第20話 白竜のお客様は、今日も来ます
港の事故から、一年が過ぎた。
わたしは二十五歳、エリオットは三十歳になった。
三か月前に結婚し、店の二階で一緒に暮らしている。
朝、二つのカップを机へ置く。
彼は、制服の袖口を留めながら、窓の外を見た。
「今日、オルは来るか」
「朝の巡回のあと、と聞いています」
「菓子を、四枚、持たせた」
わたしは、棚の袋を確認した。
「では、こちらの分はしまっておきます」
二人で笑った。
百四十四歳の竜は、年を取っても、別の場所でもらった分を忘れたふりをする。
フチは、階段の途中で尾を舐めていた。
首に、あの青い石はない。
昼には、メルヴィ夫人が会いに来る予定だ。
彼女は、店で話したあと、港で買い物をして帰るのが習慣になった。
相談室の窓には、予約の日を示す札が並んでいる。
飛び込みの相談は、一日、二組までにした。
一頭ずつ話を聞く仕事は、わたしの魔力だけで、何十倍にも増やせない。
手伝いに来る青年は、普通の動物の世話を学んだ人だった。
〈通詞〉は持っていない。
記録と予約の管理、訪れる魔獣の飼い主への合図の説明を手伝ってくれる。
ニナさんは、近くへ診療の日を設けた。
通訳のあとに診察が必要な時、店から直接、案内できる。
それぞれが休む日も、前よりちゃんと作れた。
ローデリック元副司祭の裁判では、不正な取引と、事故を招いた作業の指示が認められた。
不正に得た分の返納と被害への賠償が決まり、公的な術具の取引にも関われなくなった。
神殿の納品は、外部の技師を含めた検査を経てから使われている。
マリアさんは、今も聖女として働いている。
月に一度、店へお茶を飲みに来る。
この前は、わたしと色違いの髪留めを付けていた。
聖女が治癒をし、わたしが声を聞く。
どちらかが、もう片方の名前を借りなくてもよくなった。
母は、結婚式の前日、この二階へ泊まった。
わたしの白い服を見て、神殿へ入った時と同じように喜んだ。
今度の服は、聖女候補のものではなかった。
父と兄は、店の庭の門を直して帰った。
窓に、大きな影が差した。
オルが、広げた門から顔を出す。
口には、小さな布袋があった。
『持たされた』
わたしは、彼へ意識を向けた。
「今日は、あとから食べます。先にお仕事です」
『我は客ではないぞ』
「では、お友達ですね」
金の目が、一度、瞬いた。
彼は、布袋を石の上へ置いた。
『それなら、よい』
今日は、遠い漁村まで、様子を聞きに行く。
海で暮らす魔獣が、網へ近づく理由を知りたいという依頼だった。
エリオットも、巡回の途中まで同行する。
オルに、載せていいか聞いた。
彼は、顎を下げる。
今は、わたしが彼の許しを訳す前に、エリオットが鞍を用意できた。
信号に使う正規の環は、必要な仕事の時だけ付ける。
嫌がる日には別の合図を選ぶ。
一つの道具を替えただけで、全ての関係がうまくいくわけではない。
だから、これからも話を聞く仕事はあった。
階段を下り、上着を着る。
エリオットが、わたしの髪留めを確かめた。
「風で落とすなよ」
「帯の持ち手は、もう覚えました」
彼が笑い、手を出す。
わたしは、昨日も握った手を、今日も握った。
白い背へ乗ると、庭の門の上に看板が見えた。
〈しっぽの相談室〉。
治癒のできないわたしが、自分で掛けた名前だった。
オルが、海の方へ顔を向けた。
『今日は、風がよい』
わたしは、その言葉をエリオットへ伝えた。
彼は頷き、身体を少し傾ける。
翼が開いた。
町が遠ざかり、塩の匂いが強くなる。
わたしは、もう、彼の上着を慌てて掴まなかった。
聖女には、なれなかった。
けれど、今日も、聞きたい声が待っている。
隣でエリオットが、わたしの顔を見る。
わたしは笑い、海の向こうへ手を振った。
完




