外伝 記憶の森と鉄樹の花 2
各国の王は王室用の八頭立ての馬車に乗り、大通りをゆっくりと進む。
夕刻が近いため街は混雑していたが、馬車の屋根についた宝塔のような飾りを見ると、市井の人々はさっと両側によける。ひざまずく者もいれば、なぜか手を振って飛び跳ねている女子もいる。見送り方に決まりごとはないらしい。
「カルデルドニスか、コゥナ様も噂には聞いているぞ。丁寧な接客と、どんな要望にも応えるサービスが売りらしいな」
「うむ、ともかく一度見せておきたい。さほど遠くもないからな」
馬車の内側は織り目の細かい絨毯とタペストリで飾られており、ユーヤとしてはオリエンタルという言葉が浮かぶ。柄は派手ではないが、ユーヤの知るペルシャ絨毯に似ているが、知識にあるようなメダリオン、マヒ柄、ギュル、ペイズリー、そういう模様は一切見えない。 すべてが異なる歴史、その事実にめまいがする思いだ。
アテムはゆるゆると説明を始める。
「アデルシャハトとは、カルデルドニスの総支配人でありオーナーでもある。シュネス全土に11、パルパシアとハイアードに2つずつの系列ホテルを持つ男だ。宿泊業においては大陸でも屈指の経営者だろう」
「大陸に15もホテルを……すごいね」
「経営だけではない。特に力を入れたのは福祉だ。大陸のあちこちに私設の学校を建てたり、僻地医療に投資したり、独自の調査団体を作って大陸全土の貧困にあえぐ人々を調べ、我が王家に具申書を提出していた。福祉については著作も多い」
「立派な人なんだね……」
ユーヤの言葉で言うと、経済人でありNPOの大物という事だろうか。ユーヤは仕事上でそのような人物と会ったこともあるが、純粋なる善人もいれば、海千山千の剛腕の人もいた。アデルシャハトなる人物はどうなのだろうか。
「アデルシャハト本人は、自分はあくまでホテルの人間だと言っていた。経済大臣に登用しようとしたこともあるし、シュネスの経済団体からも役員に推挙されていたのだが、アデルシャハトはそれを固辞し続けた。およそ50年にわたり、カルデルドニスの受付カウンターに立ち続けたのだ。そのため、著名人でありながら講演活動などは行っていない」
「す、凄い……」
話を聞く限りはユーヤですら類例を知らない。富豪であり篤心厚く、さらには仕事一筋の人。どんな崇高な人生観を持っているのか、まるで想像が及ばない。
「うむ、コゥナ様も聞いたことがあるぞ。聖人とか奇跡の人とか言われておる傑物だな。フォゾスにもカルデルドニスの医療団体がよく来ていた。無料で各地の村を診察して回っていたのだ」
「それで、その人がどうしたの?」
ユーヤはぽつねんとつぶやく。白牢の主。そのアデルシャハトがどんな問題を残したと言うのだろう。
「この人は誰クイズだ」
一瞬。風景が遠ざかる感覚。馬の足音だけがぱかぱかと浮き上がる。
「え?」
「知らぬか? 回答者にゆかりの人物が登場し、この人は誰でしょうと問うクイズで」
「いや知ってはいるけど」
突然チャンネルが変わったような感覚。この世界に独特のものだろうか。
「アデルシャハトは常日頃言っていた。自分は、カウンターを訪れたすべての人々を覚えていると」
「覚えて……」
ふと気づけば、馬車は開けたエリアに出ている。比較的ごみごみした印象だった眺めから変化し、一つ一つの建物がとても大きく、また多くは白く塗られている。庭園も多く、街路樹も見上げるほどに高い。歩く人々も、どことなく上流階級の雰囲気をまとっている。
「カイネルは、カルデルドニスで行われたある祝宴のおり、アデルシャハトに余興を与えた。かつてカルデルドニスに宿泊した人物を三人集め、それぞれの名を答えてみせよと言ったのだ。だがこれは、半分はやらせだ」
「やらせ……どういうこと?」
「一人目は水泳選手であり有名人だった。知識として知っていてもおかしくない。二人目、三人目は企業の経営者であり、アデルシャハトと交流のある人物だった。知っていて当然なのだ。これはアデルシャハトに花を持たせるための演出というものだ」
「なるほど……」
「だが……手違いが起きた」
そこで馬車は止まる。
馬車の窓からは白亜の建物、表彰台のような形状をしている。だがそれはかなり遠く、広大な道の向こうにかすんでいる。
ユーヤたちは馬車を降り、そこからは徒歩で建物に向かう。道も建物も、何もかもが雪のように白い。白と緑の対比が洗練された印象を与える。もう少し待てば、夕陽がこのすべてを赤く染め上げるのだろうか。
「三人目だ。カーテンで隠された箱から用意されていた人物と違う者が出てきた。これはまったくの偶発的事象だ。予定されていた人物が勘違いで別の場所に待機していた。そして用足しの途中で迷ってしまった者がいて、偶然にも箱の中に入ってしまったのだ」
「ふうん」
「アデルシャハトはしばらく考えていたが、やがて答えた。この御方の名は、クラ・バスティカでございます、とな」
「え……?」
「クラという人物はシュネスの国民だが、たまたま旅行でシュネスハプトを訪れていた観光客だ。祝賀の宴には一般人も参加可能で、振る舞い酒が出るとのことで立ち寄ったらしい。シュネス西部の小さな村に住んでいる、何の変哲もない男なのだ。あまり裕福でもなく、カルデルドニスはおろか、その系列ホテルにも一度も宿泊したことはない」
「……それを、アデルシャハト氏は正解した、ということだね」
「クラという人物にカイネルはいくつか質問をし、彼がカルデルドニスに宿泊したことがないのはすぐに明らかになった。そしてどうやら手違いだと分かると、会場は騒然となった。なぜ、アデルシャハトはその人物の名を答えることができたのか、当人はこのように述べた。一語一句違えずに言う」
――この御方が、当館にご宿泊したことがないことは分かりました。何かのトラブルが起きたのでしょう。
――私は思いました。きっと、これは天の配剤というものです。私がどれほどのことを覚え、どのような心構えで生きてきたのか、天が試そうとなされたのだと。
――どのような方であっても、生きているうちには何千回、何万回とその名を呼ばれます。また生涯に何度かは大いなる注目を浴び、メディアに名前が載ることもあるでしょう。
――私は記憶を探り、その名を思い出したのです。
――私が記憶しているのは当館の宿泊者さまのみならず、このシュネス赤蛇国の、黄金の砂漠に生きるすべての人々なのです。
「シュネスの人間すべてを覚えている……だと?」
コゥナもさすがに目を見開く。
「カイネルは徹底的な調査を行った。クラという人物は確かに2度ほどメディアに顔が出ている。通行人へのインタビューという体で雑誌に一度、そして当人も忘れていたようだが、幼少期に一度、小さな地方紙に名前と顔が出ている。その年に10歳を迎えた子を紹介するコーナー、それだけだ。他にもあるのかも知れぬが、当人も、周囲の人間も覚えていないとのことだった」
「うーむ、本当ならとんでもない話だな。コゥナ様も村で生まれた子供ぐらいは全員覚えているが……」
そして、と、アテムはやや慎重な様子で話す。歩きながら何度か振り返るのは、ユーヤの反応を伺っているのだと分かった。
「クラという人物は受付で名前を書いていた。そして囁かれた言葉がある。誰かが何らかの方法で、その名をアデルシャハトに伝えた可能性はないのか、とな」
コゥナは、そこでようやく了解がいったという顔で腕を組む。
「なるほどな。黒太子よ、つまりイカサマが疑われたわけだな。だが、それならもう一度試してみればよい話ではないか? 同じように、カルデルドニスに宿泊歴のない人間を何人か集めて、この人物の名前はと問うてみればいい」
「それはできない……知識人にその知識のほどを試すようなクイズを投げるのは非常に無礼なことだ。特にカイネルはそれを重んじていた。カイネルはアデルシャハトの言葉を信じるしかなかったのだ」
「そうか、クイズの盛んな国にはそういう礼儀もあるのだったな」
コゥナはちらとユーヤを見る。この人物が、クイズにおけるイカサマに過敏に反応するのは分かっている。
だが、ユーヤは比較的平然と構えていた、少なくとも外見上は。アテムは彼に水を向ける。
「ユーヤよ、どう思う。アデルシャハトの言うようなことが本当に起こると思うか。メディアも含めて一度見た人間すべてを覚えているなどと」
「勿論、それはあり得ることだ」
ユーヤは、この人物には珍しく輝かしい目をして言う。こころもち歩幅まで大きくなっている。
「そういう話はたくさん伝わってる。ポルトガルのあるホテルのコンシェルジュが、これまで接客した人物の顔をすべて覚えているとか。古代ペルシアのキュロス大王は自分に属するすべての兵士の名前を覚えていたとかだ。これは先天的な能力でもあるけど、後天的にも鍛えられる。ある国の警察では指名手配犯の顔と名前を徹底的に記憶し、パトロール中や、カメラ映像やメディアに登場した際の「気づき」で見つけ出すという訓練をしているそうだ。記憶とは」
ユーヤは傍目にもわかるほど興奮していた。言葉が意志より先に出てくるかのようだった。
「記憶とは、人間の大いなる可能性。僕たちの想像を絶するような能力を持つ、真の「記憶の王」が存在し得るんだ。少なくとも、僕はそれがいると信じてる。この世界のどこかに生まれて、いつか僕たちの前で、その奇跡を見せてくれると」
「うむ、そうだな……」
アテムは、実のところそのような可能性を否定したいわけではない。
アデルシャハトなる人物が超人的な記憶力を持っていた。それならそれで、氏の名声いよいよ高く、シュネスの誉れたる人物として賞賛するに越したことはないのだ。
だが、王の口はやはり、重い。
「それならば良いのだ……もし、クラという人物が会場に入るとき記帳していなければな。その記帳がなければ、一片の疑いも無かったのだが……」
「その記帳の場に、アデルシャハト氏はいたの?」
「いない。記帳をアデルシャハト本人が見る機会も一切なかったらしい。祝賀が始まってからの行動は秒単位で判明している」
「……そんなに、気になるの?」
「余はそうでもない……。アデルシャハトと会ったことはそう多くないしな」
では、気になるのはアテムではなく。
「カイネルどのか」
コゥナがつぶやく。
「カイネルどのも高齢だった。アデルシャハトという人物との付き合いも長かったのだろう。そのカイネルどのをして、その一件に何か重大な意味がある、そう考えていたのだな。もしアデルシャハトが何らかのイカサマをしたなら、なぜそんなことをしたのか知りたい、そういう事か」
「その通りだ、フォゾスの姫よ」
やがて白い道は終わり、至るのは大きな門である。
両サイドの門柱はちょっとした灯台ほどに大きく、そこに渡されるのは幾何学模様を描く鉄格子の門。地面には円弧の溝が掘られており、両開きの門のようだ。今はかたく閉ざされている。
「アテム、門が閉まってるけど」
「先触れの者がホテルに伝えに走っている。王族はこの貴人用の大門から入らねばならぬからな、面倒なことだ」
ユーヤが横を見れば、ホテルの側面を走る道を馬車が通っている。おそらくは一般客は通用口から入り、VIP客のみが大門から入るのだろう。本来は数日前から予約しておくのが当然のはずだ。
「急な頼みとなるが……ユーヤにも一度、その人物を見てもらいたい。その上で所見を述べてくれぬか」
「分かったよ。僕も会うのが楽しみだ。それにしても立派な門だね。鉄みたいだけどよく磨かれてて……」
指先にわずかな痛み。
「……?」
見れば、己の指に針金が巻き付いている。
有刺鉄線。そのどこか世俗的な言葉が脳裏に浮かび、視界の中で左右に広がっていく。すさまじい速度で成長し増殖し、鉄格子の門までが樹皮のように襞が寄り、ねじれ、絡み合った枝となる。門柱もやはり鉄に、そびえたつ黒一色の塔に変わる。
そして絡み合った枝の向こうにあるのは、深遠なる森。
黒い鍛鉄の幹、灰色の鋳鉄の枝、硫化鉄の葉が茂りツタはトゲを持つ鉄線。それは鉄樹の森。
――なぜ、近づこうとするの。
声が響く。地の底から伸びる槍のように、ユーヤの意識に突き刺さる声。
――この世には、解いてはいけない謎もあるのに。
「セレノウのユーヤよ、どうした」
アテムの声にはっと我に返る。
すべては元に戻っている。鉄格子の門も、白い門柱も、遠くに見えるホテルの建物も。
今の幻視は3秒ほどだろうか。ユーヤは戸惑いを抱くよりも先に、今の幻視について思考する。
(今のは何だろう。まさか、泥濘竜のような古き神の干渉だろうか)
(いや、うまく言えないけどそんな気配はなかった、あの時のような感じは……)
(では、今のは僕の中から出てきた幻覚、僕の中でのみ生まれて完結するもの)
(聞こえた言葉は何だろう。僕が経験したことなのか? あの声は、たしか……)
危険。そんな言葉が表れる。すべての思考をふさぐかのように意識の中央に陣取る。
(危険……そう、危険と感じている。このことについて、考えることが危険だと)
(なぜだ、一体このホテルに、何があるって言うんだ)
有刺鉄線が体に絡みつき、鉄でできた森が現れる。異様と言うより荒唐無稽なイメージ。ユーヤは己の手を見つめる。だが、再び有刺鉄線が現れることはない。
人が駆けてくる。円筒形で短いつばのついた帽子と、ユーヤのそれよりやや簡略化されたタキシード風の制服。クイズとしての知識でドゴール帽とかピケという言葉が浮かぶ。
そしてたった今の幻視が崩れていくのを感じる。情報としての記憶ならともかく、予感や不安といった心の機微を、正確にとどめておくことはユーヤにもできない。
ホテルの若い職員らしき人物は、大急ぎで鉄格子の門を開けた。
「国王陛下、あの、総支配人は受付で待つと申しておりまして」
「構わぬ。あの男がカウンターを離れないのはいつものことだ」
「うーむこれが高級ホテルというものか、コゥナ様も後学のためにきちんと見ておこう」
アテムとコゥナは門をくぐる。
ほんの1秒、他の人間に気づかれない程度に遅れて、ユーヤも後に続いた。




