのだろう)
記憶は薄らいでいく。
それでいて、けして無くなることはない。
場面のかけら、言葉のかけら、草森葵という王の記憶が、純粋な結晶となって残り続ける。あの時代の漠然たる空気とともに、七沼の中に眠っている。
草森葵。
この世のすべてを呑み干すかのようで、何一つ手にすることのなかった王。
(草森さん)
彼女を思い出すとき、その記憶は、物悲しい色に包まれている。
(君には、世界がどう見えている?)
※
そのホテルについて思うことは、何もかもワンサイズ大きいということ。
そこに至るまでの道も、鉄格子の門も、そして入り口も、開放的なロビーも。
涼気がある。
ユーヤはその涼しさに既視感を覚える。どこかで妖精の力を使っているのだろう。
ロビーに入ると白い印象は消えてなくなり、変わりに赤と緑のコントラストが目に入る。床が褐色と鮮紅色のタイル張りになっており、あらゆる場所に巨大な観葉植物が置かれている。壁にはツタが下がっておりそこに大輪の花が咲き、巨大な受付カウンターにもやはりガラスの花瓶が置かれている。
幾何学のタイル模様は何らかのパターンのようでもあるし、抽象的に動物や植物を織り込む場合もあるらしい。モダンであると同時に歴史も感じさせる、洗練されたものだ。
カウンターには男女4人ほどの職員がおり、その背後に立つ人物がうやうやしく言う。
「国王陛下、ようこそカルデルドニスへ」
その人物を見て、ユーヤが真っ先に感じるのは自信である。
身の丈はユーヤと同じく170ほど。がっしりとした体格だが肥満体ではない。肩回りを固く作られたスーツにはボタンが左右に3つずつ、そこに白と赤の飾緒が渡されている。
厚めの胸板、脇腹は垂直にすとんと落ちるシルエット。四角いブロックでできたようなスタイルは円熟味がある。
アテムに対しては胸に片手をあてる礼をしたが、その腕は体の後ろに回される。ユーヤが思うに、これは自信に満ちあふれた人間が見せる姿勢。どんな事にも万全に対応してみせるという鉄壁の構えである。
「しばらくだな。カルデルドニスは変わりないか」
「はい、世に一つとして同じ日はなく、困難のない日もございませんが、懸命に親身に、スタッフの皆と対応いたしたいと思っております」
「うむ……そうか」
そして感情が見えない。
ユーヤが感じるのは純粋なる善意ともてなしの心。それは彼が本当に善の人だからなのか、それとも感情を完璧に隠せる技術を持っているからなのか、ユーヤにもわからない。
「さて国王陛下、本日はどのようなご用向きでお越しでしょうか」
「その事だが、極秘の祝宴を執り行いたい、そのためにここの宴会場を借りようと思ってな」
それはどうやら用意していた理由らしい、よどみなく言う。アテムの褐色の腕がユーヤの肩を引き寄せる。
「彼はセレノウのユーヤという。そちらはフォゾスの大族長の一子であるコゥナ姫だ。ゆえあって仔細は言えぬが、彼らはシュネスにとって大恩ある人物なのだ。そのねぎらいの宴を非公開にて行いたい」
「おお、それはそれは」
アデルシャハトは、ぴったりと撫でつけた白髪を手でなぞり、ユーヤたちの顔をまじまじと見る。
「フォゾスの森の民とはおめずらしい。それにセレノウからのお客様とは、遠い国からのお客様を歓待できますこと、当ホテルの誉れというものです。宴会場ならばちょうど空いておりますが、これからご用意なされるのでしょうか」
「そうだ、余が肉料理をふるまう。ネアの王室牧場より牛を届けさせる。宴会の用意を頼みたい。直塔式の大釜を頼めるか、炭はこちらで用意する」
「かしこまりました。ワインはいかがいたしましょう」
「余のワインセラーから出す。その他の料理を頼む。ごく内々であるから150人規模でよい」
「え、内々で150……」
ユーヤのつぶやきは流される。アデルシャハトは手帳にメモを刻み、その一枚を破ってカウンターにいた職員に渡した。
「すべて問題ございません。客人の皆様にはお部屋をご用意いたしましょう。国王陛下はどうなされますか」
「かかりきりになるからな、余の部屋は不要だ」
「かしこまりました」
150人規模の宴会を用意するにしては、あまりにも最低限に過ぎる会話。しかしアデルシャハトに揺らぎはまったく見えなかった。彼にとっては部屋にタオルを一枚届けてくれ、という程度の事象なのだろうか。
「ユーヤたちの部屋は西翼のスイートだな。荷物係は不要だ、余が案内しよう」
「かしこまりました」
そして一団はロビーを離れ、幾何学模様にタイルが貼られた廊下を歩く。
「アテム、いくら王様でも急に宴会場を借り切るなんて」
「問題ない。カルデルドニスがこの手の要望を断ったことは一度もない。そもそも宴会場が使われる予定があるならロビーに入った瞬間に分かる。パーティの参加者などはいなかっただろう?」
「ああ、そういえばそうかも。あまりにも何もかも大きくて、どのぐらいお客さんがいるかの感覚が……」
それに、とアテムは言葉をかぶせる。
「このような急な要請も初めてではない。カルデルドニスならばどのような要望にも応える。それゆえの信頼なのだ」
「……なるほど」
ユーヤの肌感覚ではそれでもまだ無茶な要求ではある。しかし勝手を知らぬ異世界でのこと、アテムがそうだと言い切るならそれ以上は追求しにくい。
ホテル内はにわかに慌ただしくなる。ベルボーイが、ポーターが、コックコートの前ボタンを留めながら走るコックが、ホテルの西側に向かって早足で移動している。スタッフをかき集めて宴会の用意をするのだろう。
「アテム、宴会なら他の王様も呼ぶのかな。ゴルミーズ王宮にいると思うけど」
「ヤオガミの国主代理どのは祝い事に興じている場合でもないようだしな……。あの人物の護送のための書類が山のようにある。それにラウ=カンの皇妃どのも事務手続きに忙しそうだった」
アテムはそのように言うが、そこには普段の彼らしからぬ消極的な色が見えた。
「……アデルシャハト氏の件、あまり知られたくないのであろうな」
コゥナが耳打ちしてくる。彼女がここにいるのはアテムがカイネルの伝令を受けた時に居合わせたから、突き詰めて言えばそれだけかも知れぬ。むろん、シュネスに起きた事態の打開のためにはコゥナの尽力もあったし、アテムがねぎらいを述べたいのも本当だろう。
(しかし……この事態はどこか薄膜で包まれている。ぼんやりとして曖昧だ)
何か、事態の本質のようなものが中心にあり、それには直接触れないままに解決しようとしている、そんな気がする。
なぜ、カイネルはアデルシャハトの見せた奇跡にそこまで執着したのか。
大勢の人間を使い、かなりの期間をかけて事態を調査したのか。
そしてなぜ、アテムはその調査を引き継ごうとしているのか。カイネルからはたったひと言の伝言しかないのに。
(なぜだろう……アデルシャハトという人物に、一種の危険性を感じたのだろうか?)
(たとえば……実はアデルシャハト氏はシュネスの転覆を目論むような悪党であり、カイネル氏はその危うさに何となく気づいていた……とか)
(その予感が、祝賀の席で見せたという奇跡の記憶力に表れている? ……うーん、どうと話の筋が通らない)
アデルシャハトが悪党であるとか、腹に一物あるとか、ユーヤの受けた印象にそんな気配はなかった。むろん。一目でどんな人間の本質をも見抜ける、などと自惚れているわけではないが。
そして、ロビーから十分に遠ざかったあたりで、アテムが振り向かぬまま言葉を投げる。
「あれがアデルシャハトだ、どう思う?」
その問いはユーヤとコゥナの両方に向けられていると感じた。王族に列せられる2人は顔を見合わせ、そして発言する。
「もちろん、彼は」
「コゥナ様が見たところでは――」
「記憶の王だ」
「詐欺師だ」




