親切な受付嬢
ハイドロとクリスタの二人は、闘士用の入り口から通路に出て、受付まで戻った。
ガロと戦うために進んだ道を、今はグレイシアの手先となって引き返している。
カウンターには、入ったときと同じ受付嬢がいた。銀に近い髪色をしている、肩でまっすぐに切りそろえられた髪型をしている女だ。ジトっとした目つきが今は大きく見開かれている。
「……ご無事でしたか」
ハイドロの顔を見て、ほっと息をついていた。
顔見知り程度の間柄だけど、それでもこうやって心配してくれるのはありがたい。そういえば最初からいろいろと忠告してくれていたし、結構親切な人かもしれない。
「ガロには勝ったよ」
「それは承知しております。私が心配していたのは、別の要件でございます」
中で何が起こったのか理解しているようだ。まあ、それはそうか。
観客席を守っていた魔法壁の破壊から、領家長男のグレイシア登場と、問題が起こりすぎた。
もはやガロとの因縁が遠い過去のようだ。
「私にできることがございましたら、遠慮なく仰ってくださいね」
無表情のままだったけど、声音には温かみが感じられた。
受付嬢はクリスタに視線を移して、
「そちらの女性も」
と言う。クリスタが驚いて、猫のように飛び跳ねた。
「え? 私も? どうして?」
「ハイドロ様のお連れの方だからです」
「それは、ハイドロがグレイシアの陣営に加わったから?」
権力に媚びていると捉えたのか、クリスタが露骨に嫌そうな顔をした。
でも受付嬢はゆっくりと首を横に振る。
「いいえ。それとこれとは関係ございません」
「じゃあ何が理由なの?」
「あまり大きな声では言えませんが、ガロ様の酒癖には私どもも困っていたのですよ。ハイドロ様が叩きのめしてくれてスカッと……ではなく」
受付嬢はわざとらしく咳ばらいしてから、
「少々マナーを教えていただき、ありがたく思っております。これでおとなしくしてくださればよいのですが……」
と言った。グレイシアの派閥に入ったからではなく、ガロを倒したことで好感を得たらしい。あいつ、相当酒癖が悪かったみたいだ。
「私、割れ者だよ?」
クリスタがおずおずと口にした。
「そうですか。私にできることがございましたら仰ってください。そしてハイドロ様のサポートをよろしくお願いいたしますね」
受付嬢は軽く流してしまった。
クリスタは茫然とした表情のまま固まった。そして、
「……ハイドロのことを頼む、だって」
小声でつぶやいている。
割れ者について、ガロのように嫌悪感を露わにするやつがいる。グレイシアのようになんら興味を持たないやつがいる。そして目の前の受付嬢のように、気にしない人がいる。
同じ種族と言っても事象の接し方には個性があり、一括りにはできなかった。
受付嬢がどことも知れない宙を見て、
「今夜は排熱システムの点検が必要ですね。もしかしたら、しばらく闘技場が使えない可能性があります」
「あ、ごめんなさい。これって、あれですか? 弁償とか……」
排熱システムに負荷をかけたのはハイドロだ。
「グレイシア様が後ろ盾になってくださったのでしょう? でしたら彼がなんとかするはずです。それに、闘技場が使えなくなって今一番困るのはヴェイル家でしょうしね」
そうだといいけど。
「話は変わりますが、ハイドロ様はどこにお泊りでしょうか。私が安全な宿屋をご紹介いたしましょうか?」
「ああ、いや。今のところは大丈夫。心配してくれてありがとう」
「本当に?」
なんか食い下がって来るな。
「う、うん」
「そうですか」
それでもなおついてこようとする受付嬢に断りを入れて、ハイドロとクリスタは闘技場を出た。そのとたん冷たい風が吹いて、ハイドロは羊毛のマントをかきいだいた。半袖のクリスタは、気持ちよさそうに背伸びをする。
月は雲に隠れていて、夜が暗い。青い光を灯している街灯がなければ、ほんの少し先だって見通すことはできないだろう。
「それで、ハイドロはどこに泊まっているの?」
改めて、といった感じでクリスタが言った。
「僕は、人間用の宿屋だね。クリスタは?」
「私は……街の南側に住んでいるの」
「そっか」
危ないから一緒の部屋で過ごそう、なんて言えるわけがなかった。
もちろん下心があっての言葉じゃない。
グレイシアがどう動くかわからない。次男のフラストーム陣営も気になる。
ハイドロとクリスタは今、家督争いの中心に巻き込まれている。
あまりにも濃密な時間を共有したせいで忘れていたけど、クリスタとは出会ったばかりなんだ。
このような状況下であっても、口に出せる言葉は限られる。
「えっとね、私の住んでいるところは下町でね。見知らぬ人がきたら、一致団結して警戒にあたるような場所なの。隣近所もみんな知り合いだし、腕っぷしも強いし……。だから大丈夫! 心配しなくていいよ!」
「うーん。それなら大丈夫か……。たぶん」
さっき出会ったグレイシアの部下のような妖精たちが徒党を組んで、本気で襲ってきたらひとたまりもないだろうけど。
でも、そこまで強行的な手段が取られるような事態なら、どこにいても同じだろう。
「ハイドロの方こそ……大丈夫?」
クリスタがこちらの顔をちらちらと見る。反応を探っている感じだ。向こうも向こうで、ハイドロと同じことを考えているのかもしれない。つまりお互いに心配し合っていた。
「大丈夫だと思う」
「本当に危ないときは、すぐに駆けつけるからね」
クリスタが、ニコッと笑った。
いろいろあったけど、こうして笑顔で闘技場を出られて良かったと、ハイドロは思う。
「頼りにしているよ」
「今度は私が助けるから」
クリスタとは明日の朝に会う約束をして別れることにした。
ハイドロは、自分が泊っている宿屋の名前と部屋番号を教えておく。クリスタからも、彼女の住んでいる部屋の場所を詳しく教えてもらった。さっきも少し触れていたが、その辺り一帯は住民の絆が強く、見知らぬ者が足を踏み入れると危険なのだとか。クリスタに用がある場合、ハイドロ一人で訪れない方がいいらしい。
つまり訪ねてくるな、ということだろうか。
お互いの安全を願い、夜道で別れた。
心の距離感がまだよくわからない。これで良かったのか、それとも下町の前くらいまでは送っていくべきだったのか。なんてことをつらつらと考える。
旅をしていて、見知らぬ誰かと仲良くなることは普通にある。
でも、ここまで街の事情に深入りしたことはなかったし、複雑な縁を結んだこともなかった。
……人質か。
最悪ハイドロ一人だったら、この街を火だるまにして逃げることだってできるだろう。ブレスならそれが可能だ。
グレイシアとその部下は強かったが、囲まれる前に炎を吐いて街を燃やし尽くせば、強さなんて関係ない。
でももちろん、その選択肢は取れない。
関係ない相手は巻き込まない。クリスタは見捨てない。グレイシアは殴る。
ハイドロはそう決めた。
適度に魔力を練って、腹を温める。
自分の足元を確かめるように、夜道をゆっくりと歩いた。
何事もなく宿屋についた。
扉を開けてすぐの広間に大きな暖炉があり、今夜も暖かな空間が広がっていた。
テーブルの上では、鉱石を精錬して作った特殊なランプではなく、普通のロウソクが置かれていて、小さな炎が灯っている。
ああ、やっぱり炎はいいなぁ。
見ていると心が落ち着く。
そして、無事に帰ってくることができた。誰にというわけじゃなく、ただ感謝した。あれだけの手練れに剣を突きつけられながら、今こうして生きているのだから。
自分の個室に戻った。木製のベッドとテーブル、イスが置いてあるだけの簡素な部屋だ。窓はない。
もともとトーナメントを観戦するつもりだったから、前払いで二週間分のお金をすでに払っていた。
クロノ・フラワーを見るため、という当初の目的は果たせなかったけど、結局トーナメントが終わるまで滞在することになったのだから、人生はわからない。
炭火の入っている銅製のベッドウォーマーを持った使用人がやってきて、しばらくベッドを温めてくれた。温まった羊毛のベッドにもぐりこんで、ハイドロは眠りについた。
夢は見なかった。
◇
翌日、ハイドロは闘技場の前でクリスタを待っていた。
空は晴れているけど、太陽の光は弱い。薄く引き伸ばしたような青空が、どこまでも広がっている。
道行く雪の妖精たちが、
「昨夜、何かあったらしいぞ」
「炎が吹きあがったとか」
「排熱システムの許容量を超えたと聞いた」
「いったい何が起こったんだ?」
「家督争いのトーナメントはどうなる」
早速、昨日のことを噂していた。
話を聞くに、どうやら今日のスノウリンクスは中止になったらしい。
受付嬢が言っていた通り、排熱システムが無事に動くか確認作業に入るとのこと。
次期領主決定トーナメントは一週間後だ。それまでに動かなければ、ハイドロの責任になるかもしれない。これは本当に申し訳ないし、工兵の腕を信じるしかない。
「長男のグレイシア様は、軍政を拡大して他国に攻め入ろうとしている。次男のフラストーム様は、割れ者を初め、熱が溜まって限界に近い者や戦えない者を排除しようとしている。三男にいたっては、あのありさまだ」
「この街はどうなってしまうんだろう」
……それにしても悲観的な言葉がたくさん聞こえてくるな。
ハイドロは大きく背伸びをしてから、ゆっくりと深呼吸をした。冷たい空気が肺いっぱいに充満して、気持ちがいい。でも街の妖精たちは、元気爽やかという感じではなさそうだ。
誰が次期領主になるのか気が気じゃないのだろう。
改めて闘技場を見上げる。
正六角形にカットされた石が器用に重ねられていて、まるで蜂の巣のようだ。外壁は凍りつき、隙間なくツルツルに光っている。昨夜はここで戦ったんだなーと、少し感慨深いハイドロである。
視線をぐるりと動かす。
街の中心部にある闘技場から四方八方に道が延び、民家や宿屋、酒場、武器屋、防具やなどが整然と並んでいる。ほとんどが木造建築だ。この近くで豊富に採れるオーク材が使われているのだとか。でもたまに、雪や氷で作られたような建物もある。
毛皮商のお店や、防寒具専門のお店も見つけた。
その逆に、防熱具のお店もあった。これは雪の妖精用のお店だろう。彼らも服を着ているけれど、体を温めるためじゃない。むしろ体を冷やすことができる素材を使っているはずだが、それがなんなのかハイドロには見当もつかなかった。
気になったので、近くにいた妖精に話しかけてみると、
「ああ、僕たちの服はこの辺りに生えている氷樹の皮が素材だよ」
親切に教えてくれた。
「氷樹?」
「そう。氷樹から剥がれ落ちたばかりの外皮は柔らかいんだ。加工が簡単だし、そのうえ包み込んだものを冷やしてくれる。だからその外皮を重ねたり、魔法で組み合わせたりして服を作るんだよ」
糸ではなく、皮。
編むのではなく、組み合わせるような感じか。
さらに、服に描かれている幾何学模様も刺繍じゃなくて、魔法によって直に刻まれているのだと教えてくれた。
「グレイシア・ヴェイルが身につけていたマントも、氷樹の外皮?」
「そうだね。でもヴェイル家は街の外に生えている氷樹じゃなくて、家の敷地内に生やしている、領主専用の樹から採った外皮を使っているよ。薄さとキレイさが全然違うんだ」
これは面白い話を聞いた。
ハイドロは、教えてくれた妖精にお礼を言って別れた。
さらに街を見回してみる。
ところどころに見える石造りの建物は、軍の詰め所だろうか。
他にも、ステンドグラスのついている青い建物が見える。屋上に鐘楼がついているので、もしかしたら教会かもしれない。
この街では王都と違う独自の宗教『排熱教』が広く信じられている。ハイドロはそれを闘技場の待合室で知った。とはいえ王都の影響は色濃くあり、ステンドグラスや鐘楼といった建築様式の意匠はほとんど同じに見える。
通りの向こう側にクリスタが姿を現した。
「おはよう、ハイドロ」
手を振りながら、小走りに近づいてくる。良かった、元気みたいだ。
ハイドロも手を振り返した。
するとクリスタは困ったような表情をして、
「本当にごめん――」
開口一番で謝ってきた。
これ以上、謝られても困る。ハイドロは、つとめて笑顔で、
「街を案内してよ、クリスタ」
「え?」
「僕はまだ、この街のことを何も知らない。街を知れば――そこに住んでいる人を、妖精たちを知れば、何か他の案が浮かぶかもしれない」
「他の案? トーナメントに参加しないですむ方法があるの? この街から逃げるとか?」
「たぶん無理だよ。僕たちは監視されている」
宿屋を出たときから、ずっと視線を感じている。
探ってみたけど、どこから見られているのかまったくわからない。相当な手練れがあちこちに潜んでいることだろう。
ハイドロの口に剣を突っ込んできたあの妖精が警告した通りだ。
――ずっと見ているから。余計なことはしないように。
「トーナメントが始まったら、状況はもっともっと複雑に変わっていくだろう。だからその前に、いろいろなことを知りたいんだ」
「いろいろなことって?」
「たとえば、旅人ですら参加できるスノウリンクスに、どうして割れ者は参加できないのか」
言いながら、クリスタの顔を見た。
踏み込みすぎたか?
いやでも、やっぱりこれは知っておくべき情報だ。
クリスタは顔をふせて、
「別にたいした理由なんてないよ」
下を向いたまま歩き始める。ハイドロも後を追う。
市場はもう始まっていて、周囲からはさまざまな話し声が聞こえてくる。闘技場以外で熱を排出することはできないらしいけど、活気と呼べるような雰囲気は普通にある。妖精や旅人が行き交う大通りの中にあって、ハイドロとクリスタの二人だけが無言のまま歩く。
やっぱり訊くべきじゃなかった?
でもタイミングを図っていたら永遠に聞けない。
しばらくしてから、クリスタが急に振り返って、
「割れ者は、脆いんだよ」
唐突に言った。




