外伝 記憶の森と鉄樹の花 1
それは、海を呑む鯨。
夜を統べる梟、霊峰に君臨する豹、そして世界を支配する王。
世界のすべてを識る怪物、それは時に王と呼ばれる。
万物に通じ万象を理解する、そして総て憶えている。
王の威光。
人はそれを仰ぎ見るのか、ひざまづくのか、それとも自らが王になろうとするのか。
王と怪物の差とは何か、それは、王に肉薄したもののみが知る――
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外伝 記憶の森と鉄樹の花
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黄金色の大地。
それは数千年という歴史を持つシュネスの砂漠。鳥が東から西へ飛び、風が北から南へと渡る、そのすべてが黄金の眺め。
世界最大の国土を持ち、南方はいまだ謎の多い人跡未踏の世界。
だが北方においては開拓も進み、広大な農地であるとか、牧場であるとか、あるいは巨大な都市も散在している。
最大の都市であるシュネスハプトに至っては、水の都という側面もある。
広大な地下水路によって大河から水が引かれ、200カ所以上の公共井戸から冷たい清水が得られる。水は安価であり枯れることはなく、都市には公共の庭園や植物園なども造られる。この都市はシュネスの叡智の結晶、砂漠に落とされた神のひとしずくか。
そんな公共庭園の一つ、白木のベンチと丈の高いオアシスの植物が並ぶ空間にて、木陰に倒れている人物が一人。
額と脇の下に氷嚢を入れてぐったりしている。水色リボンのメイドが大きめの扇子で風を送っている。
その脇に立つのは、フォゾスの狩猟民の少女。おおぶりな弓を背負って、ビキニ状の胸当ての前で腕を組む。
「情けないやつだ! ほんの1時間ほど歩いただけではないか!」
「ちょ、ちょっと暑くて……」
倒れているのはタキシードをメイドに預け、ドレスシャツのボタンを緩めた人物。今は元の名を捨て、セレノウのユーヤと名乗っている。
その横で胸をそらすのはフォゾスの大族長の娘であり、幼さの残る顔立ちながらも狩りの腕では誰にも負けぬと豪語する人物、名をコゥナ・ユペルガルという。
「申し訳ありませんユーヤさま、私がもっと気を遣うべきでした」
風を送るのはセレノウの上級メイド、リトフェット。庭園には他にも数名のメイドがいるが、それは脇に控えている。
「暑気の病というほどではないようですね。おそらく先日の戦いの無理が祟ったのでしょう。もう少し休まれましたら、また塩と水分をお取りください」
「セレノウのメイドよ、あまり甘やかすな。森の戦士たるもの暑気の病ぐらい自分で対応できねばならぬ」
「だから森の戦士じゃないからね……」
上体を起こして、頭をかるく振る。手当てが適切だったのでだいぶ楽になっている。もう少し休めば問題ないだろう。
「それにしても、シュネスって暑いんだね……今さらだけど」
「うむ、1年を通して暑い。だが湿気がないから木陰に入って風を送れば涼しいものだ。それに、今日が特別に暑いわけではないぞ、この国に来てからあまり変わってないだろう」
「うーん……気温とか気にしてる余裕なかったし……」
ユーヤという人物は、何かに取り組んでる時には周囲の環境的負荷であるとか、自分の体調などを忘れる、というより無視する傾向がある。シュネスで起きた事件は肉体的なものは言うまでもなく、頭脳にかかる負荷もかなりのものだった。その消耗が出たらしい、と自己分析する。
「ところで、馬車の用意はまだなのかな」
「まだ時間がかかっているようです。出立は明日以降になるでしょう」
「そうか……まあ僕の方に急ぐ理由があるわけじゃないけど」
「仕方あるまい、シュネスハプトからラウ=カンの紅都ハイフウまでは簡単な道のりではないからな」
そこに現れる人物がある。ひときわ長身であり、褐色の肌を包むのは大理石のような白スーツ。金の首飾りに金の腕時計。たくましく精悍な顔立ちと流麗な造形の目鼻。わずかに物憂げな部分があり、髪にすきいれる指はごつごつとした男の指、洒脱さと武骨さが高度に同居している人物である。
伴を何人か連れており、それは護衛なのか世話役なのか分からないが、ともかくさっと周囲に散って、ユーヤたちの会話の邪魔にならない程度の距離をとる。
「アテム」
「散策の途中で倒れたと聞いて来てみたが、なんだ、暑気あたりか」
「ごめん、もう大丈夫だから」
公共庭園ではあるが、すでに一般客は人払いされている。噴水と椰子の木、極彩色の花という背景にあっても、アテムという人物が埋もれることはない。これが男伊達というものか、とユーヤは思う。
アテムは西の方角を示して言う。
「かつて、シュネスハプトからラウ=カンの紅都ハイフウまでは糸の道と呼ばれていた。砂漠を超え、ラウ=カンとの国境である大渓谷地帯を超え、武門三十六林と呼ばれる武僧たちが守る森羅山脈を超えねばならん。かつての隊商は半年がかりで行き来したのだ」
「半年はちょっと……飛行船で行けないのかな」
「むろん行けるが、森羅山脈を突っ切るコースの場合、複雑で強い風を捉えて飛ばねばならん。シュネス王家の装甲飛行船なら万に一つの危険もないが……」
アテムはそこで言葉を止める。傾きかけた太陽を見て続ける。
「装甲船一番艦、太陽鳥を提供するが、補修にしばらく時間がかかる。一日ほど待つといい。ラウ=カン側の調整もあるからな」
異世界からの来訪者、セレノウのユーヤ。
さまざまなクイズに通じる彼の力を借りるため、ラウ=カンの皇妃がシュネスハプトを訪れたのが4時間ほど前である。
日は砂漠の西に傾き、三角柱を寝かしたようなゴルミーズ王城は黄金色に照らし出されている。
ユーヤはふと首をかしげる。
「森羅山脈を突っ切るコースって、危険だったりするの?」
「安全なルートは確立している。大昔、まだ商用飛行船での交易が確立していない時期は魔の空域と呼ばれていた。急に赤い霧が立ち込め、その霧に入ると飛行船は浮力を失って落ちるだとか、夜に飛行していると山に囲まれた空域に迷い込むことがあり、何百時間も夜が明けなかったとか」
「怖っ……」
「ユーヤの世界にはそのような場所はないのか?」
言われて、ユーヤは記憶を漁ってみる。オカルト的な知識ではあるが、意外なことをあれこれ知っているのがクイズ戦士というものか。
「うーん、船が沈む海域とか、磁石でできていて鉄造船を引き寄せる島、入ると命を奪われる谷、いくつかあるかも」
「我々の知っている世界などごく一部だ。経験のない場所に踏み込むのは学者か冒険家に任せればよい」
アテムという人物は、大胆で革新的な若者に見えることもあれば、落ち着いた熟練の商人のように見えることもある。王としての威厳と若さゆえの才覚、それがせめぎ合うのだろうか。
前王との戦いにおいては、アテムの手腕を評価する声が多かったと聞いている。アテムもまた、あの事件の中で成長したのか。ユーヤはそのように思う。
「となるとユーヤよ、1日ほど身体が空くわけだな」
「空くと言っていいのかな。やることはたくさんあるんだけど、この世界についての勉強とか」
「ふむ、では余が料理を振る舞ってやろう」
「え、料理? アテムが?」
ふん、と白スーツで腕を組む。ユーヤは意識していないが、腕を組んだ時に金の腕輪がどのぐらい見えるか、それにも決まった形式がある。アテムの所作には一分の隙もない。
「失礼な反応だぞ。王が修めるべきは文武のみにあらず。あらゆる文化に通じてこそ王だろう。料理は専門家に習っている」
「うむ、さすが黒太子どのだ。森の戦士でも料理の腕は大事だぞ。大きな獲物を短時間で血抜きをして、必要ならその場で燻したり干したりもするのだ」
コゥナも大きくうなずく。コゥナの発言は微妙にずれていたが、特に誰も指摘しない。
「シュネスは粗食を旨としているが、遠くからの来客や恩人をもてなすのは当然のことだ。王室牧場の牛を一頭おろそう。余が肉料理を振る舞う」
「バーベキューか、いいな。でもアテムも忙しいんじゃ」
「気にするな。よし、そうなれば伝令を……」
振り返り、誰かを呼びつけようとしたアテムは少し硬直する。丁度その時、伝令役の騎士が駆けてきたからである。
軽鎧と赤い羽飾りのついた兜。黒革の鞄を背負っているのが伝令役の目印だが、ユーヤにはまだ騎士の職能の区別はつかない。
騎士はアテムの前にひざまづく。
「陛下、カイネルどのを乗せた飛行船が発ちました」
「そうか」
沈黙が流れる。伝令が完了したという動作が行われないからだ。アテムは小首をかしげてその人物を見る。
「どうした」
「その……カイネルどのは王籍を剥奪された身ではありますが、国王陛下の父君ではありますので。つ……つまり、伝言がございますれば」
「む……」
シュネス国王のアテムと、その父であり先代の王であったカイネル。この二人の関係性は一言では語れない。
ほんの半日前の決闘において因縁に決着はついたものの、それは一区切りに過ぎない。前王との思想的対立に始まる因縁、王の放逐、シュネスの多宗教化と部族の融和まで関連する大いなる課題である。
そしてアテムが。
彼が父親であるカイネルにどんな感情を抱いているか、それは今、どのように変化しているのか。ユーヤにもとうてい見通せない領域である。
「申してみよ」
「はい、一言だけ……」
ごくり、と、伝令の騎士はつばを飲み込み、意を決したように言う。
「白牢の主は健在であるか、と」
ぴり、と静電気のようなものを感じる。
ユーヤは、その言葉に不穏な意味があると感じた。アテムが、周りのシュネス側の人間が緊張を見せたためだ。白牢の主とは忘れがたき言葉であり、おいそれとは触れがたい言葉なのだと。
「……問うただけか? 余の返事を望んでいたのか」
「いえ、そのような事は何も。ただ、その一言だけ伝えてほしいと、カイネル氏は私に直接、そう頼まれました」
伝令の騎士は壮年のようだった。思えばカイネルが王位を追われてまだ何年も立っていない。乱心と見なされたとはいえ、騎士たちの記憶にはカイネルとの主従関係が色濃く残っているのだろうか。ユーヤはそのように推測する。
「分かった、下がってよい」
「はっ」
騎士は深く礼をして退出する。どことなく、それは騎士自身の懇願の色がうかがえた。カイネルからの伝言を、できれば黙殺してほしくない、と気配が告げていた。
「アテム、今のは?」
「うむ……白牢とはシュネス最大の民間ホテル、「カルデルドニス」のことだ」
「ホテル?」
「意味はシュネスの古語で、白い牢屋を意味する、だから白牢なのだ」
「ホテルの名前に牢屋って意味があるの?」
「それは歴史の話になるが……古代のある国において倹約の思想が徹底され、家具や調度においても一切の飾りが無くなった国があった。それだと牢屋なのか宿なのか分からないため、宿だけは漆喰で白く塗ったという。さすがに現代ではそんな思想は廃れたが、百年ほど前までは家具を何も置かない、外壁の白い宿が多くあり、牢と見まごうような簡素な宿こそ利用すべきだという思想もあった」
「へえ……」
歴史というものに触れるたび、この世界の厚みを想う。
パルパシアで見た双子の都市。狩猟民と都市民族が共存するというフォゾス。独特の文化を持つラウ=カンやヤオガミ。
いま現在のこの世界について知るだけでも途方もない話なのに、そこには確かに歴史の積み重ねもある。山のように積まれた本を、何億人もの先人たちを思うと気が遠くなる思いだ。
おそらくは、その目で見て、手で触れられるものはごく一部。
それでもユーヤは、世界の全てを知ろうとしなければならない。それが彼の義務であると、誰かに言われたわけではないが――。
「シュネスの黒太子よ、それで白牢の主とは何の話なのだ?」
「うむ……」
コゥナが問いかけ、アテムは顎を引いて低くうなる。
「……」
ユーヤは察していた。これは話したくないわけではない。話そうとする事が大きく複雑で、言葉をまとめるのに時間を要するのだ。
「……白牢の主。その言葉は、前王カイネルの長き治世における最大の謎なのだ。カイネルが王としての務めを行い、また学者として研究に明け暮れる日々の中で、何度も気にかけていた」
「ふうむ? あのカイネルどのにそんなことが……コゥナ様は今回初めて会ったが、確かに苦労の多そうな御仁だったな」
「ユーヤよ」
アテムの黒い瞳がユーヤに向けられる。ユーヤはゆっくりと立ち上がって視線を合わせる。
脇にいたメイドは、内心ためいきをついた。またもやこの人物から、体調だとか疲労だとかの言葉が失われつつある。
「話だけでも聞いてほしい。これはクイズの話かどうか曖昧だが、異世界のクイズ王の知見を求めたい」
「勿論……僕でよければ」
「その人物の名は、アデルシャハト。ホテル「カルデルドニス」の総支配人」
「これは、未だ誰にも解き明かされぬ、記憶にまつわる物語だ……」




