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ハルの仕事と結婚  作者: singlemalt
六 月  ~風 待 月~
29/32

第29話 まるよしで浴衣を誂える

 横浜で会議が終わった後、八重洲の喫茶店でタケと会っていたので、京都に戻ってくるのが遅くなった。まもなく夏至を迎えるため、七時近くになっても東寺の五重塔が夕映えに包まれている。自宅に戻る時間がもったいなく、京都駅からタクシーに乗って、そのまま結衣のマンションへ向かう。

 上七軒に行くのは約二ケ月ぶり。

 梅雨の晴れ間で、車窓からみえる京の街はすっかり夏の装いにあふれている。

 「ただいま」と言うと、「おかえりなさい」と迎えてくれる。「スーツ姿だと、何か雰囲気が違いますね」と、ネクタイを触ったり、後ろを向かせたりとはしゃいでいる。結衣も、髪の毛を肩よりも少し短く切って、毛先を内側にカールしている。

「この間は風邪をひいてしまって、ごめんなさい」

「大事にならんでよかった。今日はたっぷりとサービスしてもらおかな」

 風呂上りのパジャマも、黄色とグレーのストライプ、半そでの夏用に変わっている。少し僕には若すぎるかと思いながら袖を通す。


 テーブルの上にある、コンロと殻つきの立派な岩牡蠣が目につく。

 「ジャジャーン」と、自分でファンファーレを鳴らして、手を広げる。

 「今日は、岩牡蠣です。お魚屋の大将が、『そろそろ岩牡蠣がでてきたよ』って仰ってたので、予約してお願いしてたんです。殻つきの大きいのは生と焼きでたべて、小ぶりなのは土鍋で炊き込みご飯にしてあります。あと八百屋さんの賀茂ナスが美味しそうだったので田楽にしました」

 先々月の筍のときもそうだったが、京料理の板前さん直伝の炊き込みご飯は、結衣の得意料理の一つ。お醤油の味もご飯の色も、ほんのりついているだけで薄味に仕上がっている。その分、筍や牡蠣の本来の苦みや甘み、旨味が強く感じられる。

 田楽は京都の甘い白味噌と定番の赤みそ仕立てのハーフ&ハーフで焼き目が香ばしい。八百松さん推奨の「上賀茂特産野菜研究会」のものだと説明を受ける。

 小さいときはお母さんのお尻に引っ付いて、近所の八百屋さんや魚屋さんに買い物に行くのが好きだった。時代のついた藍色の前掛け、白い長靴、どちらの店も残っていないが、籐で編んだ買い物かごは探せば、まだどこかにあるかもしれない。

「牡蠣に合う日本酒を買おうと思って、酒屋さんにも寄ってきました。冷やしてあるのでビールが一段落したら、飲みましょうね」

「結衣は、オッチャン殺しやな」

「魚屋さんで一五分、賀茂ナスだけで一五分、御酒屋さんでは蘊蓄聞くのに三〇分くらいかかってしまって、それだけで一時間。『今日は優しい彼氏は一緒じゃないの?』って聞かれました」

 「お父さんに見られんでよかった」と言うと、「そんなぁ~」と転げるように大笑いしていた。

 京都の冷酒を含みながら、真面目すぎる新人看護師のお笑い失敗エピソードや、病棟内で発生した恋愛トラブルに対する看護師長の一喝、教育委員会で意見を言って、病院長から褒められて緊張したという話を聞く。看護婦さんの世界は、後ろに回るとなかなか大変らしい。

「結衣は、恋愛トラブルには、巻き込まれてへんの?」

「大丈夫ですよ。でもこの間、彼氏とか好きな人はいるのって聞かれました」

「で、なんて答えたん?」

「気になりますかぁ?」

 そう言って笑いながら、赤ら顔を寄せてくる。


 来月は祇園祭ということもあり、一緒に浴衣を誂えることにする。

 「まるよし」は、全国の呉服店向けの卸が中心だが、母の実家と棟続きの室町の本店の他に一般のお客さまを対象とした店が四条界隈にもある。本店はなかなかに敷居がたかく、一見さんがふらりと入る店ではないが、繁華街の近くにある四条の店は、和装デビュー組も含め、将来のご贔屓さんになっていただけそうな、若いお客さまが多い。扇子や和装バッグなどの小物も多く取り揃えてある。

 この会社の経営にはまったく関与していないが、働いている方はこの道何十年というベテランが多く、子供の頃から僕のことを知っている人がほとんど。

 「若い女性と二人で四時くらいにお伺いします」と連絡してあった。

 最近は吊るしを扱う呉服屋さんが増えてきたが、誂えが中心のまるよしは、外界から遮断されたとても静かで贅沢な空間だ。店先ではなく、靴を脱いで奥の座敷に通され、そこで品定めや色合わせをすることになる。

 店に着くと、店長さんはじめ、ベテランの方が緊張して待っていてくれた。


 冷たいお茶を出してもらい、昔話をしながら、彼女には浴衣だけでなく、履物や必要な小物も含め一式欲しいこと、僕はそれに合う浴衣と兵児帯をと伝える。

 結衣は驚いてちらりとこちらを見たが、空気を乱してバタバタと慌てるようなことはしない。正座をしたまま落ち着いて、「このような経験は初めてなので色々教えてください。よろしくお願いします」と丁寧に頭を下げた。

 その言葉に空気が緩む。ほっと安心したのは店側の人間だろう。


 吊るしと呼ばれる既製品は、和服、洋服に限らず、海外で縫製したものが大量に入ってくるため、手軽に買えるようになった。逆に、誂えは色柄の好みだけでなく、その意味や歴史など蘊蓄に耳を傾けながら、時間をかけて買うというのが基本である。

 自分の体形に合わせて仕立てるという点では洋服のオートクチュールと同じだが、胸が大きくなったり、胴回りが膨らむなど、少し体型が代わっても着物が合わせてくれるというのが良いところ。また多少であれば裄丈を縮めたり伸ばしたりもできるので、背丈の違う子供や孫に引き継いでいくこともできる。

 和服は訪問着や付け下げ、小紋、紬など、TPOに合わせて様々な種類があるが、そう堅苦しいものではない。ただ値段とは別で、高価な紬だからフォーマルなパーティでもOKというものでもない。「お洒落は見えないところから…」という言葉があるが、数百万円の普段着、家着があるというのが和服の世界。

 敷居が高いと思われがちだが、知ったかぶりをせず、わからないことはなんでも聞けばいい。着て行く場所やその範囲など、経験、知識の豊富な店員さんが、最近の流行や流行りすたりのないものなど、適切に丁寧にアドバイスをしてくれる。一部のものを除き、値段も要望に応えて準備してもらえるし、そうビックリするほど高いものでもない。


 最初から二人のベテランの方が付き切りで見立ての世話をしてくれ、夕方、店が閉まる頃には、お姫様のような総がかりとなった。結衣は人の話を引き出すのが得意なので、それぞれが染めや絞り、柄の種類やその違いの蘊蓄や、出来上がりのイメージなどを嬉しそうに話をしてくれる。「ハルさんはどう思われますか?」と聞かれ、少し意見を言うと、また、「そうそう」と次々と奥から浴衣地がでてくる。

 最終的に、藍色の有松絞りで縦線に大きな雪輪文様の浴衣に決まるまで一時間、少し若向きの明るい色の本麻のぼかし染めの帯を選ぶのに一時間、それに合わせた僕の浴衣と帯を選ぶのに一時間、合計三時間近くかかった。履物や小物は、店にお任せになった。




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