大会開始前の攻防
物音がして目が覚めた。
深夜、昨日と同じ宿屋である。
ハイドロがベッドから飛び起きるのと同時に、ドアが蹴破られた。
ドアには閂を差しておいたから、静かに侵入されることこそなかったけど、ここまで強行的に突入してくるとは思わなかった。
黒ずくめのフードを被った何かがいた。
顎のあたりに見えている髪髪と磁器のような肌から、雪の妖精だと推測できる。当然だが、所属のわかる紋章はしていない。
そいつが氷のナイフを取り出して、無言のまま襲いかかってきた。
向こうは夜目が利くのか、的確にこちらを狙って斬りつけてくる。
ハイドロが腹の中で魔力を練って口を開くと、
「ここでブレスを吐くつもりか」
侵入者が怯えたように言った。もちろん吐くわけがない。
腹の中で燃やした炎を、喉で器用に止めた。あくびや、くしゃみを止めるのに似ている感じだ。
部屋が一瞬だけ明るくなる。これで相手の夜目を無効化できたはず。
侵入者は、慌てて顔の前で両腕をクロスさせた。ハイドロはその懐に飛び込んで、全力で殴りつけた。部屋全体に衝撃が伝播する。
侵入者は勢いよく壁にぶつかり、時間をかけてずるずると崩れ落ちた。
ハイドロは警戒を止めず、入り口から顔を出して、慎重に廊下を確認した。
他に敵はいないみたいだ。
ほっと息を吐いてから、室内に戻る。
まずはベッドサイドのロウソクに火をつけた。部屋の中がぼんやりと明るくなる。それから壁際で倒れている侵入者のところに近づき、黒いフードを上げた。
見知らぬ雪の妖精だ。縛り上げてから、頬をはたいて強制的に起こす。
「おい、誰の部下だ。言え」
「……」
「って、言うわけないか」
「……」
また気絶してしまったので、そのまま放っておくことにした。
宿屋の主人が様子を見るためだろう、階下からやってきたので、追加の王都貨幣を払って事情を説明した。主人は何も言わないで引き下がったけれど、ハイドロにとっては手痛い出費だ。
同じ階にいる客も、何人か顔を出してきた。
彼らに対しては、手を振って『なんでもない』というジェスチャーをし、部屋に戻らせる。
ハイドロは自室の壁に背をもたれかけさせて、あぐらを組んだ。
……クリスタは大丈夫だろうか。
顔見知りじゃない人は入れない地区に住んでいると言っていたけど、こうなっては心配だ。すぐに様子を見行きたい。
でも、この闇夜の中、無策で外に出るのは危険すぎる。日が昇るのを待つしかない。
クリスタからもらった氷狼のチャームを、机の引き出しから取り出した。それを首から提げ、無心のまま時が過ぎるのを待つ。冷たいけれど、身につけていると安心する。体温を奪うのではなく、体の中に燻っている余計な熱を冷ましてくれるようなイメージだ。
しばらくはその感覚に身をゆだねる。
すると、宿屋に面している通りから、人や妖精の行き交う声が聞こえてきた。
窓のない部屋だからわかりにくいけど、どうやら日が昇ったらしい。
コツコツと階段を上る足音が聞こえてきた。
ハイドロは立ち上がって警戒する。
その何者かはハイドロの部屋の前で立ち止まった。
「これはまた派手に襲われたな」
蹴破られた扉の向こう側に、アスタリスクの紋章をつけた雪の妖精がいた。氷の甲冑を着こんでいる、体格の良い妖精だ。「うわあ~、これは、痛そう~」と言いながら、部屋の中を見回している。
グレイシアの部下が様子を見にやってきた、ということのようだ。
部屋がバレていることに驚きはない。なんせ侵入者にだってバレていたのだから。
ちょうどよかった。気絶している侵入者を引き渡しながら、
「こいつはフラストームの手の者か?」
と訊いてみた。
グレイシアの部下は頷き、
「おそらくな。俺たちも、あっちの派閥に暗殺者を送り込んでいるし、まあお互い様さ。それだけじゃないぜ。この街を乗っ取ろうとする、他国の息がかかったトーナメント参加者にも刺客を送ったよ」
「……」
「後はそうだな。森の妖精も何人かエントリーしていたな。この機に乗じて、ヴェイル家に復讐でも考えてんのかねえ。まったく浅はかな奴らだよ。昨晩は、人知れず多くの命が消えただろうな」
あー、やだやだ。なんて血なまぐさい大会だろう。
誰でも参加可能なんて、やっぱりウソじゃないか。
トーナメントはまだ始まっていないけど、戦いはすでに始まっていた。
一つの街を統治する――そのためには清濁併せ呑む必要があるだろう。綺麗ごとだけじゃすまない現実があるだろう。
でもこんなやつらに、上に立ってほしくないとハイドロは思った。
「ま、お前はグレイシア様に言われた通り、トーナメントを勝ち上がればいいだけさ。忠誠心なんざ期待しちゃいねえが、大金星の一つでも上げればそれ相応の褒美をくれる」
「褒美はいらないよ。クリスタが無事であれば、それでいい」
「お前みたいなやつ、嫌いじゃないぜ」
「ありがとう」
一応、お礼を言ったけど、この妖精とは敵同士だ。
できれば会話を長引かせて情報を引き出したい。
「クリスタは無事か?」
「どうして俺に訊くよ」
「僕が襲われたという事は、クリスタも襲われた可能性がある。ここと同じように見張っていたんだろ?」
ハイドロが言うと、グレイシアの部下は頬をぽりぽりとかいた。
「そうさなあ、お前さんがどこまで聞いているか知らないが、あの嬢ちゃんについて教えておくか。あの子が住んでいる場所は、この街でもいっとう治安の悪い場所だ。鉱山労働をしている割れ者たちが住み、割れ者同士で団結している」
「……聞いているよ」
ここまで具体的にではないが、下町に住んでいるとは聞いていた。
「あそこはな、割れ者以外が足を踏み入れると、あっという間に袋叩きにされる。騎士も例外じゃないのさ。一つの階級だけで固めている集団に対しては、こういうときに打つ手がないね。他の割れ者にお金を渡して探るよう頼んでも無駄さ。奴らにとっちゃ、金よりもまず身内なんだ」
「つまり?」
「あの嬢ちゃんの部屋は見張っていない。だが同時に、暗殺者もおいそれとは入れないってこと。まあ、心配ならすぐに向かうんだな」
騎士や暗殺者がおいそれと入れない場所に住んでいても、クリスタの身柄を拘束するようなことはしていない。そこまでする必要がない、というだけなのだろう。翻ってハイドロの価値も、そんなに高く見積もられているわけじゃないとわかる。
昨夜襲われたときも、騎士は別に、助けに来てはくれなかった。
すべてが終わった後に、事務的に顔を出しただけのようだ。
ここでハイドロが死んでも、グレイシアにとってはどうでもいいのだろう。たいして期待していなかった手駒の一つがなくなった――その程度の認識かもしれない。
いや、わざわざグレイシア本人が勧誘に来たわけだから、少しは期待されているか。
これくらいのトラブルは捌いて当然、という認識の方がしっくりくる。
どちらにしろ勘弁してほしいけれど。
「もう行っていいのか?」
「ああ、いいぜ。後は任せろよ」
後ね。侵入者に対して何をするのかは、知らない方がいいだろう。
グレイシアの部下は付け足すように、「ああ、それともう一つ」と言った。
「リア様がお前にいたくご執心だぜ」
「リア? 誰だ?」
「お前を捕えたとき、口の中に剣を突っ込んだ妖精だよ。最強の近衛兵だ」
あいつか。白い氷の甲冑を身につけた、薄いラベンダー色の髪をしている女だ。目つきがとんでもなく鋭かった。
去り際に「ずっと見ているから」という警告を口にしていた。
「どうして僕は目を付けられたんだ?」
「さあねえ。グレイシア様が、お前の能力を褒めたからじゃねえか? 嫉妬だよ嫉妬」
「……はあ」
思わず、ため息をついたハイドロである。
そんなバカげたことで恨みを買いたくはない。
「あっはっは! 人気者だねえ!」
全然嬉しくなかった。
☆
ハイドロが襲われたのと同時刻。
クリスタは一晩中、起きていた。
あまり音のしない夜だった。しんしんと降る雪が音を吸収してしまうのかもしれない。嫌な予感がしたけれど、今のところ不審なことは起きていない。でも今夜は警戒を怠らず、いつでも逃げられるようにしなきゃと、クリスタは思った。
別の場所でハイドロが襲われていることをクリスタはまだ知らない。
「ここは、顔見知りじゃない妖精が紛れこむことのできない区画だしね……」
誰に言うでもなく、つぶやいた。
ハイドロは大丈夫だろうかと心配になった。でも出会ったばかりの男に対して、同じ部屋に泊めてくれとは言えない。彼を守るためだとしても。
ハイドロは強いし、グレイシアの部下だって近くにいるはず。だからきっと大丈夫だ。
そう自分に言い聞かせた。
クリスタが寝起きしている家は、街の南側にある。
鉱山労働者が数多く住んでいる場所だ。彼らは、この街の近くにしかない特殊な鉱石を採掘している。その石は、精錬、加工を終えるまでは雪の妖精しか触れない。だから周辺の都市が武力で奪おうとすることも、領有権を主張することもなかった。
周辺の諸都市にとっては、採掘から精錬、加工までを雪の妖精に任せ、完成品の宝石を買い取ったほうがはるかに安上がりなのだ。
この街に暮らす雪の妖精の地位は、領主や近衛兵などの常備軍、騎士、スノウリンクスの賞金で稼いでいる氷闘士を除けば、そのまま鉱石の製造工程に対応している。
流通と販売を取り仕切る者が最上位、次いで加工を担う者、精錬を行う者、そして最下層が採掘に従事する者である。
鉱石の採掘は、ときに命を落とすこともある過酷な労働であり、それに関わっている妖精の多くが割れ者だった。
クリスタは普段、そういった割れ者たちが労働後に集う酒場のウェイトレスをしている。
荒くれ者たちが羽目を外す場所だから、ときにボディガードや、ケンカの仲裁のようなこともしていた。
「クリスタちゃん! 今日も可愛いよ!」
「はいはい」
「好きな人がいないなら、俺と付き合って!」
「死んでも嫌だ」
「おう、今日も可愛いな!」
「ありがと」
という感じで、いつもガラの悪い客をいなしている。
割れ者は、明日をも知れぬ身だからこそ、他の雪の妖精とは違って熱を溜め込むことに躊躇がない。活気にあふれ、感情を露わにし、すぐに泣いたり怒ったりする。
自分と同じく割れ者として生まれ、他の雪の妖精に蔑まれながらも必死に生きている彼ら彼女らのことがクリスタは好きだった。ただし、
「おい、そこのウェイトレス! こっちに来て俺の相手をしろ!」
という一線を超えた暴言には、こちらも力で応対するけれど。
戦闘の才能があり、生まれこそ違えばスノウリンクスで多大な功績をあげることができたのではないか……なんて、クリスタのことをよく知る下町の妖精たちは言う。
そんなクリスタが、グレイシアの親衛隊に手も足も出なかった。
簡単に捕まり、そのまま人質にされ、ハイドロをトーナメントに参加させるための材料に使われてしまった。というか、監禁されていないというだけで今も人質のままだ。
自分のせいで、ハイドロを巻き込んでしまった。
その罪の意識は、時間が経つごとに大きくなっていく。
謝らなくてもいい、君のせいじゃない――ハイドロはそう言ってくれるけど。
現状を打破しなければならない。手を打たなくてはならないとクリスタは思う。このままグレイシアの意のままに操られるのだけは絶対にごめんだ。
クリスタは、知り合いの割れ者たちを頼り、ひたすら情報を集めた。
最悪の場合、自分の命を懸けてでも、ハイドロを逃がさなきゃならないと覚悟していた。
突然、部屋の扉がノックされた。この場所でノックなんていう上品な所作を行う来客者はいない。
クリスタは、氷のナイフをそっと構えて、警戒しながら扉を開けた。
「あなたたちは……」




