長男グレイシアの登場
「いや、まだ領主とは言えないのだったか。父上が亡くなってから早一か月。わが愚弟も領主の座が欲しいとぬかすのでな。まったく、嘆かわしいことだ」
謎の男はやれやれといったように、わざとらしく頭を振った。
今こいつ、グレイシア・ヴェイルと名乗ったよな。
話の内容から察するに、どうやら長男のようだ。
じゃあガロとは別の筋ということになる。あいつは次男を支持している騎士なのだから。
「なぜここに来た?」
グレイシアが言った。
ハイドロは、下手に答えたらまずいと考え、口を閉ざした。
「……」
「ガロとは因縁があるのか?」
「……」
「何も答えるつもりがないのか。では、これならどうだ?」
グレイシアが、視線を後ろに向けた。
兵の壁の奥から、氷の鎖で縛られ、切っ先を喉元に当てられているクリスタが連れられてきた。余計なことを喋らせないためになのか、口にも鎖がまかれている。
「んんっつ!」
と、クリスタが呻いた。
まったく……ずいぶんと用意が周到だな。
ハイドロは観念した。
自分は強いと思った次の瞬間には、もうこれだ。
この街は闘技場を核としてデザインされている。
日夜戦いを繰り広げている氷闘士がいるような場所だ。そこを統治する領主の一族と、その領主に仕える騎士たちが弱いわけなかった。
というか実際にガロは強かった。目の前でグレイシアのそばに控えている影のような妖精たちも、騎士なのだろうか。それとも汚れ仕事をするような部隊なのだろうか。
いずれにしろ彼らの実力は、ガロよりも圧倒的に上だろう。
長男のグレイシアに至っては、どれほど強いのか見ただけではわからない。
ああ、世界は広いな。
伝説の生き物がなんだ。世界に九匹がどうだ。
いかに個の力が強かろうと、統率された集団の力によって、いとも容易く追い込まれてしまう。だから自分の力なんて見せるものじゃないんだ。
とはいえ今のハイドロでは、酔っぱらっていたガロを軽くいなして事態を収めることはできなかった。ムカつく相手をぶちのめさなければ、気が済まなかった。
その傲慢さがこの状況を生んでいる。
「僕に何の用だ?」
ハイドロは言葉を発した。
それに満足したのか、グレイシアがふっと笑った。高圧的な笑みだ。
「賢明な態度だな。では本題に入ろう。もうじき、ここ闘技場で、領主の座をかけたトーナメントが開かれる」
「領主の座?」
「この街では一年に一回、身分や種族を問わず、ひときわ強いものだけを集めたトーナメントを開催している。それは知っているか?」
「ああ」
トーナメントの優勝者はチャンピオンと呼ばれ、多大な名誉とある程度の特権、それに多額の氷貨幣をもらえる。そのセレモニーのときだけ、領主がクロノ・フラワーという貴重な十二花結晶のネックレスを身につけて、みなの前に姿を現す――という話だったはずだ。
ハイドロはそのクロノ・フラワーを見るために、この街まで来た。
ネックレスはすでに壊れていて、二度と見られないと知ったのは、つい先ほどのことである。
「今年は、今までのトーナメントと少し賞品が違っていてね。優勝者が次期領主となり、この街のすべてを手中に収めることができるのだよ」
少しか?
「参加資格は? ヴェイル家以外もエントリーできるのか?」
「割れ者以外であれば、誰でも参加することができる」
ここでも割れ者は除外されていた。そこは掘り下げず、話を続けてみる。
「本当に誰でも? この街と無関係の旅人でも?」
そんなバカな話があるかと、ハイドロは思った。
だがグレイシアはあっさりと頷いた。
「字義通り、誰でもだ。私も参加するし、次男のフラストームも参加する。無名の旅人も、名のある氷闘士も、この街と敵対している森の妖精すらも、強ければ参加できる」
「強いかどうかを、誰がどうやって決めるんだ」
そこに恣意性が紛れるのなら『誰でも』ではない。
「この街の外には氷狼という厄介なモンスターがいてね。個人で相手をするには、なかなか骨が折れるのだよ。領主の座を賭けたトーナメントにエントリーを希望した場合、まず闘技場内で氷狼を倒してもらう。どんな武器を使ってもいいし、魔法を使ってもいい。一対一で氷狼を圧倒できる者だけが、トーナメントの参加資格を有することができる」
そういう条件なら、誰でも参加可能か。
「これで満足かな?」
腹の立つ言い方だが、納得はした。
「それで、僕にどうしてほしいんだ」
「端的に言おう、君にもトーナメントに参加してもらいたい。ああ、もちろん氷狼との戦いは免除してやる。なんせガロに勝ったのだからな。参加資格は充分だろう」
「……どういうことだ?」
話の流れがまだ読めない。
グレイシアは鷹揚に両手を広げた。
「私が掌握している近衛兵や、私の支持を表明している騎士から選りすぐりの兵を出す。もちろん次男も同じことをするだろう。そしてお互いの兵がトーナメント上でぶつかり合い、危険な相手を排除していく。身内通しでぶつかった場合はケガがないよう適当に終わらせ、より強いものを無傷で次に進めさせる。これはそういったトーナメントだ。最後には、私が頂点に立っているだろう」
「茶番か」
「その通りだ。しかし必要な茶番だ。領主が亡くなった年か、あるいは次の年のトーナメントでは、領主の座を懸けるという決まりなのだ。伝統なのだよ。とはいえ、ヴェイル家以外の者が勝ったことはないがね」
それだけガチガチに対策をすれば、そうだろうな。
「なぜそんな、面倒なことを?」
「街に住んでいる誰もが納得する形で、領主の座を継ぐにはうってつけの方法だと思わないか?」
この街には闘技場があり、氷闘士がいる。力が意味を持つ場所で、一番強いものが街を率いるのは、理にかなっているかもしれない。
「でもあんたなら、そんな小細工をしなくても普通に勝てそうだ」
ハイドロが言うと、グレイシアは自信満々に頷いた。
「君の言う通りだ。私と対等に戦えるのは、前年のチャンピオン――カタクリくらいか」
去年のトーナメント優勝者ってことだよな。領主の座が関係ないときの。
「そのカタクリとやらは、今年もトーナメントに参加するのか?」
「奴は参加しない。今年はただの興行ではなく、多分に政治的な色合いを帯びているのでね。領主の座には興味がないのだと。まったく、理解できない俗物だな」
興味がない、ね。
出場すれば優勝できると確信しているような言い方だが、その言葉が大言壮語にならないだけの実績があるのだろう。
「毎年、トーナメントのチャンピオンには、城の近くにある水晶宮に住む権利が与えられるのだが、今年の優勝賞品には含まないと決まった。つまり水晶宮に関しては、前年のチャンピオンであるカタクリが、今年も居住の権利を保持し続けることになる。奴がトーナメントに出る理由はただひとえに、水晶宮に住みたいから、なのでね。これさえ与えておけば、奴がトーナメントに関わることはない」
グレイシアは肩をすくめて、
「今回のトーナメントに限って言えば、奴のそういった性格はありがたいがね」
カタクリが出場しないことを、潔く「ありがたい」と言った。傲慢なこの男がそう口にしてしまうほど、カタクリは強いのだろう。
「私は絶対に勝ちたいのだよ」
「……それで、どうして僕に参加してほしいんだ?」
「私の派閥に入れ。トーナメントに参加しろ。愚弟の兵と当たった場合は、打ち負かせ。私の兵と当たった場合は、勝ち上がらせてやる。お前はなかなか強そうだからな」
「断ることはできないんだろ?」
ハイドロは、捕まっているクリスタの方をちらりと見た。クリスタは動かせる範囲で、首を横に振った。たぶん断れというジェスチャーだろう。無理だってば。
「話のわかる男で助かったよ。断っていたら、その女を見せしめにしなければならなかった」
グレイシアがちらりとはクリスタに目を向けた。鎖がきつく締め付けられたのか、クリスタが「うぐっ」と悲鳴を漏らした。
ハイドロはこぶしを握りしめた。今この場では、グレイシアに手を出すことはできない。だけどいつか必ず、ぶん殴ってやる。そう決めた。
「ああ、ガロの処遇についてはこちらに任せてほしい」
グレイシアが付け足すように言う。
これは素直にありがたい。この後もあいつに因縁を付けられるのはごめんだ。
「私としても、このような方法を取るのは心苦しいよ。しかし今は、多種多様な戦力が必要なのだ。お前ならフラストームに手が届くかもしれない」
「あんた、割れ者についてはどう思っている?」
これだけは聞いておかなければならない。
「別に、何も」
そう答えたグレイシアの声音はひどく冷めていた。
「領主になった暁には、割れ者を放逐しようとか、排除しようとか、そういうことは考えていないのか?」
「興味がない。どうでもよいゆえ、この街に住むことは許可してやる」
本当に、心底から興味がなさそうだ。
「わかった。協力する」
ハイドロが言うと、今までずっと急所に当てられていた十本以上の剣が、すっと引いていった。月光に煌めいていた刃がいっせいに影へと消える。その音もない動作の練度に、背筋が震えた。
刃は、見えている時よりも見えていない時の方が怖い。
ハイドロは軽く肩を回した。一挙手一投足、そのすべてを細やかに観察されている。
刃を引いたからといって、信用されたわけじゃない。この距離ならいつでも殺せる、そんな空気が漂っている。
クリスタも解放された。わざわざ確保しておく必要がないのかもしれない。この街にいる限り、どこにいても人質なのだから。
クリスタがこちらに走ってくる。でもハイドロの前で立ち止まり、申し訳なそうにうつむいた。
「……ごめん、ハイドロ。面倒ごとに巻きこんだ」
「謝る必要はないって。僕が出力を間違えたから、こんなことになったんだ」
それでもクリスタは顔を上げない。長い前髪が、濃い影を顔に下ろす。
もとはといえば、酔っぱらいのガロに絡まれたことがきっかけだ。それが何の因果か、ここまで事態が大きくなってしまった。
クリスタは悪くないし、ハイドロもまあ、あまり悪くないだろう。少し傲慢だったが、今の自分ではどうしようもなかったと思う。
強いて言うなら時期と運が悪かった。
こちらの様子をうかがっていたグレイシアが背を向けた。
「ヴェイル家の家紋はアスタリスクであり、それは私が受け継いでいる。サーコートや甲冑にアスタリスクの紋章を刻んでいる者は味方だから覚えておけ。次男は骸晶角板の紋章を作った。骸晶角板とは、六角版の中央が凹んでいる形をしているのだが、平面の図には向かない。そこでただの六角板を黒く塗り、便宜的に骸晶角板としているようだ」
なぜかご丁寧に説明してくれた。
「つまりだな。黒い六角板の紋章を身につけているやつらには近づくなってことだ」
正当な家紋は長男が、そこから派生したオリジナルな家紋は次男が掲げている、と。
どちらも雪の結晶がモチーフのようだ。
「ちなみに、私の胸の奥にあるコアはアスタリスク――つまり星六花だし、次男のコアは骸晶角板だ。各々、コアの形と紋章が対応していることになる。まあ、どうでもいいことだがな」
どうでもいいとは思っていないような口ぶりだ。
「あんたのもとに集った騎士団には、何か名称がないのか?」
「私の配下は近衛兵と、昔からヴェイル家に忠誠を誓った騎士ばかりだ。近衛兵はそのまま近衛兵だが、騎士たちは『星形騎士団』と呼ばれている。」
やはり長男が一番大きな戦力を有しているのだろう。
それにしても、星形騎士団ね。
次男の配下は、骸晶騎士団か。
雪の妖精のコアに対する想いはなかなか趣深くて、他種族にはわからない矜持や個性があるように感じる。
骸晶角板を詳しく教えてくれたのも、中途半端な説明をしたくなかったからだろう。それだけに、コアが崩れているという割れ者がどれだけ虐げられてきたのか、想像するだけで悲しい気持ちになった。
「エントリーはすませておく。仕事のでき次第では褒美をやろう。わざと負けたら、そこの割れ者ともども命はないと思え」
これで話は終わったとばかりに、グレイシアが歩き出す。
「待て。一つだけ聞きたいことがある」
ハイドロが呼び止めると、グレイシアは立ち止まった。
「なんだ」
「さっきから愚弟、愚弟と言いつつ、次男の話しか出てこないんだけど、兄弟はもう一人いるよな。三男はどうした」
「……あいつは、トーナメントに参加しない」
グレイシアはそれだけ言うと、再び歩を進めた。そして来たときと同じように、兵の波を割って去って行った。ハイドロのことを包囲していた精鋭たちも、音を立てずに影の中へと消えていく。
ただ一人だけ、ハイドロの口に剣を突っ込んだ先駆けの女――薄いラベンダーの髪色をしている妖精だけが立ち止まり、しばらくこちらを睨んでいた。
「ずっと見ているから。余計なことはしないように」
彼女はそれだけ言うと、他の騎士たちと同じように、音もなく闇に溶けた。
ハイドロが発した熱はとうに消え、うすら寒い冷気だけが、闘技場の底にいつまでも残っている。隣に立っているクリスタと肩を寄せ合うことはできないけれど、それでも彼女のことを助けて良かったと、今は思った。




