ドラゴンは強いのか
「はじめ!」
戦闘開始の合図とともに、ガロが突っこんできた。
振り上げた氷の斧に、月光がすべる。なんて青いのだろう――。
あまりのキレイさに見惚れてしまい、危うくそのままぶった斬られるところだった。
ハイドロは半身になり、斧を躱した。
二撃目、三撃目が飛んでくる。斧を振り回すように使いながら、それでいて無駄のない連撃だ。遠心力をうまいこと使い、体捌きで隙を最小限にしている。
こいつは確かに強い。腐っても、さすがに騎士か。
辺りにはうっすらと雪が降り積もっているし、その下の石床は凍っているしで、足元もかなり滑りやすくなっている。
転んだら終わりだが、それは相手も同じ条件のはず。
いや待て。そもそも雪の妖精って転ぶのか?
足を滑らせるイメージが湧かない。
ここは相手の得意なフィールドなのだと、気を引き締め直す。
「どうした? 避けているだけじゃ俺には勝てねえぞ!」
「ご親切にどうも」
斧と斧の合間に、言葉も交わす。
喋っているからといって隙が生まれるような相手じゃなかった。
それにこちらは徒手空拳だ。相手の斧を弾いて、懐に入る手段もない。
雪の妖精の体力が、どの程度もつかに賭けるか?
あれだけぶんぶんと斧を振り回しているんだ。すぐに限界が訪れてもおかしくない。いや、雪の妖精は筋力ではなく魔力で体を動かしているように見える。そもそも体の構造からしてハイドロとは全然違う。そんな相手の体力を想定するのは無意味だろう。
どうしても自分が知っている枠組みの中に相手を押し込めようとしてしまうけれど、それじゃあ有効な戦略が組み立てられない。
雪の妖精は何を得意とし、何を苦手とするのか。
一番わかりやすい苦手は、熱?
「どうして武器を持ってこなかった。俺のことを舐めてんのか!」
ガロが怒りの一撃を放つ。もちろんハイドロは躱す。
観客たちは盛り上がっているのだろうか。
一つ前の戦いのときのように、ヤジを飛ばしているのだろうか。
ハイドロにはわからない。ハイドロの耳に歓声は届かない。
そんなところに意識を集中している場合じゃないからだ。
この戦い自体が静かなわけではない。ガロの怒声、斧が空気を斬る音、振り積もった雪を踏みしめる音、風が流れる音――戦いに関する、ありとあらゆる音は耳に入る。
それ以外の無関係なノイズを、脳が自然にシャットアウトしている。
「俺のことを舐めてんのなら、死ね!」
言葉の激しさとは裏腹に、ガロの攻撃は冷静だ。
狙い過たずにこちらの急所を突いてくる。だからこそ躱していられるとも言える。攻撃が予測しやすいのだ。とはいえこのままではジリ貧だ。
リーチの差は如何ともしがたい。
そもそもハイドロには使い慣れた武器がない。
何かを持つより拳の方がマシかと思って臨んだけれど、ここまで的確な連撃を続けられると攻撃をするだけの隙がない。
青く重い攻撃を躱して、躱して、躱した。
「あの割れ者の女も、ぶっ壊してやる!」
「彼女はスノウリンクスにエントリーできないだろ」
「外でいくらでも因縁つけられるさ! 割れ者はゴミだ!」
「ああ、そうかい」
ハイドロは覚悟を決めた。腹の中で魔力を一気に練り上げる。
ガロは困惑したのか、大きく距離を取った。ハイドロの魔力を感じ取っているのだろう、怯えたような顔をした。でも弱気な自分を恥じたのか、ぶんぶんと首を横に振って、斧を構えなおした。どんな攻撃が来たとしても、迎撃する心構えのようだ。
いいだろう、特大の炎を食らわせてやる。
ハイドロは、自分の力を知らない。このように誰かと一対一で面と向かって、戦ったことがないからだ。
危険からは距離を取る。自分の力を見せつけない。
それは旅の極意というよりも、ドラゴンの本能なのかもしれない。なぜなら、ひとたび力を発してしまえば大惨事になってしまうから。
――そう、目の前の光景のように。
ドラゴンが腹の中で練った魔力を、炎として放出する。
技名も何もない、実質ただの『ブレス』だ。それを口から吐いた。
炎の渦が、螺旋を描きながら、天高く舞い上がった。
月光が炎に塗りつぶされ、昼間のように明るくなる。
うっすらと降り積もっていた雪が一瞬で蒸発する。
闘技場にある排熱システムの容量を超えた熱が充満する。
凍りついていた石壁や石床が、じゅううううという音を立てながら、白い蒸気を発した。
観客席を守っていた魔法壁が粉々に割れた。
悲鳴が上がり、妖精たちが逃げ惑った。審判の雪だるまが、近くにある審判用の防護壁に飛び込んだ。
そして、ガロは炎をまともにくらった。炎の勢いで観客席まで吹き飛ばされなければ、全身が熱で溶けていたかもしれなかった。
辺り一帯に熱風が吹き荒れる。その中心地――闘技場の底でハイドロは立ち尽くしていた。自分自身の力に恐れを抱いていた。
……まさかここまでとは。
ここが雪の街であり、相手が雪の妖精で、炎が弱点であるということを差し引いても、ハイドロの攻撃はあまりにも強かった。
なんせ世界で九匹しかいない伝説の生き物なんだ。強いに決まっていた。
挑発に乗って、本気を出したのが間違いだった。もっと出力を押さえるべきだったんだ。
ガロを許せないのは確かだが、周りを巻き込むのは本意じゃない。
クリスタは無事なのか?
観客席を見回したけど、一段低い位置であるここからではよくわからない。魔法壁は壊れているので、ここから観客席まで飛び移ることができるだろう。
ジャンプしようと足に力を込めた次の瞬間、何かが視界の隅を横切った。
かかとをつけて、周囲をもう一度見回す。
熱のこもる闘技場の底にあって、闘士用の入り口や観客席に、いくつかの影がゆらめいていた。それこそ、燻る炎の残滓のようだ。
ただの観客というわけじゃないだろう、そいつらは明確にハイドロのことを取り囲んでいる。
もはやガロとの勝負なんて関係なかった。
影の集団が、月光のもとに姿をさらす。
氷の甲冑を身につけ、左手には正六角形の盾を、右手には氷の剣をかまえた雪の妖精たちだった。月光を反射して青く煌めいている。
綺麗だが、決して派手ではない。
その立ち居振る舞いや隙のなさ、ハイドロの死角を探るような動きから、光の下に出てきても、影の印象がぬぐえなかった。
こちらの逃げ道を塞ぐように、慎重に距離を詰めてくる。三十人くらいいるだろうか。動きが統率されている――つまり訓練された軍隊だ。
ガロが所属しているという骸晶騎士団か?
とりあえずハイドロは戦闘態勢に入った。
再び腹の中で魔力を練り始める。できればもうブレスを吐きたくはなかったけど、相手の動き次第ではやむを得ない。
ブレスは広範囲の攻撃だ。囲まれていようが、吐きさえすれば一網打尽にできるだろう。出力を調整すれば大丈夫のはず。
集中しようとしたところで、何かがハイドロの頬をかすめて床に突き立った。氷の矢だ。それに気を取られたわけではなかった。
妖精たちがいっせいに動き、夜の波のように押し寄せてきた。足音も、甲冑のこすれ合う音も全くしなかった。
口を開けたハイドロの、その口に鋭い切っ先が突っ込まれる。
続いて、喉元にも、わきにも、心臓にも、太ももにも、人間で言うところの急所――大動脈の通っている場所に、ぴたりと剣先が当てられる。今は人間の姿かたちをしているハイドロにとっても急所だ。
剣の檻に閉じこめられた。
指一本、動かせず、
「むぐ、あがが」
呻くことしかできない。
月光が、氷の刃を反射する。鉄とは違った青い煌めきが、ハイドロの命の手前で光っていた。
ハイドの口に剣を突っ込んでいるのは、白い氷の甲冑を身につけた、薄いラベンダー色の髪をしている女だった。鋭い瞳でこちらを睨んでいる。そんな彼女の奥から、
「戦うつもりはない」
声が聞こえてきた。低く、重々しい声だ。
ハイドロの口に剣を突っ込んでいた雪の妖精と、その隣の妖精が剣を収めて左右に分かれた。
まだ十本以上の剣が急所を狙っているけど、少なくとも喋ることはできるようになった。
ハイドロの前面に位置している雪の妖精たちが、次々と左右に分かれていく。
集団が割れて、道ができる。
「話を聞け」
その道を通って威風堂々、男がやってきた。
銀髪のオールバックにがっしりした体格をしている。ハイドロよりも頭二つ分は大きいだろう。
目つきは異様に鋭くて、ハイドロを取り囲んでいる影のような妖精たちとは対照的に、存在感と威圧感のあるオーラを発している。彼が着ているのは氷の甲冑ではなく、真っ黒な鉄の甲冑だ。そこには、街の近くで採れる特殊な鉱石が、アスタリスクを形作るようにはめ込まれている。
甲冑の上から羽織っているロイヤルブルーのマントには、複雑精緻な模様が、光るように浮かび上がっていた。糸で刺繍されているわけじゃないらしい。留め具は大きくかっちりしていて一目で地位の高い人物だとわかる。
熱が大敵なのに、マントを羽織るのか。見たところ羊毛じゃなさそうだけど、どんな素材なのかハイドロにはわからない。
月光が静かに照らすその男は、
「私はこの街の領主である、グレイシア・ヴェイルだ」
と重々しく名乗った。




